アサーティブとは積極的自己表現。


「いい子」と言われる痛みを手にしている人には苦手かも。


周囲を気遣うはじまりは、負のスパイラルに進化し自信を奪います。

自信のなさは、自ら人を遠ざけ、孤独感が高まります。

孤独感は「自分が受け入れられないこと」を恐れます。

恐れは、さらに「相手がどう感じるか」の優先が強化されます。


受け入られたいので、「偽物の自分を作る」のが上手になり、

言葉も、態度も、自分からは遠くなります。

ビジネスのように、うまくやります。



それを払拭するヒントは、あなたの昔。

小さなこどもの頃にあります。

小さいこどもは、「あたしはフジオちゃんが大好き」とか、「さびしくなるよ、もっと一緒にいたい」とか、「いやだ、そんなに怒ったら。ゆうこ、悲しくなるよ。」というように感情を“自然なこどもの心”から素直に表現します。


でも大人になるにつれ、素直に言わなくなってしまいます。

なぜでしょうか?

言わないことが成長だとでも考えているのでしょうか?

事実、そんなバカみたいなこと言えるか。という人も多いでしょう。



でも、そんなことはありません。

感情を表現するのは恥ずかしいことではありません。

感情はどんどん表現してもいいのです。


感情の表現をすれば、なにが起こるのか。

感情を言葉にすることで、話している人から、固有の“その人””人間くささ”が浮かんで見えます。

さらにボディ・ランゲージをすると、話している人から飛び出した固有の“その人”が相手に近づいていきます。


自然体のボディランゲージ

コミュニケーション全体の80%はボディ・ランゲージが占めるといいます。

言葉にしても通じない切実さがコミュニケーションの普通ですから、思いは言葉に積極的に変換しないとますます追いつきません。



勇気の用意をしても、ためらいと遠慮のせいで欠けた言葉の代わりに、複雑化した表情、仕草が補足してしまうと火に油を注ぐような混乱を示すので、相手は仮想を決め込んで断定する荒技を用いるようになります。仕草や動作は言葉と一体化していないと誤解を与えますが、作った自分は演技するタレントのように、うまくやってのける。


でも真実の場面には、ちぐはぐになります。


そんなあなたが知っておくことは・・・・

● 主語「わたしは」を使う

● 意見や価値観を伝えることで違いを知る。

● 違いを知った上で、共感できないか探る。

● 共感できるようになる、つまり互いの意見や価値観を尊重する

● 尊重したときに、合意する場合もあるし、しない場合もある

● 合意できない点について、互いに自分の意見を伝えあう

● 目的を共有する場合は、違いがあっても最善を求めていく自信がない、つまり自己受容ができていないと、意見を否定されたら、自分が否定されたと思いがちです。


自分以外の者を通して自分の思いを伝えようとするやり方には、無理があるので関係はこじれます。


なぜ、自分以外の者を通して自分の思いを伝えようとするのでしょう。


あなたが感情を隠し続けた結果、もうこれ以上は隠せなくなった感情がするのです。