おはようございます、江戸散歩です。
小田原城巡りの続きです
常盤木門から城内に入ります。
戦国時代の合戦に活躍した矢盾が待ち構えています。
この矢盾の裏に足軽が隠れて敵の矢から防ぎます。
矢盾には北条家の家紋は、「三つ鱗」です。
石刻
石垣の普請をした人が、遊びで彫り込む場合もありますし、誰々が普請をしましたよという証になります。
常盤木門の裏側
桝形櫓門形式の門は、大型になります。
北条五代の提灯です。
伊勢宗瑞、いせ そうずいと呼びます。
北条 早雲こと伊勢 宗瑞は、室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。
早雲の代の時はまだ伊勢姓でした。
小田原城の全景
全長 38.7m 天守台(石垣部)11.5mとなっています
1階部分の窓の中が縦型に切れているのは狭間と呼ばれるもので、弓矢を立って射る為に細長く穴が開いています
出窓のようなものは飛び出している部分の床が開くようになっていて石を落とす石落としといいます
入母屋屋根の下の三角は破風と言います。
その下は唐破風といいます。
天守閣への登城は階段を登っていきます
小田原城の総構え内堀と外堀から構成されており、当時攻略が難しいとされていました。
過去に何度も敵の包囲を跳ね返した小田原城ですが、秀吉の小田原征伐は20万人を超す兵力をこの小田原征伐に
兵を向けました。
陸から海から小田原城を包囲しました。
北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。
その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。
小田原名物「ういろう」は、名古屋名物の菓子のういろうではなく薬でした。
東海道の旅人からは人気があったそうです。
最上階の廻縁からは、小田原駅が望めます。
遠くには大山や丹沢山が見えます。
正面に見えるのも小田原の総構えの一部で土で丘を築いて要塞にしています。
正面に見えるのが、秀吉が作った石垣山一夜城があった山です。
小田原城から見えないように密かに城を築いて完成したら木々を伐採して城の全容が姿を現して、
これを見た北条氏が、秀吉の経済力やスケールに圧倒して城を開城したそうです
ある日突然に城が目の前に現れたらビックリする事でしょうね