誰かや状況、出来事を「許す」ということではない。
また、誰かや状況、出来事を「受け入れる」ということでもない。
「赦し」とは、「聖なる無関心」ということ。
そして「気づき」に、この赦しが伴う事で、初めて「真の気づき」となる。
聖なる無関心が伴わない気づきは、決して自我の領域を越えることはないのだろう。
これを私は、師から教わった。
今この意味が、少しずつ真の理解に変わってきている。
こういう事を文章にするって難しいなぁ…
すみません😅
もし…
え?どういうこと?
聖なる無関心て?
意味わからん??
何なのー!?教えて!
…って、消化不良になった方は、遠慮なくLINEください。笑
できる範囲でお答えします。
今日も、真我を信じて。。
大丈夫!すべてはうまくいっている☆彡
今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございました😊