少し、過去記事に戻ります。

 

最近入っていたメッセージに、偶然ですが

 

「子供に教えたり・伝えたりしているけれど、理解通じている感じがしない」

 

「小学生の子に説明したら、トンチンカンな返事が返ってきた。理解力がないのだろうか。」

 

「絵で説明したけど、子供はうーん、と納得した感じがしなかった。何が悪かったのか。」

 

などの疑問をお持ちの共通点を見つけましたので、「これかな」と思う点を書いておこうと思います。

 

過去記事に一度書いたことがあるのですが、発達障害の子は独特の思考回路と価値観を「持って生まれます」。生まれながらに備わった考え方や思考の癖は、とても偏っています。これが自閉や発達凸凹の特性の特徴で、生まれた時が素の状態です。

 

私達が経験してきた感想からいうと、生まれた時は自閉全開の子も発達凸凹がきつい子も、親に限らず大人と「つながって」いろいろと学んだ結果、偏った考えに「情報や知識」がつき、「自分はこういう風に考える人間だけど、他の人は~という風に考えるんだ」という非定型と定型の思考回路を並行して理解していくようになります。

 

そうすると、定型社会での人付き合いに次第に摩擦が起こらなくなり、自分らしい生き方を追求できるので、定型の人たちの人生の線路をたどることなく、定型の人間に擬態しようともせず、非定型の自分が社会で暮らしていくためのストレスのない進路、人生(就職・結婚を含めて)を歩むことができるようになっていると思います。

 

その出発点として、発達障害の子達はどうしても「定型の人の考えや情報を輸入する」という、情報の取り込みが必要になってきます。その情報の入力・取り込みの過程でどうしても必要になってくるのは、

 

・発達障害の子供の思考回路・価値観で定型のしつけを説明してくれる人

 

・発達障害の子供の思考回路・価値観で定型の常識や考え方をわかりやすくかみ砕いて解説してくれる人

 

・乳幼児期に、発達障害の子達でもストレスが少ない「環境調整」などで、座って話を聞く、並ぶ、などの基本を教えてくれる人または場所(療育園など)

 

などでしょうか。

 

発達障害の子が定型の思考回路や価値観を必死で想像したり、予測したり、言葉を頼りに理解しようと努力しても、考え方や価値観が大きく違うからわからないし、定型の発想は突拍子もなくて理解しづらい」という点が大きな壁になっているのが乳幼児期、児童期(小学校時期)です。

 

幼稚園の先生や小学校の先生、定型のご両親が必至に訴えて教えても、ちっとも理解できないのは、「定型の当たり前、という定型文化ありきの発想に基づく説明の仕方で説明しているから」であり、

 

・相手がアメリカ人やイギリス人、アフリカ人でも、その説明で理解できそうか?

 

・相手がどの国籍のどんな異文化を持っていてもわかるように、説明しているだろうか?

 

・「同じ人種で同じ文化を共有している」という思い込みで「生まれたばかりの乳幼児」に接していないか?

 

ぐらいの距離感をもって、子供に対して説明した方が絶対的に上手くいくと、経験上思います。

 

私達にも定型の親族がおり、結婚したパートナーさんは定型の人というケースもあります。その結果、上記のように「異文化」としてとらえて、互いに説明ができると成人の発達障害がある者同士は上手く生活していけます。

 

また小さいころから、親族の親たちは定型の子と自閉・発達障害の子を同時に子育てしている経験者も多いので、「この子は日本的な思考回路の子」「この子はどちらかというと海外的な思考回路の子」など、兄弟姉妹でも全く違うタイプと分けて、説明も変えていることが多いです。

 

過去記事で取りあげた記事は

「相手の気持ちを考えなさい」と言われると「自分の気持ち」に戻る発達障害の子。

 
という記事です。定型の「普通」といわれる大多数の人が親から代々教えられてきた方法であろう、「あなたが人にされて嫌なことは相手にもしてはいけないよ。」という定番のしつけの仕方は、発達障害の子には何の学びもない、という例でした。
 
発達障害の子の思考回路や価値観を「異文化」としてとらえている場合は、言わんとしていることがわかると思います。
 
一つ極端な例に例えると、
日本人が平気で音を出してうどんやラーメンをすすっていると、アメリカ人やイギリス人、海外の大勢の人は「なんて下品な!音をそんなに立てて食べるなんて、行儀が悪いにもほどがある。マナーがなっていない!」と感じ、一生懸命音を立てないようにしつけてくる感じです。

 

大勢から言われてその場で静かに食べたとしても、その後はスルーするのではないでしょうか。「日本では音を立てて食べるから」と取り合わず、相変わらず家や日本のお店では音を立てて食べるのではないでしょうか。

 

相手が嫌がっているから、やらないのであれば、場所がどこだろうと「音を立てて麺を食べるべきじゃない」のが世界基準です。でも日本人は、全く気にせず日本で「音を立てて食べる」ということ、これは極端にいうと海外の大勢の人からは「少数派」と見られて、言っても聞かない人種、昔から今もずっと、音を立てて食べる変化のない人たち、というカテゴリーに入ると思います。

 

ちょっと説明が悪く、例も悪くて申し訳ないのですが、発達障害の子の立場も同じようなものです。いろいろ親や先生や友達から言われるけど、叱られるけど「自分は変える必要はないと思っているから」自分流を続ける、というのが基本にあると思います。

 

ですので、定型の親が「あなたがされて嫌なことは、相手にもしちゃだめ。」と説明したとしたら、発達障害の子は「相手が嫌がっても自分は嫌じゃない、むしろ嬉しいことだからやってもいいよね。」と逆に人が嫌がることを自分は平気だから・嫌じゃないから「やってもいいんだ!」と自分の頭の中で変換して理解している場合もある、ということです。その結果、親にしてみたら「なんでわからないのよ!」と憤慨しそうなぐらい、子供はケロッと嫌がることをやってみせます。

 

ここでじゃあ、どうしたらいいのか、ということですが、定型の思考回路や発想、定型の先祖から教わった「常識」で発達障害の子を育てようとすると、だいぶはずして空振りする可能性が高いので、それは本当に苦労するだけ、徒労に終わるのでやめておいたほうがいい、ということです。

 

外国人を日本人の常識で育てようとしても、生まれながらに「違う」部分を持っているので、上手くいかない、という感じです。

 

ですので、乳幼児期に発達専門のお医者さんや臨床心理士さんが、ちょと発達障害の子を見ただけでなぜ「特性持ちだな」とわかるのか、というと「そもそも、発想が違うから行動のすべてが定型とは全く違うパターンを行くので」見ているだけでわかる、という部分があるのではないかと思います。

 

その非定型的な行動がたまにだったり、数少ないと「ちょっと変わってるだけ」だと思いますが、行動のほとんどが「定型と異なる発想で」展開されているとしたら、異文化を持って生まれてきたな、と思って育てたほうが、問題なくすくすく育つので、定型のしつけや教育の幼稚園ではなく、非定型の思考回路で教えてくれる療育園などを早期発見・早期療育としてすすめる、ということが出てくるのだと思います。

 

定型流の説明やしつけの仕方で何年頑張っても成果がでない、となると、振り返ってみて、「非定型の思考回路につながる」療育園的なやり方に変えると、すっと子供たちが理解しはじめる、ということは多々あります。

 

療育園では何でもできて問題なく見えたのに、幼稚園に入ったらあっという間で何もかもできなくなって荒れてしまった、というのは「自分の国から、幼稚園という外国にいきなり引っ越したから」というのが理由であるかもしれません。

 

非定型流を前提にルールを教えてくれていた療育園という組織と、定型流のみを前提として教育している幼稚園では、組織の在り方自体が全く異なるからです。前者では理解できたけれど、幼稚園の先生の説明では何一つ理解できない、ということがあっても不思議ではありません。外国人が日本人オンリーの幼稚園では苦労するのは当たり前な状態なのだと思います。

 

非定型の、発達障害の子達の思考の癖や考え方は、このブログにもずっと書いてきましたが、今ではたくさん本が出ています。療育園も「親が理解できる」ようにたくさん環境調整の実例などを教室内の整え方などが見れる状態にしてくれたり、どういう生活環境が落ち着くのか、話が聞ける状態になるのか、などヒントを与えてくれます。親が療育園を見て家に応用したり、似た環境の幼稚園を選ぶなどすると、発達障害の子は落ち着いたり、上手く進路を進んでいける可能性は実際に高いです。

 

また、発達相談センターなどにつながると、たくさんの保護者の会や学習会、講演会などの情報も得られるようになり、具体的な対策の学びもできるようになってきています。

 

定型の親が兼ね備えている「こちら側、世界から見たら日本の国の特殊な、日本でしか通用しないような習慣や常識」を、「世界のどこかで生まれるはずだった異なる異文化のバックグラウンドを持って生まれた漠然とした子」として、発達障害の子を見たなら、ずいぶんと上手くいくケースも増えていくのでは、と思います。

 

親族は、よく「学校」という場所のことを、親族の子達に説明をするときにそうした思考回路で説明していると思います。最初は幼稚園。幼稚園のルールを守れず、自分流に過ごそうとしている子には、例えば

 

「ここは幼稚園だから、幼稚園で一番偉い園長先生が決めたルールで過ごす場所。好きに遊びたいなら、ルールを守らないなら出ていくのはあなたです。ほかの子達全員が守っているルールをあなただけが守らないのだから、あなただけが叱られて、あなただけがここにいられなくなる。それが嫌なら、みんな全員が守る幼稚園のルールを守って少し我慢をして、遊ぶ時間に思いっきり遊ぶ、ということをしなさい。全く遊べないわけじゃない、遊ぶ時間、という決まりが幼稚園にはあるだけだからね。」

 

と、「幼稚園の遊びには時間制限がある」というルールを幼稚園カテゴリーで説明しています。幼稚園という外国では、その国のルールを守ればそこにいられる。守らなければ自分の国(家)で好きに過ごす必要がある、外国の人(幼稚園の偉い先生や大勢のお友達)がたった一人の〇〇ちゃんのために、外国(幼稚園)のルールを変えることは絶対にない、というような把握の仕方を、発達障害の子はしていくわけです。

 

定型の子はそうした説明はいりません。ここではこうだ、と言えば、「遊び時間は終わりです」といえば、すんなりお教室にもどります。非定型の子は「なぜみんながそういう行動をするのか」すらわかりません。ここではこうだ、の部分を、かみ砕いて「幼稚園(外国)に来ているから、幼稚園のルールがあり、それを守ることが、ここにいる条件なのだ」という所まで説明してあげる必要があります。

 

会話が成り立たないことも多いので絵で説明しますが、その絵が「定型の思考回路に基づいた説明の絵」だと理解できません。非定型の、発達障害の子が「なるほど」と理解できる、非定型の思考回路に準じた説明の絵である必要があり、「絵で描いても通じない」のではなく「絵で描いている内容が、定型流すぎて理解できない」場合があるケースも見られます。

 

たまに定型の親族が子供のしつけにつかう絵での説明書きを書いていて、非定型の親族に

 

「その内容じゃ定型流すぎて発達障害の子にはわからないと思うよ」とつっこまれて、

「あ、そう、じゃあもっと具体的に書いた方がいいのかな。」

「その通りにして、子供に何のメリットになるか、がぼんやりしてるから、わからないまま聞いて流して終わりそう」

「それより、みんながなんでそんな風にしてるのかの理由をもっと説明してあげたほうが、ほかの子の行動の意味がわかって喜ぶんじゃないの」

 

などというやり取りをしています。絵で「伝える内容」こそが、子供に通じる内容に仕立て上げているか、が大事なのです。

 

こうして説明していけば、小学校、中学校も幼稚園と同じように場所とルール、すべきこと・すべきでないことを理解しますし、水族館などに連れて行くときも楽になります。「その場所独自のルールがある、全部僕・私と同じルールじゃないんだ」と気づくのです。

 

自閉・発達障害の子は自他の境界線がないまま生まれている子が多いので、自分のルールが世界のルールだと信じて疑いません。そこを崩していくのに必要な「思い込み崩し」「自他の境界線を持つ練習」でもあるわけです。

 

過去記事を利用して再度、自閉・発達障害の子がすんなりと「自分以外の場所、人」を理解していく方法について書いてみました。

 

非定型流の思考回路や異文化を理解するヒントとしては、上に書いたように療育園や発達相談センターの勉強会、親の会の学び会やたくさん出版されている本を利用されることをおすすめします。

 

発達障害の子が理解しやすい説明の仕方や環境の整え方について参考になりそうな本の例を下に出しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも私のブログ内のテーマ「書籍」に本は紹介してあります。

 


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