ペット介護士プロフェショナル

ハートケアカウンセラー
(ペットロスカウンセラー)


中川です


先日の台風15号

千葉県を直撃

被害に遭われた皆様に

お見舞い申し上げます


1日も早く復興されること

願っております

9月も半ばが過ぎ


見上げた空は
ほんの少し色褪せた青空

あと少しで秋だよって

そよ風が草花を優しく揺らし🍃

私たちの身体を吹き抜けて

心穏やかな気分にさせてくれる



虫の音シンフォニーが流れて

秋を感じる今日この頃🌾





夏から秋へと
バトンタッチしましたね

気温の変化に
体調を崩しませんように

呉々もお身体ご自愛くださいませ🌹


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大好きな叔母さんとの思い出


叔母ちゃんの飼い犬の柴犬

女の子だった
名前は確か🤔リリー

その子がヒートだったのかな
(その当時は全く知らなかったけど)

家の裏の空き地を散歩させてた

ノーリードだったかも

野良犬が柴犬に近寄ってきたから

『リリー』って呼んだら

野良犬に左足の付け根に噛み付かれ

髪の毛を振り回され

異変に気がついた叔母ちゃんが

棒を持って追い払ってくれた

すぐ近くの外科へ

おじいちゃんぽい先生👴

診察のベットに横たわって
手当を受けてる時

入り口付近で心配そうに

『どうですか?』と
聞いた叔母ちゃんに

医者が👨‍⚕️

『唾が入るけん黙って』

いや〜、そう言ってる
あなたの唾が飛んでますけどね〜

おそらくヒート中だったから

野良の男の子は
必死だったんでしょうね

でも犬が嫌いとか 怖いとかならなかった

犬が大好きだったから

マルチーズを飼ってくれた

しかしこのマルチーズが
母がボスだったから
私には全然懐かず…😅
母の肩もみなどしようもんなら
遠慮なく噛みつきにくる💦

叔母ちゃんの話に戻って
夏休みとか

肩叩きをすると
お小遣い50円をくれてた

一緒にアニメを見てくれたり

キグレ大サーカス🎪が
初めて徳島にきた時も
連れて行ってくれた
この時はお爺ちゃんも一緒

チケット代を払って

お釣りを受け取る時
500円玉を落としてしまった叔母ちゃん

その時のスタッフの言葉を

私は忘れない

『後がつかえてるので
早く前に行ってください』


その言葉に愛は感じないですよね

子供ながらに嫌らしい人に見えた

結局お金を拾うこともできず
会場へ向かう

それからというもの
キグレ大サーカスが大嫌い
幾度も徳島へ来たけど
2度と行くことはなかった

目に見える世界だけで
判断しちゃう

その人だって
並んでいるお客様を
会場に入れることで
いっぱいいっぱいだったんだろう

余裕がなかったのかもしれない
今ならそう思える

その時の状況
その時のその人の心の中なんて
判らないのに





大好きな叔母ちゃんが倒れた


膿腫で2度の手術

母は仕事に 看病にと
忙しい日々でした
ここから素直さを失う事件が…

叔母ちゃんの嫁ぎ先の会社で
事務員をしていた母んだけど

ある日のこと

年のかなり離れたいとこの
赤ちゃんを面倒見ながら
お留守番をしていた私

大人が帰ってきた時

何か原因は忘れてしまったけど

いくら思い出そうとしても
記憶から出てこない理由

おそらくこの後の話が
印象が強すぎて
過去から消えたのかもしれない
うろ覚えの会話だけダウン

『お前がしたんか』って

『私は知らん』って
言ったのに…
『お前しかおらん 嘘つくな』

何度正直に言っても
信じてもらえなかった

辛かった
悔しかった
信じてもらえない



ほんとのことを言っても
信じてもらえないなら

嘘つきになってやろう

そう心に決めた 

あの時こんな決意をしなければ

どんなストーリーになってたんだろう

スピチュアルの学びの中で
知った

全て自分からのエネルギー
そして自分で選ぶ未来の扉

これからの起こる
ストーリーは私が選んだんだろうか

大好きだった叔母ちゃんとの別れ

2度の手術をするも

別れの時が

小学6年生の時

先生が言った
『叔母さんが亡くなったと
連絡あったからお家に帰り』


初めて人の死を経験

お葬式の準備で
大人たちは慌ただしかった

その光景は覚えてる
でも
なぜかその時の気持ちが

哀しかったのか…

それとも辛かったのか…

思い出せない…💦

あんなに大切にしてくれたのに

思い出せないの…

お見舞いにも
連れて行ってくれなかった

最後のお別れもできなかった
そのことだけが後悔する

母は看病疲れから
血圧が高く

体調を崩してしまった

冬の朝

起こしてくれなかった母

朝ご飯を私が作り
卵焼きだけどね😃

学校から帰ってくると

冷たい冷蔵庫に凭れて
『ただいま』って言っても
『う〜ん』『う〜ん』だけ
うめき声の母の姿に

驚いた私は

近所に行こうと外へ出ようと

その時

母の妹が家にやってきた

急ぎ救急車🚑

意識不明の母

くも膜下出血 だった

医者から言われたこと
卵焼きを食べたのが
血管が切れたんだろう

卵を食べさせたから

すごく自分を責めた
私のせいなの

私が卵焼きを作ったから


母の入院で
肝臓疾患で入院中の
父が帰ってきた


そして

衝撃な言葉を発する

『実はお前は本当の子じゃない』

えっ‼︎
何言ってんの
私の両親じゃないの

『3歳の時にうちに来たんや』

どうゆうこと

『お父さんが交通事故で死んだから』
『お母さんが2人の子を育てられないから
うちの子として児相から
貰われてきた』
『1歳上のお姉ちゃんがいる』
パピちゃんと呼んでたよ』

お姉ちゃん❓

小学6年生の子が
理解できるだろうか

理解したといえば
両親だと信じて疑わず
育ってきたことが

違うという現実だけ


気づいたこと

そういえば
学校の名札の📛苗字と
病院に行くと苗字が違ってた

そういうことなんだって

父では面倒見られないだろうと

母の妹宅で暮らすことに

そこには同年代の子供がいた

『ホタルの墓』みたい

どうしても忘れられなかった
自分が食べた食器は自分で
洗いなさいよ

洗濯だって自分でやらされた

その時の気持ち

『○○ちゃんはいいなぁ
私は他人だから
やらなきゃダメなんだ』

ただそう思っただけ

その事がいじめだなんて
感じてなかった

寂しくて辛かった…
ただその感情だけ…

会話もなく過ぎ去る日々

いつの頃か
感情を持たなくなってしまってたのか

笑顔が消えた


笑わなくなった私

もしあの頃に戻れるなら

どんな言葉をかけてあげられるだろ

皆さんなら
どんな言葉をかけますか

そして

小学校の卒業式

卒業証書の名前を

校長は戸籍の名前で読み上げた

その結果は

瞬く間に広がった

捨て子という事実
ついたあだ名は
ステゴザウルス

いじめが始まった瞬間


私の人生というストーリーが
始まったあの日

どんな思いで生まれたんだろう

どんなストーリーを描いたんだろう

全ては自分が選ぶドア

私が選んだんだろうか

それとも運命なんだろか

中学を卒業するまで続いたいじめ


母の意識も戻り

言語障害と右半身不随の
後遺症が残ったけど
一命はとりとめた


建売住宅を購入してたので

私も戻ることができた

その矢先

市の担当者から
『里親としてはもう認められない』

ということ

なので
人生2度目の児相へ


養護施設へ送られた

続きは次回へ


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