全ての心配してくれた方々へ
どうもありがとうございます
続きの「渦中編」はもう少し待ってね。
鬱ブログ:至る編 を読んで頂いたお友達さんの手記
《固有名詞を変換しております》
田中先生があのブログを書いてくださったことで、
私の、どこかのスイッチが押されました。
私は、大人しくて真面目な私が嫌いです。
本当は、純真無垢な子供たちのような、
おもちゃ箱をひっくり返したような、
子供らしい子供でいたかった。
心の中だけで、
自分の中だけでは、
その子たちのような私でしたが
それを外に表現する子ではなかった。
だから私は純真無垢な子供たちを見るのが好きなんでしょう。
一生懸命な姿を観ると魂が震えます。
おとなしい私、
と、
純真無垢一生懸命な子供の心の私、
両方ともが私ですね。
二重人格でもいいか😁
たまに、貝のように大人しくなる私は、
扱いにくいのか、
あんまり広いお友達いないなぁ〜と悲しくなる時もあったけど、
それでいいか。
もうすぐ母と対面します。
心がザワザワします。
まだザワザワするんだ、私。
たぶんどこまでいっても根本は変わらない。
私には、きっと守ってくれる上の人たちがいる😊
守られながら、それにおごらず、素直な気持ちで、また前に進みます。
ありがとうございます!
こういうの、とても嬉しいです
人って、変わるところと、変わらないところがあるでしょう?
持って生まれた魂を原動力にして生きていくけれど、
様々な環境因子によって新しい自分が構築される。
親、兄弟姉妹、学校の先生や恩師、出会った本、時代ごとの友達、出会いと別れ、受験や就職、成功と失敗、結婚や出産、受けたセミナー、などなど、ひとりひとりが全く違う経験をして、同じ経験でも受け取り方が違って、新しい自分ができていく。経験をしてしまうとね、もう、元の自分ではいられないんだ。決してね。
啓発セミナーとかに行くとね、全面改革的にならなきゃ!っていう印象を受けてしまい、ちゃんと変われない自分の”あそこがダメだ!”とかになっちゃうのね。どうして変われないんだろう、変われない自分はおかしいんじゃないか、何か受け取り方を間違えているんじゃないか、感性が鈍いのか? こんな感じで自分の問題として捉えてしまう人は私だけかい?
最近やっと分かったこと
変わらないところは変わらない
それでいいんだってこと
内気100%が社交的100%にはならないんだ
内気60%+社交的40%を卑下する必要はないんだ
これだけでも凄いことだと思っていい。
26点/100点の科目が35点/100点になるだけでも凄いんだ。
褒めていいのよ。
卑下するのはね、
あなたの魂で感じずに、頭で考えているからだと思う
私、色々な学びから背負っていた荷物を降ろすことができて、ずいぶんと変わったけれど、変わらないところは変わらないんだ。最初は「まだまだだな」なんて思っていたし、なんで変わらないんだろう、なんで変われないんだろう、そう思っていました。でも違いました。
変わる必要が最初からなかったんです
「自分は扱いにくいのか、あんまり広いお友達いないなぁ〜と悲しくなる時もあった」って手記に書いてあったけど、私ね、それなりに人に知られるようにはなってるけど、いわゆる親友って、いないかも知れない。これを読んだ方の中で「あれ?私は親友だと思っていたのに.....」って思ってくれる人がいるかもしれない。そうだとしたらごめんなさい。名乗り出て頂ければ幸いです。というか、自分が扉を閉じているかも知れない。なんでも真剣に魂でぶつかり合う関係が親友だと思っているんだけどね、怖がりだから。。。できないかもしれない。でも、そんな開かずの間、あってもいいのかな。。。
親子って、
母子は胎盤でつながっていた
肉体はDNAを分けあっていて
たいていはずっと一緒にいて
もの凄く近い関係性だ
離れたとしても
想いはつながっている
けれども、
魂はまるで違うでしょ?
最も近い赤の他人が親子なんだ
だから面倒くさい
ザワザワするのは当然なんだ
《更なるお返事》
「変わらないところがあっていい」が、心に響きました。「扉を閉じてるのかもしれない。けど、開かずの間があっていい」!そうだそうだ〜!! そのめんどくさい親子関係の、めんどくさいところに関わるか、見守るに徹するか、の選択が、ザワザワします。ザワザワは当然。当然なんだから、逃げないように、ザワザワ感じます。また食欲がなくなり、痩せますわ😁
そうね、実に面倒くさい
でも愛している
無下にできない
でもうっとおしい
けど愛している
それが親子
とはいえ、
いい大人になったとしても、
親に対してはね、
自分がしたいようにして、
自分ができるところまでして、
できない所は誰かに任せる、
できない事はできないんだ。
それで いいんだ
癌で逝ったオヤジのことを思い出すな。。。
サポートで尋常ならざる無理をした。。。