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(右で証書を手渡しているのは現在の当主、
マウリシオ・ゴンサレス・ゴードン氏)

Windows95が発売された1995年、僕が24歳の時、
あるきっかけからシェリー酒に興味を持ち、
シェリー酒の専門店に入社したのが僕の人生を大きく変えた。

ある種のネット元年とはいえ、PCもまだ高く、
当然、シェリー酒に関する情報は全くと言っていいほどない…

日々、日本の本当かどうか解らない資料と戦いながら、
入社してすぐシェリー酒の街ヘレスを訪れ、

最初にお邪魔したEmilio・M・Hidalgo社の
故「マテオ氏」のグラスCatavinoを用いた
「トルネード*」にまず感動、

*香りを立たせる為の職人の技の一つ。

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(トルネードを教えてくれたマテオ氏と。
右は息子さんで、今の当主。
まだゴベルナドールのラベルが赤い時代…懐かしい…)

次に訪問したDomecq社にいた
「ラファエル・エスパーニャ氏」の
見事なまでのヴェネンシアールに
感動と震えさえ覚えた。

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(最も古いソレラの前でヴェネンシアールする
ラファエル・エスパーニャ氏。
僕が最初にヴェネンシアールの教えを頂いた方です。)

以後、毎年ヘレスを訪れるようにしながら、
ネットで買えるようになったとはいえ、
読み慣れない英語やスペイン語の資料を読み漁る日が続いた…

日本ではホテル・オークラの故 桑山為男氏が
日本人初のヴェネンシアドールとなっていた事は知ってはいたが、
当時は、自分が…などとは考えもしなかった…

が、年々自身の興味と、どこか使命感にも似た感覚が、
その挑戦への意欲を掻き立てていった。

事実、しぇりークラブの二代目店長
藤井さんも苦労してDomecq社で取得していた。

が、実際には日本人が受けること自体が難しく
申請自体にシェリーに関する働きの履歴や、推薦などが必要で、
数年に渡る何度かの申請で2000年にGonzalez Byass社での
受験のチャンスを頂く事が出来た。


今までにないほどの気合を入れて一人で渡航、
事前に日本のフラメンコ・ショップで買いそろえた正装を着て門をくぐり、
早々に輸出部長を介して試験監督であり
スペインでも有名なヴェネンシアドール「ヘナロ氏」をご紹介頂いた。

そして、早速と
ボデガ内での口頭試問**とシェリー酒のテイスティング、
ヴェネンシアールの実技試験を経て、


**これは何か?とか、これは何のためか?とか…の質問。
この時はヘナロ氏の質問を輸出部長が英語で翻訳してくれ、
僕がどこまで解っているか、興味があるのかが試された…(汗;

通常、観光客が見学後に試飲をする部屋にて3時間以上、
次々と現れる観光客を前に最終意的な実技試験となった。

ちなみにこの時、課されたのはグラス4個持ち。
グラスも日本の試験みたいな大きなワイン・グラスじゃぁありません、
レモンほどの小さな伝統的グラス「コパ」での話です。

しばらくすると、代わる代わるドイツや英国、
日本からの観光客が現れては写真をバシバシ撮られ
いきなりの仕事と相成ったが、

これはテイスターとしてではなく、職業ヴェネンシアドールとして
人前でのヴェネンシアールの緊張感と責任感を覚えさせるという、
ヘナロ師匠の経験と愛情からの重要な試験だったのだ…


そして、下のこぼし具合を見ては、

「ノー・マンチャ!No mancha!」
(染みをつけるな!こぼすな!という意味)

「もしここが5つ星のホテルで、上等の絨毯の上で、
オロロソをヴェネンシアールして、こぼしたら、
お前は弁償できるのかぁ?!」


そう言ってヘナロ氏は僕を熱血指導してくれた…

今でも、こぼすと、
あの師匠の「ノー・マンチャ」という言葉が
響く様だ…


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証書の上には
「After Examination of his ability...」
試験を受けて…とあります。
類似の証書にはお気を付け下さい。


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