自己対話は、いわゆるスピ系の世界では、とても重要とされているし、以前の私もそう信じていた。



それに、自己対話は「自愛」をする上では欠かすことのできないことだと思う。



自愛という意味では、とても有効であり大切だと、今でも思っている。



自愛によって思考が落ち着き、真の内側に向けるようになることもあり、そう言った意味では自己対話も自愛も、素晴らしいことだと思う。



でも、結局のところ自己対話も、自我の領域の話。



幻想世界の中の話であり、[思考と思考の対話]に過ぎない。



たとえどんなに崇高だと思える考えで自己対話していようとも、それはどこまでいっても、思考の中の話であり、つまりは幻想世界の中の話でしかない。



どんなに崇高だと思えるアイディアが浮かぼうが、頭の中に声として聞こえてこようが、真の私からの声や答えではないのだ。

 


答えが返ってきた時点で、それは内なる声、つまり真我の声ではないのだ。



真我の答えは、沈黙。


真我とは、気づきであり、至福であり、光であり、沈黙。


沈黙と無は違う。



もう私は、自己対話をやめた。


ただただ、真我にだけ問いかけ続ける。


この考えは誰に起きてきたのか?

このことは、真実なのか?

私とは誰か?

私とは何か?


ただただ、真我に問いかけ続ける。


そして、出来ることならば

ただ静かに止まっていよう。


静かに止まり

真我の沈黙の中に

融け去っていこう。



いつも真我はここに在った。

私がどこへ行こうとも

時がどれほど経とうとも

いつもここに在る。

唯一無二である不変の存在。




以前に私がスピリチュアルの仕事をしていた時、チャネリングを主にセッション等をさせて頂いていた。



当時は、今ほど真理を理解していなかったから、次から次へと聞こえてくる崇高に感じる声を、ハイアーセルフと信じて疑わなかった。



でもある時を境に、チャネリングも仕事であるセッションも辞めた。



なぜなら、、、

この世界が幻想世界だと気づいたから。


二元性の世界である為、すべての事は必ず裏表が存在し、そのどちらか一方だけを体験することはできないという事に気づいたから。 


私とは、思考ではなく、感覚ではなく、感情ではなく、この体ではなく、知覚ではなく、心でさえもないと、気づいたから。


私がしていることは、二元性の幻想世界という虚しい物語を紡いでいるだけだと、気づいたから。



ハイアーセルフ(高次の自分)

ローアーセルフ(低次の自分)



この時点で、分離した考えだと気づくべきだったのに、当時の私は所謂スピリチュアルに傾倒し、どっぷりとこの現実世界にハマっていた為、気づくことが出来なかった。



スピリチュアルにハマって、真理に気づく人は少ない。



むしろ、スピリチュアルを知る前以上に、願望に執着し、新たな制限を自分に枷て、欲望に満ちたこの幻想世界に深く深くハマっていく人の方が多く感じる。

 


そこから抜け出せた私は、恵まれている。


きっと私のブログを読んでくださる方々も、真理に気づいたり、気づき始めている方達だと思う。 


稀に見る恵まれた

稀有な存在の方達。







今日も、真我を信じて。。

大丈夫!すべてはうまくいっている☆彡


今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございました😊