ペット介護士プロフェショナル

ハートケアカウンセラー
(ペットロスカウンセラー)

中川です

みなさんは

今まで生きてきて

人生を振り返ること

ありますか



それは

幸せで楽しかった出来事ですか

それもと辛く苦しい出来事ですか



思い出すだけで
自然と笑みが溢れることも
あるでしょう


辛くて悔しくて

哀しくて

記憶から全てを消し去りたい

殻に閉じ籠っている時だって必要だよねアップ

2度と思い出したくないことも

あるかもしれないですね

アップ現実から目を逸らしたい時もあるよね


人生の折り返しを過ぎて

私が歩んできた路

幼少期から

辛かった出来事

楽しかった出来事

過去として

ようやく受け入れられる

そして全てを良い思い出と

捉えられるようになったから


これから歩み進むために


要らなくなったもの

コンプレックスや

トラウマや

人間不信

無駄なプライドも

概念を断捨離しようかなと

blogに綴っていこうかなと

そして

この経験が

誰かの勇気になることを

そして笑顔になれることを

願って



昭和38年3月


夢と希望

そして幸せと決意を

溢れ落ちないように

しっかりと両手を握りしめ

元気いっぱいに

この世界へと

やってきました

何処で産まれたかは
不明ですが…

大正9年生まれの父

昭和4年生まれの母

後にこの2人が

本当の両親でないことが

判明するんだけどね

幼少期の記憶

うろ覚えな時期だけど

父との思い出は

多分3歳くらいの時かなダウン

ちょーお宝写真
懐かしいなぁ〜
こんな顔してたんやね🤣
幼少期の写真3枚しかないの😅
昭和でしょ😉

動物園にキリンが見たいって

連れってってくれたこと
おそらくこの日が
私にとって人生の1番の分岐点


海水浴 🏊‍♀️
幼稚園に通ってた頃

今はマリンピアになってるけど

昔は海岸だった 🌊


松の木林の中を 

優しく手を繋いでくれて


両親とはしゃぎながら

歌でも歌ってたかも…✨

海水浴の写真あったはずなのに
親戚の人に捨てられたの😢
そんなに気難しい顔して…😅

女の子なのに

ままごとなんて経験なし😂

ブロックや家の屋根に登って

男の子と忍者ごっことか

畑のや田んぼの近くにある

小さな森の中に入って

ターザンごっことか

とにかく活発で

小学校の通信簿に

必ず書かれてた

明朗 活発の文字

下の学年への

面倒見が良いとか

経済的に恵まれてたのか

そこは判らないけどね

ただ

父が仕事に行く姿は

あまり記憶にないの

そうそう
朝からお酒を飲んで🍶

寝てテレビを見てる姿

躾にとても厳しい父だった

お箸の持ち方だったり

嫌いな物を食べてしまうまで

正座を崩したらダメ💦

食べ終わったお茶碗は

必ずお茶で濡らせとか
現代なら虐待と言われるかもね

働き者の母との喧嘩は

思えてる
酒ばかり呑んで
仕事しなさいよとか…


母との思い出は


学校が終わると

母の職場に行って

仕事が終わるまで

近くの公園で
友達と遊んで待ってた
宿題なんてやらずに😂


そうそう
母が生け花を習ってて

そこの先生の娘さんが

ピアノ教室してるからって

先生お元気だろうか
お幾つになららたのかなぁ

習わせられてた😓
やらされたって感じ
これとっても重要よね

これがめっちゃ嫌で😅


ピアノの先生が結婚して
引っ越すことになったから

他の教室へなんて
話が出たから

あの先生じゃなきゃダメって

駄々こねて😂
解放してもらった🎶
やりたくない事を
はっきりと断れてたんだね


いつの間に言えなくなったんだろう


あっ
でもそのまま習ってたら

上手になってたのかなぁ

ピアニストになってたのかなぁ
指短いし 手が小さくて
そもそも鍵盤に手が届いてないから🤣
捉え方次第で世界が変わる
そう今なら思える


母の仕事終わり

毎日しりとりをしながら

家まで帰った道


目を閉じれば浮かんでくる

懐かしい影像

母の笑顔

私のはしゃいでる姿

小学3年生の頃かな

事件を起こしてしまう

唯一父が生命保険の所長
していた頃
もしかしたら働いてたのか🤔

父の名刺を持って
おもちゃ屋に行った私は

当時流行ってた
リカちゃん人形と
リカちゃんハウスを

『お父さんが買ってもいいって

後でお金を払いにきます』

なんて言って

持って帰ったから
すごく知能犯でしょ😂
っていうか
そんな事が可能だった時代
信用貸しが通じた時代
今じゃ絶対無理だよね〜


当然

おもちゃ屋さんからの電話で

発覚する😝

めっちゃ叱られたの


家から締め出しをくらって

気が強い私は

あてもなく歩き始めてた

すると父は

自転車🚲で追っかけてきて

『何処いっきょんや』

そして父は私を
自転車の後ろに乗せて

『何が食べたいんな』
『コロッケ』
と答えると

駅前の美味しいコロッケを
買ってくれて食べた

『こんなことは最後だぞ』

そう言って
支払いを済ませてくれてた

あの厳格な父が
私のやらかした罪を
許してくれた


あの時のコロッケの味は

最高だったの

躾に厳しかったけど

ほんとはとても暖かく
優しい父だったのかもしれない
目に見えてる事が
全て真実とは限らない
(コンフェデンスマンJpより)


後先を考えず
自由すぎるほどに
やりたいことやって

生きてたんだなぁって

これが幸せを感じるってこと

幸せに生きてるってこと

今はそう思える

私もほしい

幼馴染に妹が生まれ

リカちゃん人形事件の前の話だったわ
前後逆にしちゃった🙇‍♀️

初めてお雛様
しかも7段飾りを観た時

綺麗だなぁ〜
もちろんお雛様の写真だって
残ってないけど😊


『お母ちゃん
お雛様私もほしい』

『お隣のを見せてもらい』

の一言で片付けられた🤣

でもなんだろか
不思議と
辛いとか 悲しいとか
羨ましいなんて思わなかったなぁ〜

贅沢はさせてくれない母

母の姉
私にとっては叔母さん

学校から帰ってきたら

自転車を🚲

プレゼントしてもらった時は

もう嬉しくて嬉しくて

この時から自転車の練習🎶

我が子のように可愛がってくれた

叔母さんとの別れ

叔母さんが脳腫瘍で倒れた

この事がきっかけで

私の人生の歯車が⚙
噛み合わなくなって行く

その時私は小学5年生

波乱万丈な人生の幕開け

半世紀生きてきたので長編となります

不器用ながらも綴っていきます

どうぞ最後までお付き合いのほど
心よりお願いいたします

つづく

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全ての皆様に
笑顔の華が咲きますように🌼

最後までお付き合い
ありがとうございました🌹

感謝の心と愛を込めて

ありがとう