お久しぶりになります。


本日は、とても素敵な日だった事を書き記させてください。



先日、僕達が東京で美容師の仕事をしている日に

高橋さんのお父様の訃報が届きました。


一年ほどの闘病生活をされていたのですが…


73歳で旅立つことになりました。



東京での美容師期間ではありましたが、

葬儀までの日を家族の方と連携をとりながらも、

目の前のお客様に集中して、いつものように素敵にさせていただきました。


おかげさまで、しっかりと切り替えた気持ちで葬儀を迎えることができました。


ありがとうございます。






今日は高橋家と僕の、

そして、その日までのお話をさせてください。







僕と高橋さんが出会ったのは2000年の夏でした。


2人とも22歳でしたね。


僕は髪を切るスタイリスト。

高橋さんはシャンプーやカラーをサポートしてくれるアシスタント。


そんな関係で始まりました。


見学に来た高橋さんを案内し、

会社説明会をしたのは僕でしたね。


高橋さんも中途採用でしたが、

僕も中途採用で、半年前に入社していました。



高橋家。

いわゆる、お義父様の兄弟構成は

四姉妹と長男一人。


長男であるお義父様 が一番若く末っ子なので、

四姉妹のお姉様たちがいらっしゃるという五人兄弟の構成ですね。


ちなみに、高橋さんは

兄と弟が一人ずついる三人兄弟の真ん中で、

川口市が実家です。


従兄弟もたくさんいまして、

従兄弟のほとんどが、高橋さんの年上の方達になる感じでしたね。




その従姉妹の中の一人、

僕達より四つほど歳の離れた女の子(ミキちゃん)が23年前に僕達の勤めていた美容室に来店してくれました。


ミキちゃんが高校卒業する時の話だったかと思います。



髪に悩みを抱えていたミキちゃんの希望は、

「髪をバッサリ切って人生を切り開きたい」

そんな強い希望を持って僕たちのところに来てくれました。


後にミキちゃんは海外へ旅立ち、今はアメリカで家族を持って生活をしています。



高橋さんの従姉妹のミキちゃん。

サロンまでも遠く、2時間近くはかかるのかな。

そんな距離の中サロンに来てくれました。


僕は高橋さんともまだお付き合いもしていませんでしたが、僕がミキちゃんを担当させて頂くことになりました。



ミキちゃんが僕のところへ来店した理由は、

高橋さんが

「凄すぎる美容師が私のサロンで働いているから、

絶対にミキちゃん素敵にしてもらえるよ!!!!」


と、

僕の事を絶賛している高橋さんの声がキッカケで来店してくれたのです。



当時、僕達美容師の世界ってのは

26歳くらいまではハサミを持つこともなく、

アシスタントとして修行をしています。


しかし、僕に限っては

当時まだ20歳という若さながらにも

ハサミを持ち、トップスタイリストとしてお客様を担当させて頂いていました。


高橋さんとは同い年ですが、


僕は美容に情熱を持っていたので、

当時からマイペースに美容を捉えている高橋さんとは、そんなに仲良くもなかったかとも思います。笑



高橋さんは、同い年の僕の実力に驚き、尊敬を抱いてくれてましてね。


ミキちゃんを店長や先輩を勧める事なく、僕を強く勧めてくれたようでした。



それが今に至る、最初の最初のきっかけだと思います。



ミキちゃんの希望に応えるため全力で素敵にしたのですが、

なんだかとても緊張をしたのを覚えていますね。


おかげさまで、本人史上最高の仕上がりになったようでした^_^



たしか、その日は夜の時間でしたので、

お母様が心配してお迎えに来てくださった記憶があります。

23年前のことですね。


それからミキちゃんが海外へ旅立つまでは、ずっと通い続けてくれていましたね。


先日、久しぶりに顔を合わせた際もそんな思い出話に花が咲きました。



そのミキちゃんが激変したのをお姉ちゃんのミナちゃんが知り、

僕のところへ来てくださりました。


ミナちゃんも大絶賛してくれて、今でも仲良くさせていただいています。


お母様も来てくださるようになり、

そこから次から次へと高橋家の親戚の方々に連鎖していきました。


従姉妹、兄弟、お母様、友達。


高橋さんの母、弟、またその友達へと。


紹介をしてくださいなんて一言も言ってもいないのですが、

知人友人関係全員を繋げると、

50人以上は広がっていったんだと思います。


そのほとんどを僕が担当させていただきました。


実際、その頃はまだ

高橋さんと僕はお付き合いをしていませんでしたが、

一つのキッカケから次へ次へと繋がっていきました。



美容って本当にすごくて、

どれだけ家が遠くても、

その力があるとこんなにも繋がり、次へ次へと増えていくような仕事です。


ありがたくも、そんな若き美容師でもありました。





50人ほど繋がりがあると、

ほぼ毎日、高橋さん繋がりのお客様が来店されていて、誰かを担当させていただく事になります。


高橋さんと打ち合わせをすることも多くなり、

高橋さんが僕のメインアシスタントに昇格していくのですが、


まだまだお付き合いはしていなく、

師弟関係のままではありました。




なんだか凄くないですか?


同じ歳の美容師同士なのに、

僕が高橋家のほとんどの方を担当したり、髪を通して携わらせて頂いたりと…


親友でも僕がカットするのです。

お母様の友人も、叔母さまたちの友人すらも僕が担当していました。


この業界の普通を言えば、

例え修行中だとしても、

知人であれば、高橋さんが髪を切るのが普通の事です。



だけど全て

「喜早さんが凄いから」

その一言が伝わり、僕へと指名が流れて来ました。


ありがたいことですが、

そのプレッシャーはとてもつもなく大きかったですね。



だから

毎回思っていましたね。


高橋さん自分で切れよ!



本当、これは僕の人生の七不思議。


いくら高橋さんが修行中とは言え、

普通に考えると、自分の家族、友人なら自分で担当しません?


僕に対して信用があるとは言え、同じ歳だし、店長も先輩もめちゃ居るんですよ。


ましてや、トークをする事を考えても、

僕じゃなくて、高橋さんとの方が盛り上がるでしょう。


だって友達だし、家族だし親戚ですよ(笑)



なんで僕が??


ってな違和感を抱きながら、

毎日高橋さん繋がりの方をこなしていたわけです。



皆様も冷静に考えてみてください。


「自分の社員がおすすめだよ!」

と始まって、


家が遠いにも関わらず、そこから次から次へと広がっていくのです。


僕はみなさんが初めましてだけど、

高橋さんは超顔馴染みなんです。


その本人も一応髪は切れるのに、

そこを飛び越えて僕が担当して、

カット中にトークをしたりして仲も深まっていくのです。


サロンでは高橋さんよりも僕との時間が長いから、

僕の方がたくさん皆様と深まっていくのです。




しかも、20歳くらいの若造美容師。

ほとんどの方が圧倒的に歳上なんですよ。


遠方からお越しで…


それって


めちゃくちゃプレッシャーだと思いません?(笑)


みなさん、今から親戚の勤めている同僚の若干二十歳の若造の所に、時間もお金も使って髪の毛を切りに行きます??


僕、見た目もめっちゃチャラかったんですよ。。



なんだかんだと、そんな風にして高橋家とも深まりまして、


それが今でも、従姉妹の方の息子さんまで切りに来て頂けているんですよね。


遥々と。

「喜早さんじゃなきゃ嫌だ」と。

高校生の子達が来てくれるんですよね。



そこまでの信頼を生むことへの苦労。


是非とも想像してほしい。(笑)


一人一人を点で見ると、僕との美容師的な繋がりだけですが、それを線で繋げるととてつもない事なんだと。






そんなキッカケもあって、高橋さんともお付き合いが始まったのですが、、、


しかし、

誰にその事実を言えることもなく、

お義母さまにすらも言えることもなく、、、



6年ほどかな。

お義母さまや友人にすらも、

交際は秘密の状態で僕は担当させて頂いていました。


親に6年も秘密にしてましたからね(笑)



だから、

この関係を伝えた時には大変喜ばれ、

歓迎して頂いたかと思います。



僕自身が自らの力で信頼を勝ち取ってある状態ですもん…

失客したらどうしようかと、他のお客様以上に不安でしたよ(笑)



だから、

お母様を今でも僕が切るし、

美容師としての始まりもあるからか、めちゃくちゃ仲が良いんですよね^_^



おかげさまで結婚までと進みましたが、

僕と高橋さんは23年間の超長い仲。


22歳の時から365日をずっと過ごしていて、

仕事中もプライベートも全て一緒。


美容のことも僕が教えてあげるような師弟関係でもあって。


高橋さんの繋がりのほとんどの方を僕が担当させていただいて。


「高橋丸ごと」

と言うのでしょうか、


とにかく長く、関係の隙間を全て埋め尽くしているような、

とてつもなく深いお付き合いなんですよね。


式はあげずに、2010年に籍を入れたのかな。



そんなルーツがあった僕達ですが、

自分を振り返ると思いますもん、、


すごく大切にしてきたなと。



美容師をしていたらそれなりに浮ついた話も生まれますし、


モテるなんて言いたくも無いですが、

ありがたくも、何百人と声をかけられるような人生でしたから。


女性、ギャンブル、夜遊び、友達付き合い、無駄遣い。


そうした事も一切なく、美容にひたすら打ち込んでいましたしね。


よくもまぁ、、、と

感心すらします。


僕に真面目さがなければ、成り立たないような気がしますよね。








今回は訃報ではありましたが、


葬儀中、

そこには僕にとってはとても大切な皆様との時間でもあって、

涙もありながらも、

終始笑顔の絶えない時間も過ごさせていただきました。


自然と記念写真も撮る事もあったり、

全員が集まって写真を撮ったり。


僕もいろんな場面でツーショット写真を撮っていただきました。


皆さんが仲良くいらっしゃる事。

「和やかに」

これって本当にすごい事だなと感動をしていました。



僕のブログを愛読してくれている方も多くて、

多大な心配をかけている事も実感しました。


「僕はちゃんと元気ですよ!」


本当に本当にありがとうございます^_^







お義父さま、お義母さま、

義兄、義弟、高橋さん。

そして僕。


親族の中での「高橋家」として参列。



とにかく素晴らしく、盛大なお葬式をあげさせていただきました。



言葉選びにも困りますが、

僕にとってはとても大きな感動をしましたし、

本当に最後まで素敵でした。



そして、


皆様とこうして集まれたこと。

皆様同士が仲良く話されている姿。


僕はいつも一人一人の方とのお付き合いがありましたが、

集まってみる僕からのその皆様の景色には、とても大きな安堵をもたらしましたし、


仲が良い家系だからこそ、こうして繋がりのある出会いがあったんだなとも思えました。


義従姉の方々を今でも僕が髪を切っているのですが、

同世代であるからこそのハーモニーはいつも楽しく幸せです。



だけど、もう50前後の歳なんですよね。


そしてその親にあたる義叔母さまたちも

あの頃から23年も経っているのです。




23年も前の話が、

今なおこうして続けられているということ。


普通に考えると、失客のように離れていくのが当然なのに、

皆様も年を重ねてここで笑顔で集まれていること。


下手したら、僕の美容師としてのことで

顔を合わせるのも気まずいかもしれませんよね。


これって本来普通のように見えて

奇跡のような話なのかもしれません。



もしかしたらこれこそが、

本来ある葬儀の大切な部分かもしれませんね。



先いく人を送り出す中で、

その送り出していく者たちの心がつながり、

優しくあること。

信頼し合えていること。


その繋がりが深く愛のあるものほど

惜しむ気持ちは輪となり強まるものですからね。



だからこそ、

今ある繋がりに愛を持って生きていたいと思えました。


大きな大きな感謝を抱くことができました。


本当にありがとうございます😊



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土曜日のお昼。


訃報が届いた時、

高橋さんは涙を流しながら僕に伝えてくれました。


仕事中ではありましたが、


「自分の判断で決めなさいよ」

「どの判断も全てフォローするから」

「今から行って来ても良いし、すぐに駆けつけてあげるからね」


と。


この覚悟は常にしていた事ですので、

その時おりの判断を優先しなさいよとはしていました。


家族と話し、

高橋さんは仕事に集中し、皆様を素敵にしていく事を選んだようです。


この辺りはいつも話して来ていることですが、

僕たち美容師はそうした時に判断が必要となります。


皆様のスケジュールの変更をする事は

非常に難しい事なんですよね。


髪のことくらいとは言われますが、

全てのお客様を都合の良い日に調整し直す事は無理に等しいものです。


次の週もいっぱいになりますし、

他のスタイリストが補うとしても、誰も空いているわけではありません。


人気サロンの宿命とも言えるのかもしれませんが、


事実、

来週からの空きも一切ない感じの状況です。



こうした職種である事の宿命。

人気サロンであるからこその宿命。



それを自覚しているからこそ、

体調管理にもシビアですし、

その時その時に対しても常に全力です。


冠婚葬祭は常に駆けつけるように背中を押していますが、簡単ではない職種であるのは変わりません。



だからこそ、僕は声に出しています。


一つ一つ真面目であれば

何も焦ることもなく、慌てる必要もありませんよ。


と。


目の前のことを大切に。

今あることに感謝。

生きているうちに孝行。


僕はこれだけだと思うから。



その後はその後で全力で目の前のことに目を向けていけたらと思ってはいます。



だから、「生きているうちに」を大切にしたいですし、

やれる限り、僕なりには誰に対してもその気持ちで後悔のないようにしていたいのです。



高橋さんもそう判断したようですし、

お義兄さん、お義弟さんが中心に、式までを完璧に整えてくれていました。


お通夜、告別式共に美容師の仕事のない日でもありましまので、

気持ちよく参列させていただくことができました。



ご兄弟の素晴らしい姿にも大変感動しましたね。


それがあってこそですから、

本当に感謝しています。



訃報が届いた夜、遅い時間ではありましたがお義父さんのところに駆けつけました。



僕はお義母さんと会った時

何声をかける前にハグをしていました。


マナーある言葉もあるのかもですが、

そんなのを飛び越えている関係に僕はありがたく思います。


僕が言うのもなんですが、

お義母さん、僕のこと大好きだと思うから。

これから先の時間をたっぷりと幸せにしてあげたいなと思っています。



お義父さんにはbelog 設立の時を陰ながら支えていただけた事。

僕へ信頼を寄せていただけた事。


本当に感謝しています。



強く強く、本当に最後まで強いお義父さまで、

痛みも苦しみも一言も口にしなかったそうです。


市長さんも来ていただいていたようですが、様々な場面で地元の為にとご活躍されていたそうです。


言葉を語らずして行動で表すような真面目な方でしたね。


そんなお義父さんが、

数年前、お義祖母様が亡くなった時、

涙を静かに流している義父さんの背中を見て

とても感極まった事を思い出します。


その時、

お義弟に声をかけました。


「父ちゃん、いつも弱音吐かないで強いだろうけど、絶対にあの姿を忘れるなよ」


と。



どれだけ強くても

どれだけ強がっても


弱くなる時はあるものです。



そんな時に

「あの人は強い人だから」

過信するのではなく


「あの人だって弱いところあるはずだよね」


なんて

弱さを認めてあげることから

内なる優しさと強さ、弱さにも触れ、

その人の全てを知っていけるような気がします。



僕は皆様から見たらとても強く見えるでしょうが、

実はとてつもなく弱い。


子供の時からとてつもなく弱いから、

強く生きなきゃと、強く生き抜いてきたんだとも思います。



「根性だけは誰にも負けない」

なんて言葉がたまにありますが、


僕はそんな根性すらも、誰と比べた事もありません。


僕が僕に対して出している根性なだけで、

僕が僕に対しての愛であり、

僕が僕に対しての尊厳だと思っています。



「君たちはどう生きるか?」


そう問われた時に

少しでもクッキリと輪郭を持った意思を持つことができていれば、

きっと、何が先に起ころうとも後悔のない生き方になる気がします。



そして、


常に目の前のことに真剣に愛を持って行動を選択し続けていたら、

何があっても慌てる事なく、線の繋がりの先にある出来事だと捉える事ができ、対処に悩む事も苦しむ事もない気がします。


気持ちがあれば

繋がっていくということ。



僕はそう思っています。



だから

僕たちは美容師。


人と密接になりやすい職種だからこそ

目の前の方を大切にしたいし、


そんな自分たちだからこその餞がある気がします。



お義父さんの心意気を大切にして、

僕にも繋がりを持ちながら線を描き続けさせてくださいね。





ゴルフが大の趣味でしたので、

これからも思う存分楽しんでください!

きっとハイスコアを更新し続けるのではないでしょうか(^^)


本当に最後までありがとうございました!!





皆様にも改めまして


僕との繋がりを持っていただき、

本当に感謝しております。




先日も病院に行き検査をしてきましたが…


また新たにと病も増えてしまいました。



こうした日を迎えると、

時間には限りあると感じます。


体の許す限り、

皆様を笑顔にさせてくださいね!