久々の「親の気持ち」の方の記事です。

 

このブログには、「子供のため」の視点や工夫のためのあれこれ、そういうネタの方が圧倒的に多いです。それもこれも、「同じ難点を抱えた子供さんが苦労しないように」という動機はありますが、もう一つより大きな「私個人のやる気」になっているのは、親としての私の都合が大きいです。

 

子供の立場を卒業し、子供を産むと同時に「親の立場」に否応なくなったわけですが、子を産んだからと言ってその日、その時から「立派な完璧な、子どもや夫や世間の望む母親」になれるはずはなく、自分自身の平凡な能力、むしろ凹みの多い能力に失望しながらも、あれやこれやと苦労しながら工夫もして、息抜きも自分なりにして、生き残っています。

 

ブログを書くにつれて、私自身が変わってきたのもあります。最初は親族の意見をそのまま書いていた時もあります。自分の書き方、自分のまとめかたになってきたのは、多くは「自分と同じ立場の親の、とくに母親の参考になればいいな」という気持ちの方が強くなってきたからです。

 

母親が子供を育てている時に「むくわれない」と感じる時、その時が一番つらいのでは、と自分の経験から思います。

 

子供は定型でも非定型でもある程度、自然にわがままで勝手でもあるものですが、発達凸凹の子となると、ある程度大きくなっても、極端にいうと成人するまで、母親には手厳しい。接する時間が多い、という物理的な理由とともに、一番、なんだかんだ言っても子供のことを考えずにはいられない母親には、自分のことをぶつけやすい。そういう理由で、母親は子に関するあれこれを、途切れることなく考えさせられ、時には抱え込めないのにもかかわらず、子供にいろんな要求や理想を押し付けられ、あっぷあっぷな状態になりやすいと思います。

 

私が一番しんどいな、と思ったのは、「見えない部分でいくら母親として努力していても、見えやすい部分のポカや不器用さ、失敗部分で不満を言われ、責められる」ときでした。そういう時の脱力感は、とてつもなく這い上がれないような・・・かなりの心身の負担となって襲いました。

 

例えば、いま親族の母親たちを見ていても、「むくわれないよね」と声をかけてしまうこともあります。癇癪がひどく、幼稚園に付き添って、やりたい!参加したい!という子のためにはクラスで待機してサポートしているにも関わらず、嫌なことがあるとお母さんに殴る・蹴るの衝動的な当たり散らし。

 

家に帰って、リラックスして過ごさせてあげようと、笑顔でおやつをし、余力で頑張って掃除・洗濯もして、自分のやりたい身の回りの整理とか自分の分の汚れ物の洗濯とか、ちょっとした息抜きとかを後回しに、町内の子供会の行事のお仕事をしたり、PTAをしたり、色々頑張っても、ちょっとした日常のことで、思っても傷つけようとする意図もないのに

 

「お母さんのその言い方はひどい!」とか

 

「お母さんが笑って自分をバカにした!」とか

 

「なんでこんなにここが汚いの!お母さんもっと頑張って綺麗にしてよ!」とか

 

「ひどい!自分のお気に入りの服を洗濯した!大事だって、一番着たい服だって知ってるのに!」

 

とか、ちょっとしたことで多大に酷いことのように責められてなじられて、怒鳴られたり泣き叫ばれたりすると、ふっとした気を緩めた拍子に「もうだめだ、がんばれない」と、ポキリと折れる瞬間は、何度かあるものです。

 

コツコツ、子供のためや自分のためじゃない家族みんなのためにやってる、家事のあれこれや、それに費やす時間、物理的な体力のしんどさや、睡眠不足や、そうした自分をぎりぎりまで頑張って笑顔で暮らしていても、ちょっとしたことで、ああ、家族にはそういう見えない努力は伝わらないんだな、と、脱力することがあります。

 

私が子供を育てている中で、そうした子供の責めや心無い手厳しい批判に「がっくりと落ち込んだ」時には、その家の長、義理の父や母が「今日はゆっくりしなさい。お母さんも大変だ。あれこれ、何でもできる魔法使いみたいに言われて。夫婦でゆっくり、近場の温泉でも入ってきなさい」と声をかけられて、わーっと泣いたことがあります。

 

それから、子どもには「見えない部分のお母さんの努力は全部、言い聞かせておく。でも、自分でもちゃんと言葉で教えるようにして、子供が批判したり高飛車になったら、子供の分は自分でするように言いなさい。それだけお偉いお子さんなら、ダメなお母さんがするより上手に立派にできることでしょう、ってやらせるのよ。できないなら、母親にお世話になっているのに大きな口を聞くな、と父親に言わせればいいから。」

 

とかばってくれました。自分一人で思い詰めて頑張って努力しても、全くいいことはなかったです。この経験からも、

 

「自分の立場を理解してくれる人の言葉は、くじけた時には一番、じんわりくる」

 

ものですし、それで少しだけ、浮上して、自分を立て直すため、自分のためにリフレッシュしてやる!と、自分を大事にすることにも目覚めます。自分の努力は、他人には見えない分、理解されないし、全く評価されない、ということも、こういう風にあるのだし、でも自分なりに相手(子供)には自己主張して、頑張っている分の主張はして、バカにされっぱなし、責められっぱなしにはならないようにしよう、と思ったものです。

 

ですので、このブログを読んでいる親、主にお母さんで、同じく「むくわれない・・・」と落ち込んでいる人には、上の私の大事な家族であった親達の言葉をそのまま贈りたいと思います。

 

今日は今からゆっくりして、お風呂にでも入り、おいしいものでも食べて、自分のためのリラックス時間を持ってください。自分の心や気分を大事にして、落ち込んでいる時はそれ以上がんばらないでいいと、自分で休息が必要なんだ、と思ってみてください。

 

それでまた、ちょっとだけ、今日もやっていけそう、と思ったときに、子供のことをまた考えればいいです。まだ当分無理、と言う時は学校や塾の先生やご近所さんの親しい人、専門のカウンセラーやまだ連絡したことのない発達相談センターの人、児童デイの人などに、気持ちを話して、少し時間を受け持ってもらってください。子供が家に長くいる時間が苦しくなる時間なら、少しの期間ぐらい、子どもと距離をあけても、逆にお互い新鮮な感じになるかもしれません。

 

自分一人で頑張ると煮詰まるので、世界中にたくさん人はいますから、いずれかの人に助けてもらい、そうすれば一人か二人ぐらいは「自分の立場を理解できる人」に出会って話せるかもしれません。

 

無理をしないように、自分のことも大事に、子育ての期間をサバイバルしていってくださいね。

 

 


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