久しぶりの記事の更新です。下書き状態の記事の中で、今日はこちらを選んでアップしようと思います。

 

発達障害、というと定型の大勢の人々にとっては、ある意味「未知の世界」と感じることもあるのでは、と思います。親である母や父でも、わが子の反応が理解できない、言ってることに賛同できない、その言動が信じられない、などびっくりすることの方が多いと思います。

 

それというのも、発達障害の子達の「発想」や「心の在り方(感じ方)」が、定型の大勢の人とはかけ離れていることも多く、また子供時代ほど「成長前の未熟な生まれてほやほやの、養育されていない母から生まれてきたばかりの本能の状態」であるので、その特性の際立ち方も強く、余計に理性的な親ほど抵抗感や違和感を感じるのだと思います。

 

そう考えると、定型の赤ちゃんや乳幼児はものすごい成長を成し遂げて生存する0歳、1歳、2歳なのだと思います。誰からも学ぶことがまだできないような年齢でいて、すでにこの集団世界で守られ、生きていくだけの器用さを日々、自分から備えて行きます。発達障害の子は生まれたてはそのような能力を備えていない子が多く、学ぶよりは「身構える」ことが本能的に優先されている気もします。自分の身の安全、変化を受けたくない・余計な刺激を受けたくないことから身構える、そんな感じです。それが泣き止まない、知らないふりをする(見ないことにする)、自分の中の世界に閉じこもり快適さを保とうとする、そういう行動になるのかもしれません。

 

さてそんな生まれながらの特性を持ってこの世に誕生する発達障害の子達ですが、同じように感じ同じような思い込み(価値観)を持って生まれているわけではありません。親族の子達も、生まれてきたときからその中身は十人十色です。同じ診断であるからといって、同じ性格・性質・思考であるわけではありません。例えばですが、こんな違いがあります。

 

ある子は、

 

自分のために身の回りを整えろ、片づけろ、勉強しろ、しっかりしろと言われると全くその気にならない。ずぼらで、やる気スイッチも入らず「だらしない、快楽主義で努力を全くしない子」と判断されがちな性質を持ちますが、「誰かのために」ならスイッチが入りやすく、本人も成長するにつれそれを自覚し上手く世渡りしている子がいます。

 

この子は幼稚園で、同級生の顔も名前も覚えず、与えられた指導であればこなせるけれど、自分から発語する気はなく、たまに常識外れのへんてこりんな言動をする変な子、という扱いでした。与えられた課題はする、けれどそれ以外では「自分の関心があることのみ」にしか動こうとしない子が、いつまでもお弁当を食べられずにグズグズと泣いている同級生には、遊び時間も遊ばずに、食べさせてあげるなどの「珍しい行動」を取る事がありました。

 

小学生時代は、メンタルに波があることもあり、同級生の中でも浮く存在でしたが、怪我をした子には誰よりも早く寄り添い、それがクラスで疎まれていたりいじめにあっているような子であっても平気で、つまり本人はそんなことには気が付かず、気づいていてもだからどう「一般的な同級生ならどう協調して行動するのか」を知らないので、単独でさっさと寄り添って保健室へ連れて行く、そんな子でした。口の悪い当たりのきつい同級生でも、図工の時間に彫刻刀を忘れたら、貸すと不便なため皆が渋る中「これいいよ」とあっさりといくつかを貸し出す、「いつもきつく当たられているお前が貸すのか!」という同級生の無言の驚きを物ともせず貸し出す、そんなちぐはぐな行動を取ります。

 

小学校高学年になる頃には、この子の評価は「変な子」ではなく「独特な、でも優しい子」に変わっていき、本人も多少は自覚するところとなりました。人の心の機微や協調性は感じ取ることはできないけれど、本人曰く、「自分がいつも小さいころから困っていたから、それと同じ目にあっている人のことは(経験上)見ていてわかる。嫌だろうな、と思ったから手助けしただけ。」で、それは本人にとって「お礼を言われたり、嫌な相手がそれほど嫌なことをしてこなくなったり、メリットがあるしいい事のほうが多い」のでやっている、ということです。

 

発達障害の子は、定型の人が一言でいう「優しさ」とか「思いやり」の概念は理解しにくく、心が鈍いのかもしれませんが、こうした「実地で体験したことから自分なりに感じて・考えて行動していく」という、経験から理解したことなら、それを糧に成長していくことはできます。ただ、そこには「支援」という補助があった、ということが大きいのも、一つ言及しておきます。

 

家庭でのバックグラウンドを話さないと、この子の「自ずと動ける、自発的な勇気ある、ある意味親切な行動を取れる」凸部分の性質が伸びた理由を見落とします。この子は一番最初に書いたように、世間一般での評判は低い、努力しない好き勝手する子、というような幼児期を過ごしています。ですが家庭では、親はこの子の「他の人のためなら動ける」部分を最大限に評価していました。なぜなら、それは親にとっても難しい、やろうという発想が出ない行動だったから、というのもあります。両親は特性持ちです。

 

2歳や3歳のころ、絨毯にごみが付くたびに、カーペット掃除のための粘着シートのロールをコロコロと転がして「遊んで」いました。両親は掃除がとてつもなく嫌いだったので「助かるよ!」と綺麗になる度に助かった、助かった、ありがとうと繰り返しました。この親たちは洗濯をした後、物干しに洗濯物を干すのも嫌いです。この子は「冷たいもの」を触るのが好きなので、洗い立ての洗濯物をよくぺちゃぺちゃと叩いたり触ったりしていました。そこで高さの低い物干しに洗濯バサミで洗濯ものをはさむこと=干すことを教えて、「遊ばせ」ました。ハチャメチャな干し方ですが、干すことが嫌いな親は「助かった助かった、ありがとう」と繰り返し、嫌いじゃないから遊んだだけの子にも感謝を伝えました。

 

この子は、人が嫌がるようなことが実は大好きです。排水溝の掃除など、30分でも1時間でもピカピカになるまでやります。学校でもたくさんあるボールを丁寧に泥を落として拭く、という作業をいつも好んで率先してやるので重宝がられています。そして医療行為に敏感です。幼いころから注射に興味を持ち、自分を取り囲んであれこれと世話を焼く「看護師さん」の真似をする遊びが大好きで、おもちゃの医療セットを長く愛用していました。これで大人やぬいぐるみ相手に医療行為を延々とするわけです。「大丈夫よ」から「お大事に」までの会話は、普段あまり話さないこの子が流暢に話す芝居会話の一つです。気に入った会話内容ならいくらでもやるわけです。

 

親は、自分たちが風邪をひいたり、共働きで帰りが遅い時には洗濯や料理をこの子に任せるようになりました。家には祖母がいますが、頭はしっかりしていても身体が不自由になりほぼ寝たきりです。この子はその祖母への食事の提供もやってのけています。「子供だからやらせたら危ない、まだ無理だ」という概念のない親だったからか、「失敗は選択する自分(祖母)の責任だ」と言い切る祖母のお陰が、何か一つでも任せると決めるのは自分だから、失敗したとして子供が気に病むことはない、と言い切る祖母の度胸もあり、誤嚥させないようにゆっくりと食事を与える役目も時々やりたいといってやらせてもらっていました。祖母は「調子が悪くて人に頼りたいときはちゃんと介護できる大人に頼る。余裕があって孫に付き合ってやれる時は遊びで付き合ってやっているだけだ」と、孫と似た感覚を持つ祖母は孫の「世話を楽しむ(遊ぶ)」体質をよしとして、付き合ってやっていました。

 

そんなこんなで、人とは違う価値観、感じ方、好みのまま成長していますが、率先して親族とはいえ他人の洗浄を手伝うなど、介護すら平然と足を突っ込む若者に育ち、医療の世界まっしぐら、です。一般的な人からは心がどこにあるのか「見てわからない」タイプだと思います。ですがこの子の「行動」に注目していれば、何を好ましく思い、何が本人を動かす動機になっているのかは明確です。そこは小さいころからブレがなく、たとえ自己満足であろうと他人を害なすどころか手助けとなっているので、伸ばすことができたのは、その部分が「この子を活かす」と強く思った親と祖母など、大人の感覚と支援があったからだと私達、第三者は見ています。

 

さて、この子とは正反対の「他人の世話など興味がない」タイプも書いておきます。十人十色とはよく言ったもので、同じ診断名であるのに、先の子とは正反対に「他人の中で面白おかしく過ごす」ことが好きなタイプです。少し知識欲が強く(勉強ではなくお笑いや勉強に関係ないこと、豆知識などです)いろんな人と違う発想力が「自分にはある」と人と違うところを自慢に思う、自信家に見えるタイプです。ところが内面は不安が強く、臆病で、だからこそ自分と他人の違いを小さいころから強く感じてチックになったり、発語が5歳ぐらいまで出ずに健診のたびに要観察になり、診療や療育に放り込まれたり、というタイプです。内面と言動が同じではないタイプ、というのでしょうか。

 

自分の内面の臆病や弱い点と戦うので精一杯で、他人に目が向けられない性質が濃くありました。そのため幼稚園でも小学校でも楽しければよい、という価値観が突出しているように見えるほど、悪いことをする同級生に同調して悪さをするけれど楽しく笑っている、そういう行動をする子です。大人に怒られようと、同じように楽しい行動をして同じように叱られているから「一人で耐える怖さではない」ので安心感があるのでしょう。ただ、それが悪い行動だと家庭で諭されているので、自分の行動は万人から歓迎されるものじゃない、と自信がないのは確かだったと思います。

 

この子が落ち着くのは、高校受験に失敗して自分でも入学する気がなかった私立高校に入学した後のことです。小・中学校時代は勉強する余裕などなかった、内面の臆病さと戦って楽しい悪さや気休めになる同級生と群れてゲームしたり遊ぶ、という行為にふけっていた子ですので、成績も悪く、偏差値も自分でも見るのが嫌、というようなありさまでした。ですが入学した高校では、ある意味「地に足をつけた現実世界を歩く」同級生もそれなりにいて、それがこの子の世界を広げました。

 

この子には同級生で、卒業と共に親になり結婚した子もいました。「勉強できない」といいつつ、家業をすでに手伝って高卒で後を継ぐ商店の子もいました。かと思えば、親が必至で働いてお金をためてくれてるから、と学費免除を維持して、クラスで勉強ができる数少ない生徒に教えてもらいつつ、見事に国立大学に進学をした子もいました。勉強をしなくても、ずぼらで遊んでいるように見えても、「そういうやつほど卒業したらすぐに大人と同じ生活をしている」、つまり稼ぐ、働く、バイトにあけくれる、なぜならそれしかないから、という子も大勢いたわけです。

 

この子はその友人たちに触発されて、高校卒業したときには大学に「一応いく」つもりでアルバイトをしつつ予備校に通いましたが、途中で何を思ったか「就職を決めてきた」と小さい会社から内定をもらい、就職してしまいました。そこから怒涛の「仕事だけ」の生活を一直線に歩むことになりました。途中、会社が合併し、大きい会社の社員は優遇され合併された側のこの子は左遷されたようですが、「その会社には未練がない」と転職をし、また一からやり直し、仕事をしています。定期的にあっている高校の同級生も、親になったり、自営業をしたり、同じようにサラリーマンになったりいろいろです。この子はそうした同級生を「自分にあった生活をみんな必死にしてる」と、互いの大変さをねぎらって高く評価しています。

 

今のこの社会では、偏差値が低い、学力が低く勉強が苦手・嫌いな子達は、発達障害を持つ子達と同じぐらいの苦労をある意味背負って生きているのではないか、と思います。だからこそ、「勉強はできないしやろうとも思わない、嫌いだしできないから」と思っている子達の、ならどうやって生きていくか、という戦いはある意味、凹みの特性を持って生まれた親族の子には力強い手本になったのだろうと思います。学校の環境が良かったとも言えます。先生方の前向きな尽力があり、子供たちは社会に出ていく心細さもあったけれど「そうするしかないから」という現状を3年間で受け入れて、学校に背中を押されて社会に出て行ったのだろう、と思います。

 

この2人の例をだしたのは、一般的に言われる「発達障害」というくくりで、同じ障害名を持っていても、中身も違えば発想も思考(嗜好)も異なり、ゆえに人生も違う道を歩む、という良い例だと思ったからです。よく言われる

 

協調性がない

他人の意図(悪意や親切など)を悟れない、理解できない

人の心を理解する機微がない、または疎い

周囲の迷惑を顧みず積極奇異な行動を取る

 

などは、こうしてみると、そうかもしれませんが、そうでもない、ということも理解していただけるのではないかと思います。先の子は協調性はなく一人での単独行動が好きですし、悪意に疎い行動を取りますが、だからといって傷ついていないわけではなく、人知れず「嫌なこと」として記憶しているわけです。そして他人がやすやすとできない「親切」といわれる行為ができるし積極的にするけれど、それは「親切をしたい」のではなく「自分がしたいこと(関心があるから)」という理由があります。

 

後の子は大人が「悪ガキ」と称するような子供時代を送っていますし、落ちこぼれ、と言われる学生時代を過ごしたかもしれませんが、それが楽しいからという理由だけでそうしているわけではなく、自分の異質性や脆弱性を意識しすぎてチックになったり発語すらできなかった乳幼児期を経て自分なりに編み出した行動力での解消であり、それなりに自分の身の丈にあった場所なら内面の怯えや弱さに負けることなく、動揺することなく、人生の在り方すら経験で学んでいくこともできています。

 

大人がこの2人に「立派な大学に入って!将来いい会社に入れるように!」と塾へ行かせて猛勉強させたところで、独り立ちした健康な青年に育ったか、ということが最後の疑問でしょう。誰もわかりません。例えば学力が高いトップ校にはトップなりの争いがあり、心の在り方もまた、違った形で「その環境で」自力で整えて行かなくてはなりません。その思春期を経て社会人にまで到達できたか、というとやれたはず!とは言い切れません。生活に密着した興味嗜好が、進路という形で実現していく中で仕事に結びついていくことができた前者ですが、だからといって受験勉強をさせて大学の医学部へ!などと鼓舞したとして、本人は超無視でしょう。本人は専門学校だろうと大学だろうと、看護になら興味があったからです。祖母を看取ったこの子は、その後も他人の世話をし看取る仕事を選んでいます。救急や花形の大病院などには全く興味がないのです。後者も、本人が歩んだ道が定型一般の人が「ええ~そんな高校・・・」というような価値の場所であったとしても、本人には「ここでよかった、同級生たちと会えてよかった」と社会人になっても言えている「働く意欲のある」現状の方が、よほど尊いと親たちは考えています。

 

子供のころ、幼いころにある意味はちゃめちゃなのが発達障害の子達なのだと思います。生まれ持った特性そのままの状態でそこに存在しているだけだからです。ですが発達障害の子も、どの生き物でも同じように変化していきます。体が大きくなるにつれ、身体の器官も神経も成長し、それによって身体だけではなく頭や精神も成長していきます。

 

大事なのは、どんな素養を備えた子でも、生きている以上は何かを感じて生きているわけですから、絶望するのか、面白いと思うのか、弱るのか、走りだせるのか、何も見られない昏迷状態でいるのか、見渡せる状態になるのか、その途中・途中の過程が大事なのだと思います。

 

またしても長くなりましたが、人の歩む道というのは「これ」というわかりやすい道ばかりではない、特性持ちでも、その子なりの未知の進める場所がある、ということをお伝えしたいと思いました。

 


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