久しぶりに不登校の親族の子の話を書こうと思います。

 

この間、不登校中の子が主に集う学習会の持ち回りを我が家が担当していましたが、その時に報告に来てくれました。この子は都心に住まう親族の子で、小学校5年ですが、不登校は3年生からです。原因はいじめ。登下校中にからまれる、クラス内の教材(お習字道具、図工用品、作品)の盗難や壊される、といったケースが頻繁にあり、それを確認したころから親が自主的に登校を取りやめました。

 

一度は登校を再開したこともあるのですが、大人がいない場所で何かされたようで、Tシャツの背中部分に靴跡がくっきりとついていたことから親が二度と行かなくてよいと言い切り、学校へは登校しなくなりました。いじめられていた期間の様子見、というのを親がしないタイプで、あきらかにいじめである、という証拠品がいくつもそろった時点でさっと不登校に突入させたので、子供が悩んだり苦しむ期間が短かった、というのが幸いしたのか、精神的な打撃は最小限ですんだようです。

 

先生方はとても心配してくださり、見守りなどもしてくださいましたが、悪意のある生徒の方が上手だっただけで、親は「しょうがない。そういう年齢なのだろう、運が悪かった。」と割り切って、先生方にもそう説明し、あっさりと親の希望でフリースクールなど学校に通学が認められる機関も探すので時間をくださいと交渉し、学校から「来なさい」とせかされることもなく不登校に突入しました。

 

平日に動ける自由時間に私達の住まう田舎に来て農作業に参加したり、秋口は稲刈りの経験もしましたし、先日は芋ほりもして帰りました。都心の方でも教育センターの不登校の子が参加できる学び教室に出かけたり、個別指導塾の早い時間帯に通ったり、科学センターや博物館に行き、やりたかった実験教室などをじっくり体験したりと活動的な不登校をしていました。

 

ただ、地域の小学校というのはある程度やっかいです。いじめというのは、学校内だけではすまないこともあります。近所に住んでいる子達が同じ小学校に集うわけですから、粘着質ないじめのターゲットに合うと、街中でわざわざ、待ち構える、という卑怯な手を使うこともあります。この子の場合はこうした「近所で待ち伏せされる・自由に出かけられない」事のほうが打撃で、非常に落ち込み、そこから家を出られない、というケースに深刻化してしまいました。

 

両親は共働きで、この子は一人っ子だったため、いつまでも親が交代で有給を取れるわけでもなく、塾にしろ不登校の子のための勉強会にしろ、通うには近所を歩かなければならず、帰宅時間に待ち伏せされたら、と思うと行けない、という状況になり困りました。いろんな方法を考え、ファミサポにお世話になることにして、料金はかかるけれど通う先にお迎えに来ていただき、親が仕事がおわるまでファミサポのご家庭で過ごす、という方法を取りました。

 

問題は「地域の学校へ戻る」ということが親にとっては、この子には危険度が高いと判断したことで、小学校から中学までの地域の学校へ進む道は選べない、という点にありました。かといって私立、というタイプでもなく、発達凸凹がありスローな部分を持ち合わせており、通級で補っていたように、得意な科目はついていけましたが、不得意な科目については一斉に授業が進んでいく中をついていく実力は足りていません。学習範囲が教科書以外に広がる情報量過多な私立の学習はこの子には負担なので、本人のペースを大事にしてくれるフリースクールなどが向くだろう、と考えました。

 

ただそれは、本人が安全に外を歩ける、という条件が必須です。こういうことをあまり想定せずに家を購入していたため、やすやすと引越しをする、ということができかねていました。八方ふさがりに感じ、一時的にマンションを借りてそこから通学するか、なども考え始めました。あるいは、うちの田舎の親族の家に居候しつつ、田舎の学校に通うという手段もあります。ですがこの子は「親と、できればいたい。いつも自分を守ってくれるし、安心できるから。」と言いました。親もその気持ちに応えたいと考えました。

 

家を出れなかった期間が約半年、ファミサポさんにお世話になりつつ、不登校者のためのサポート機関にあちこち行くようになったのが約1年、つまり4年生は全く学校に行っていません。5年生になった今年も学校には行けず、親が考えていたように地域を離れ、親の会社がある地域に本人が小学校、中学校と連続して通いたいと思えるようなフリースクールがありましたので、その近辺で賃貸の仮住まいを探しました。親のどちらかが交代でそこから会社に通いました。フリースクールは早めに終わってしまうため、ビルの中にある民間の学童にあずかっていただく手配もしました。これも親の会社が見える距離なので子供は安心しました。帰りはどちらかの親と共に帰宅しました。

 

問題は長期のお休み機関なのですが、この子のフリースクールはお休み期間中も通えるようになっており、親としてはとても助かりました。仕事しなければ子供のサポートができない、という経済状態にもあったので、仕事と子どものサポートは両方ともに大事であり、また親にとって仕事とは自分のための楽しみでもあったので、辞める、ということができずにいました。子供はそれを了解し、仕事があるから家族が生活ができる、ということを理解してくれました。家族として一致団結して動いたのは、この頃が最も濃厚だった、と親は言います。

 

フリースクールは、遅れている勉強をフォローすることや、学校に行けない分の出席とみなすこと、学校へ戻れるようにすることなどが目的で運営されていますので、そこに集う子供たちや保護者から、いろいろと情報が入ります。少し離れた隣の県ですが、私立でもなく地域の学校でもない、独自経営のNPOのような学校があり、そこはいろんな学生が集まっている、いじめは厳格に許さない所なので安心じゃないか、という話を聞き、見学ぐらいはしてもいいんじゃないか、と出かけて行きました。

 

一風変わったその学校は、いろんな生徒が集まっていて独自の教育をされていました。親としては特に嫌な感じもしないですし、元気に子供たちが過ごしているならいいんじゃないか、というぐらいの感想でした。子供の感想も、やってることやスケジュールの内容がちょっと変わっているし初めてみることも多いけど、自分が行ってた小学校みたいな嫌さはないから大丈夫、というので、この学校に通ってみるか、ということになりました。この学校なら自宅から通えます。朝早く家を出て電車に乗り、帰りもこの学校は預かりがありますので遅くまで残れます。親の会社が終わる時間に駅で待ち合わせて帰宅できるので、地域でまちぶせされていじめられる隙がなく、好都合でした。

 

途中学期からの入学もOKなので、早速通い始め、その感想を田舎まで遊びがてら話に来てくれました。この子の笑顔が見れたのが幸いです。いじめられる側というのは、とにかく自己肯定感が下がることが多いです。暴力や破壊行為があったならそれは相手が加害をしたということなので、証拠的にも相手が悪いのだ、と言い聞かせても「なぜ大勢の同級生の中で自分がターゲットにされたの」という部分で、同級生の誰よりも劣っているからでは、欠点があるからだろう、という自己卑下がどこかで働くのかなと思います。

 

以前こうした記事を書いたことがあります。<自己肯定感が高い子は指導が入りやすく、自己肯定感が低くなった子は指導されても受け付けない。

 

この子の場合、幸い、いじめに遭っていた期間を親の英断で短くできたため、その部分で悩み苦しむ期間も短くすんだように思います。思い悩む時間が長くなると、じわじわと心の中を汚染していくかのように、自己否定のシミが広がってしまい、回復に時間がかかるというのは不登校経験者の親族の子達やそのサポートをした親たちに相談して聞き出していたのが、決断の後押しとなり、結果は今回は良好となったのだと思います。それでも学校外で怖さを感じる、という思わぬアクシデントもあり、不登校の期間は長引きました。

 

今の学校はいろんなことができるので楽しいそうです。学年が入り混じることも多く、保護者さんがお手伝いに来ることも多いようで、子供たちだけでよくありがちな陰険なムードになるとか、ちょっかいかけられるとか、そういうことが少なく、あまり気分的な負担がないということでした。とりあえずは小学校を終了し、ここで中学まで進む可能性が出てきています。

 

この家族の優先順位は、子供が一日も早く、平々凡々とした学び舎に通う生活が送れること、だったので、いじめの追究や相手を罰するだのということに全く時間をかけませんでした。そこは一刀両断というか、先生という大人をなめている時点でどうにもならず時間がかかるだろうと察して「無駄な時間を他人の子に費やすより、自分の子のためだけに時間を使う」とはっきりと目標を決めて、子供の安心できる場所探しを猛烈に展開しました。あとは今もお付き合いのあるファミサポさんや民間の学童など、手助けいただける場所はいくらでも利用して仕事に支障がないように回す、という大人側の事情も大事にする、親が犠牲にならない、ということも案外クールにやり通したと思います。

 

結果的にはどの家族のメンバーにも負担が過剰にかかることなく、それぞれの家族ができる範囲で協力し合ったので、結果が良好になったのかもしれません。家族というのは誰かがバランスを極端に崩すと、それを補おうとする人で力がある人、能力がある人が頑張りすぎて家族全体が疲弊する、というリスクもあるのですが、介護と同じく、人間は疲れもし心身に限界もあるのですから、大人であっても無理はしない、自分の身は自分で守るという大原則を守ることが結果的に家族を長く支えられるコツでもある、と今回のケースではしみじみ思います。

 

とりあえず、一歩は踏み出せたよ、とても楽しいよ、と笑顔で話すお子さんを満面の笑みで見守るお父さん、お母さん、よく頑張ったなぁと思います。道はいずれかにつながっている、苦しい場所で途絶えることはない、という現実の結果を、不登校のみなさんの希望にしていただければと思います。

 

 

 


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