かたつむりは、自分と家とでかたつむり。
つまり愛する人を背負ってふたりでひとり。
愛こそ住み家。
しかも「ツンデレ」だから、可愛くないですか?
笑。。。。つまりボクのこと。笑
いわゆる「ツンデレ」というのは、
恥ずかしさから、「陽性のふれあい(デレ)」と「陰性のふれあい(ツン)」が場面、場面で変わる現象です。
ふれあいには「陽性のふれあい」と「陰性のふれあい」さらに「条件付きふれあい」があります。
「条件付きふれあい」とは、たとえば「成績がよかったら欲しいものを買ってあげます」というように親の基準に照らして親にとって望ましい子どもだった場合に限定して、与えられるふれあい。
親はしつけのつもりでやりますが、これは望ましいふれあいではなく危険な方法です。
期待する条件に応えられないと「陽性のふれあい」の断絶が起こるので「陰性のふれあい」しか求められなくなります。
これが習慣化してしまうと劣等コンプレックスになり、成人してからも「陽性のふれあい」が苦手になります。
またそれ以外にも「陽性のふれあい」の体験が少なかったり、身近に見ることが少ないと、実感としてわかりにくいので、表現を抑えてしまうようになるので、その代わりに「陰性のふれあい」に走ってしまいます。
「ツンデレ」もその背景には謂れのない「自分なんか」と劣等コンプレックスがあり、「ふさわしくない」という思いから生じた「恥ずかしさ」があります。
この気持ちを知られたくないので、ツンの状態では反動形成でガードしているわけです。でも内心ではお手上げ状態なわけで、ツンデレの代表みたいな自分には、痛いほどよくわかります。
ツンもデレも両方ともに本当ですが、どちらかというとデレの方に本当の欲求があります。
だから素直になればいいんですが、それでは嫌われてしまわないかという不安があって、抑えてしまいます。
「ツンデレ」同士がくっつくことは難易度が高いといえますが、どちらかが勇気を出して相手をサポートして気配りを発揮すれば仲の良いカップルになれます。しかし気持ちだけで乗り越えるのには無理があります。
「陽性のふれあい」が苦手なのは、体験不足だけが原因ではないからです。「陽性のふれあい」を通して、人本来の自分である「無邪気な子ども心」を抑える習慣が身についてしまっているのが最大の問題です。
人には「親の心」「大人の心」「子どもの心」があり、「親の心」には「厳格な父親の心」と「保護的な母親の心」があり、親の心に反転するかのように「子どもの心」には「従順な子どもの心」と「無邪気な子どもの心」があります。
「陰性のふれあい」が日常的な家族の間で育つと「陽性のふれあい」が乏しくなるので、「陽性のふれあい」をしたいと頭で思っていても、「無邪気な子どもの心」が動かないので、「陰性のふれあい」に走ってしまうのです。
どんなに愛し合っていても「陰性のふれあい」しかできないと、冷ややかな関係になってしまうので、寂しくなり近寄ろうとしなくなります。
でも愛し合うふたりが、こんなことで別れるのは悲しすぎますよね。こんなことで傷つけ合うのを避けるためにも、解決の道をめざしましょう。
それがエゴグラム(自我像)による対策です。
(続く)