こんばんは、大平絵麻です


“煽ることを書いてないからいい“

これは、先日 伊泉先生に言われた言葉


煽って集客してないから

来てくださる方が感じのいい方ばかりと

仰っていただいて、ほんとに有難い言葉です

そして、いい方ばかりなんですおねがい


先日出会った素敵な扉🦋


日々、セッションや講座の

ご案内をしてしいますが


煽る技術も話術もないから、できない

というのもほんとだし


煽るような記事を書いて

惑わしたくないのも

自分に嘘をつきたくないのもほんと

そんなことに未だ揺れるわたしです 笑


それでも、昨日引いたタロットが

代弁してくれているので

敢えて曖昧なまま揺れているままに

いようかと思います


マルセイユタロット「節制」


ウェイトのカードではないですが

最近なじみの 生命の木 で言うと


節制は真ん中に位置する

太陽へと月から上がるパス

意識へ無意識から抜けていくパス


左の 制限 の柱と

右の 可能性 の柱の間で

バランスを取るところ



時間と空間

感情と思考



どちらかにしてしまえば

ある意味楽なのかもしれない


でも、どちらかがあるとしたら

それは自分の作った物語なんだな


やるか、やらないか

こうするか、ああするか

これはよくて、あっちはダメ

そんなのなくて

どちらかなんてなくて

答えすらない


もし、答えがあるとしたら

ある時、そうだったんだと気づく

わたしを越えた時、笑える時


マルセイユタロットでは

蝶々になる前の自分が何者かわからない

どろどろに溶けてしまい

一度自分が無くなるような

蛹のようだといつも思います🦋




1月の講座では、ここのパスの解説を

伊泉先生はこんな言葉で話されました ↓↓


意識から、無意識の領域を見るというのは

“そうか、わたしたちは

ついつい夢を生きてしまうのか” 

と、気づくことで


“ちがう夢を見ている人がいてもいい”

そう気づくことが意識に上がるということ


二項対立で判断するのは

愚かだと気づくこと、と



これまでの感情や、思考で即判断する

ある意味、勢いのある

無意識のパターンを抜けたら


何もかもが無くなったような

波立たない自分が表れて

むなしくなることも

憂鬱な気分になることもあります


日常をドラマチックにしてるのは

他ならぬわたしたち自身


それに気づいたら

自分の中に静けさを思い出して

不自然なことや、反応的なことは

出来なくなっていく気がします


日常をドラマチックにしてるのは

他ならぬわたしたち自身ですもんね


哲学的な、詩的な言葉が

わたし的にいつもわかりやすい

伊泉先生の講座


煽りたくないと書きつつ

煽るのではなく 笑

必要なタイミングの方へ届けたい

聴いていただきたいと思っています


今回はめずらしい

深淵の上に特化した2回の集中講座

会場に来れない場合は

アーカイブもありますよ気づき


明日21日(日)と、29日(月)祝日

一日から受講可能です

お待ちしていますニコニコ


最後まで読んでいただいて

ありがとうございます



伊泉龍一先生 生命の木・深淵の上 集中講座


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参考文献