おはようございます。
神戸・明石校 萩野です。
師走となり、何かと慌ただしい年の瀬です。
例年にない寒さも続いておりますね。
とうとう我が家にはこたつが登場しました。
こたつ に みかん。すっかり冬の装いです。
ーーーーーーーーーーーーーーー
お母さんの訴えです。
子どもがやらなきゃいけないことを「分かっているはず」なのに、
お母さんの促していることを子どもが「やってくれない」。
つまり、
子どもがわかっているはずなのに行動にうつしてくれない、という訴えです。
背景には、
他の場面では行動できていたり、
言語的な発達の遅れがはっきりとは見られなかったり、
「理解ができている」と思われる表れがあるのだろうと思います。
でも本当にわかっているのだろうか。
その視点に立つ大切さを痛感しています。
本当にわかっていたら行動しているのでは?
もしかしたら、の視点。
「分かっているのに」となると、すぐ様怠けやわがまま、甘えとするのは違う。
例えそうであっても、
その表れには意味があります。
「分かっていない」(理解できていない)かもしれない。
「分かっていても」できないのかもしれない。
例えば、
理解の仕方に偏りがある。
言われた後に何らかの刺激が入ると、忘れてしまう。
マイペースで、分かっていても大人の思うタイミングでできていない、と判断されていることもある。
しんどいことはやりたくない、やる気にならない。
何かに没頭していて切り替えができない。
いくつもの~かもしれないを紐解き、行動・表れからの理解を深めていくことで、
手立てや支援が見えてくる。
子どもの発達と育ちに寄り添ったものであるように。
見つめる側の自己満足で終わらないように。
何度も何度も繰り返し深めていくことの大切さを感じています。