おはようございます。江戸散歩です

 

弘道館内部の見学を終えて外に出てみます

 

弘道館屋根

獅子口と破風がある寺院建築様式の本格派です

 

 

 

 

 

 

 

入母屋根造りの屋根は複雑な形状をしています

 

 

 

 

 

 

 

 

弘道館の梅林

 

 

梅林の中には井戸があります

 井戸と言えば、ホーラ映画の貞子の井戸から這い出るシーンが思い出されます

きっと来る〜♫きっと来る♫....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梅の木は、枝を自由に曲げる事が出来ます

 

 

 

 

 枝をここまで曲げるのは痛々しいです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GWでこの大きさですから、今頃は収穫を迎えているかも知れないです

 

 

 

 

鹿島神社が弘道館敷地内にあります

 

 

 

 

 

 八卦堂

 

 

 

 

 

八卦堂は藩校当時の弘道館の敷地のちょうど中央に建てられています。堂内には,徳川斉昭の自筆自書である弘道館記を刻んだ弘道館記碑が納められています。弘道館記碑は領内真弓山( 現:常陸太田市)から切り出された寒水石(大理石)でできていまして,寒水石は風雨に弱いため建立と同時に八卦堂に納められました。

八卦堂の「八卦」は当たるも八卦,当たらぬも八卦の「八卦」で,お堂の軒下には8箇所にそれぞれの算木が配置されています。 つまり八卦堂は万物の変化を表し,その中に絶対に変わらない不動の道を説く弘道館記碑を置くことにより斉昭の宇宙観のようなものが示されています。

 

 

 

 

 

 

鹿島神社

 弘道館敷地内にある鹿島神社です。斉昭は孔子廟と神社を併置して「神儒一致」(神道と儒教をともに崇敬する)という建学精神を示しました。この配置は,斉昭の独創によるものです。

 鹿島神社の御祭神は鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。武の神であり,孔子廟に祀る学問の神(孔子)と併置することにより文武一致(文武両道)の建学精神を表しています。

 鹿島神社は,安政4年(1857) 5月9日に遷座祭が行われ,同時に弘道館の本開館式が挙行されました。 天保12年(1841)の開館は仮開館と呼ばれておりますが,それはこの時点では,施設の一部や教育制度が完全に整っていなかったためです。 施設や教育制度を整え,鹿島神社の遷座と孔子廟への孔子神位の安置をして,はじめて本開館の日を迎えました。

 昭和20年の空襲により,社殿は焼失してしまいました。 現在の社殿は,昭和49年の第60回伊勢神宮式年遷宮の際に伊勢神宮別宮の旧殿一式が特別譲与され,「唯一神明造り」の社殿として再建されたものです

 

 

 

 

 

 

 広い芝生エリアがあります

 

 

 

 

 

 

 

 旧茨城県庁

 

 

 

 

 

 県庁が移転したので現在は茨城県三の丸庁舎となっています

 

 

 

 

 

 

 

 昭和5年に建てられた堂々たるデザインは見応えあります

 

 

 

 

 

 

 

 シメントリのデザインは安定感があります

 

 

 

 

 

 

 

 水戸城跡には、三の丸小学校があります

正門ではありませんが、立派な門です

 

 

 

 

 

弘道館の東側に水戸城がありました。戦災などにより建物が焼失するなどし,現在は学校区となっています。水戸城は連郭式平山城という構造で,東西に延びた台地を南北に切り分けて造成されており,那珂川と千波湖によって形成された浸食崖を堅牢な防御線としているのが特徴です。石垣,天守閣は設けられず,土塁と空堀で構成されています。

 

 

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