今日は久々に、学習関連の記事です。

 

親族の大学生が帰省し、これまた親族の小、中、高校生(不登校者も含む)がいつものごとく、親族の集まる場所で

 

「勉強のここがわからない」

「何度やっても、間違ってばかりいる」

「自分は勉強ができない!」(癇癪を起こす)

 

などのセリフや泣きが入っている子達も、いつものごとく見られました。その時にやっぱり、「発達凸凹のある先輩(大学生)の発言」が、子供たちにはストン、と入っていたようで、泣きもぴたっとやみ、「そうか、そうだったんだ。」と納得していました。親族の子達は発達面に凹凸がありますので、

 

「物事のとらえ方が違う」

 

「納得できない箇所が違う」

 

「何に納得・理解できていないかが、定型の大勢(親を含む)にはわからない」

 

「何に納得・理解できていないかが、非定型の同じ傾向の大学生にはわかる」

 

というようなことがあり、特にある大学生の親族が「学業不振に陥っている子の視点に応じた説明をしたら、効果的(子が納得)」していたのを、周囲の大人達は感心して見ていました。

 

あと、子供たちでも色んなつまづきがあり、

 

・まだ学習そのものに対して「できない」というイメージだけで、学ぶ以前に無理だと思い込んでいる状態

 

・得意はすいすいやれるけど、苦手は「意識が遮断」してしまってさっぱり、やってもやっても「できない!」と感じる繰り返し状態

 

・勉強が得意な気がしているけど、全くわからない問題が「簡単な問題」だったりして、その都度「やっぱり自分は勉強ができないんでは?」と自信を失うことがある状態

 

・テキストを読んだり、問題文を読んで解答したり、という「当たり前の作業」自体がまだできず、勉強の内容にも入っていけてない状態

 

など、学習が全くできない子、やってもダメダメな状態で意気消沈してやる気をなくしている子、それなりにできているけどつまづくことも多々あり、自信を失う経験を何度もして「学習恐怖症(勉強すると自分の心が傷つく・自己肯定感が下がるから怖くてやりたくなくなる)」を発症している子、が親族にも混じっています。

 

非定型の大学生たちは、その同じ過程を経験して通過した経験者でもあるので、

 

「どこが問題か」

「何からはじめたほうがいいか」

 

が、なんとなくわかるようです。それぞれの子にすすめていること、助言が全く違うのにこれまた感心しました。

 

基本、テキストを使ったり参考書を使ったりして「机に向かって学習する」という、ごく当たり前の普通のスタイルで学習できる子があまりいないのが現状です。座ってテキストを読んで理解して自分で学べるなら、上に書いたような、特に「テキストを読んだり、問題文を読んで解答したり、という『当たり前の作業』自体がまだできず、勉強の内容にも入っていけてない」事で悩む子は出てきません。「学習」に取り組む以前に、特性の部分や自分が持つ独特の視点がネックとなって、テキストを読み取ることができない(解釈できない)、解いても「自分視点」で解くとズレて不正解を連発する、などで「学習が成り立たない」状況に陥っているわけです。

 

そんなこんなで、大学生の子達が話す内容は、後輩の子供たちへの「ハードルの低い」提案が多かったです。そして「カウンセリング」のように、相談の割合の方が圧倒的に多かった。まず、テキストを見て教えだす先輩がほとんどいなかったこと。勉強の話より、「悩み相談」の時間の方がずっと長かったこと。勉強ができない・やらない・適当さんのようなあっけらかんな感じに見えた子達が、先輩に話を聞いてもらっていると泣いて一生懸命に自分のことを説明していたこと。

 

態度や言葉が適当で何も考えていないように「見える」子でも、泣いて一生懸命にできないことを気に病んでいるのを吐露するところを見ると、やはり発達障害の特性の凸凹部分というのは、子供の深い部分で子供を傷つけていることもあるのだな、と考えさせられます。それが毎日の学習となると、毎日、自分の特性部分でひっかかり、「視点の違いや理解の仕方が異なる」という壁があるにも関わらずやらなければならず、結果としてできないことを日々、実感して落ち込まないといけない・・・という、本人が一番、傷つきたくない部分で傷つく行為を学校という集団生活で強いられているとも言えます。

 

では、どうやってその部分を癒していけるのか、毎日の学習で特性部分ゆえに自分自身の心や誇りを傷つける日々をなくしていけるだろうか、というのが肝心な点です。

 

このブログでも書いてきたように、親族たちが繰り返しているのは

 

「定型の学習方式や学習方法から一度、離れてみる」

「定型のテキストの問題文を、非定型的に解釈できるように指導者から学ぶ」

「定型の人(先生や親)の説明で悩まないですむように、プロ(学校の方法以外の受験スキルや別途解答方法を知っている人)から学ぶ」

 

などがあります。上のうち、例えば勉強ができない子が進学塾へ行っても無駄だ、という意見もあるかもしれませんが、進学塾での「問題の解き方」は、学校のステレオタイプな解き方とは異なることが多々あるようです。学校では「定型の勉強が苦手な子でも解けるオーソドックスな解き方」が軸であるため、まだるっこしい、面倒な解き方だったり、(親族の大学生いわく)不毛な解き方だったりします。けれど、進学塾では公立の学校では教えてくれない受験にも使える「テクニック」、つまり違う視点で、より効果的に、間違う確率が低いやり方を教えてくれることも多いわけです。

 

勉強が苦手な発達凸凹がある親族の子のある一定数の子が、小規模だけれど精鋭の進学塾に行ってみると

 

「すごい!こんな解き方があるなんて」

「先生が言ってることがわかる」

「学校で習ったやり方なんで、わからないはずだ。こう解けばいいのに、なんでそう教えないの?」

 

という子がいるので、やはり「勉強が標準レベルの(定型の)子にわかる、大衆が解ける解き方を教える」学校と、「受験テクニック、正解率と効率を追求した解答スキルを教える」塾とでは、内容が異なるんだろうと思います。その点では、どちらかというと塾のテクニックに近い教え方をする、また教科書より幅広くユニークな学習内容を提供する私立の学校へ進学した親族の方が、勉強が苦手な子が学習内容がわかる・勉強好きに変化していっている経過があるのも(あくまで親族の例です)、公立と私立の学校では授業で教えられている内容や視点が一般の学校と塾のように違うからかもしれません。

 

こうした根本的な点をスルーして、毎日小学校や中学校、高校から持ち帰る宿題が「どうせわからない」と投げやりに言っている子に、引き続き定型の大衆の学び方をずっと踏襲するように親が指導しても、そもそも本人と学習指導方法にズレが生じているわけなので、いつまでもかみ合わない、とう結果が「勉強できない」「わからない」につながっている可能性は高いとも感じます。

 

長くなりますので、次の記事で、実際に大学生たちがどんな「定型の学校の教え方そのままでは理解できない」部分を指摘し、親族の子供たちや親にどんなことを話していたのか、次の記事で書いていきます。

 

 


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