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まぁーこういう仕事を始めてからかれこれ10年近くになるわけだが、ご相談の多くは「生きづらさ」を抱えていらっしゃるものだ。
様々な悩みや問題をご相談に来られるが、その根底にあるのがなんらかの意味での「生きづらさ」である。
生きづらさについては以前から何度もここで書いているのだが、まぁこれからもまた書くことだろう。
今日も書く。
私は生きづらさレベル鬼級だった者だ。
この世の隅々まで恨みつくした過去がある笑
だから生きづらさを感じていらっしゃる方のお気持ちはよく理解できると思っている。
まず、なんで生きづらいのか、それを大枠で話すと、自分の価値観や考え方と世間が合わないからだ。
合わないだけならいいのだが、世間様は世間様が正しく正義で善であるかのように暴力的に振る舞う。
じゃあ俺がダメってことじゃん、シュン・・・・となるので生きづらい。
もしくは、俺の方が正しいのに世間は狂っている!!となって自暴自棄になる。
みたいな感じがまぁ多いかなあ。
いや別にコレが全部じゃないのだが。
あくまで大枠だし。
じゃあこの暴力的に正しいっぽく振る舞う世間というものは一体なんなのかっつーと、意外とその実体はなかったりする。
そりゃ教育やマスコミやそこらで聞こえてくる浅い会話なんかを拾えば実体っぽく見えてしまうものだが、生身の人間としてとか根幹にある存在としてどこかに実在すんのかと言われると見つからないもんだ。
ほとんどは世間様という実体のないモンスターになんとなく翻弄されている個人の群れであり、誰も世間様という教祖に会ったことがない。
でも実体がないなら存在しないのかっつーと、あるから生きづらいし苦しいわけだが、じゃあその正体は。
これを今風に言うとという切り口で話せばいわゆる「集合無意識」になる。
意識がそこまで強くないと、基本的にはこの集合無意識に沿って生きることになる。
意識がそこまで強くないと、というのはどういう意味かというと。
出来事や現象に対してあまり興味や疑問を持たなかったり、喜怒哀楽の起伏がさほどなかったり浅かったりみたいなイメージかなあ。
ん-、これ誤解を生みそうだな。
喜怒哀楽がすごい強くて集合無意識に沿ってるケースも多いからなあ。
要は、自分とか自意識に対して強く意識が働いてると、集合無意識に違和感が出がちみたいなニュアンスで。
世間様という名の集合無意識に疑問を持ってなかったりそれなりに上手くやれてたりすると、まあそこまでこの世に生きづらさは感じないものだ。
が、集合無意識の形成する何かに違和感を感じるから生きづらくなるわけだ。
だって、世間様に合わせて社会が成立してるから。
が、その社会というものはいわゆる「システム」でしかない。
そうだな、例えばルールとか、ツールとか、そういった類のものだ。
なんかごっちゃになってる人も多いのだが、社会とはその実体はルールとかツールでしかない。
人の思いや心や感情はその上に乗っかってるもので、社会そのものはあくまでシステムだ。
で、生きづらいなあと言う方はぜひ、システムだけ利用させてもらうと思って見て欲しい。
図書館とか市民プールとかと一緒だ。
本借りようとかプール行こうとかそのくらいの軽さだ。
誰も図書館とか市民プールに対して人生を預けようとか真心でお付き合いをしようとは思わないだろう。
ただのシステムなんだから。
社会もそんなもんだ。
世間様と社会をまず切り分けろということだね。
言い換えると「集合無意識とシステム」みたいな感じだよ。
で、次に。
この集合無意識に対して、生きづらい人はずばり、グレろ。
集合無意識に迎合しようとするからキツいのだ。
グレりゃいいのだ。
別にシステムに対してちゃんとしてりゃ問題はない。
集合無意識に対して合わないんだから、そこはグレていくのだ。
ヤンキーになれ、である。
まともに会社で働いている風にして、内心はグレろ。
まともに主婦やってる風にして、大いにグレろ。
システムはあくまで人間として生きるツールだ、それはそれだ。
集合無意識にまで付き合う必要はなかろうよ。
あなたが知らないだけで、案外集合無意識ヤンキーは多い。
うちを読んでくださってるような方は特に多いもんだ。
孤独じゃないさ。
堂々、コンビニの駐車場でたむろしてくれ。
私もまた、集合無意識ヤンキーである。
なめんなよ、である。
以上、生きづらさを手放す方法でした。
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