昨年度・年始めに、田舎に帰省していた都心に住まう親族の子達が「毎日、こんな感じですごしている」というのを聞きましたので、「最近の例」をまとめて記事にしたいと思います。

 

不登校といっても、その年、その年で親族の子達の様子や親の対策なども違っていますし、過去の例とはまた違って、いろんなバラエティーがあった方が参考になるかな、と思い、今回の記事は「年末・年始の時点で、今の不登校の親族はこんな感じ」というのを書いておきます。

 

 

学校へ行っていない、ということもあると思うのですが、いつも通っている塾もお休みだから、という理由で、通学しているほかの子よりも早く帰省して、一番最後に都心に戻って行きました。

 

田舎の、何もないような環境ですが、この不登校の子達は「違う目」があるようで、あそこにはあれがある、これがある、~したい、~をまた見に行きたい、と案外、いろんなことを「やりたい」と考えて帰省してくれていました。特に生き物好きな子、畑や野菜育てに興味のある子は毎回、来るたびに農作業をする大人の後ろについて回って、目をキラキラさせています。

 

世間一般的に、「不登校」と聞くと、ずっと家の中にいるイメージがあるかと思いますが、都心に住まう子供たちによると

 

「それは行くところがないから」

「暇だけど、ふらふらするわけにもいかないし、しょうがないから」

「ここみたいに、人の目がない所ってほとんどないから」

 

というのが子供なりの理由のようです。今回はこの上のセリフを言った子が多かったようです。

 

この子達の中で、「家からあまり出ない」ことを心配した親族の親が、まずやりはじめたのが「早朝の外出」です。特に早い日だと、5時ごろには外に出て、自転車で川沿いを走り、スマホで朝焼けの写真を撮ったりコンビニで買ったホットドリンクを飲みながら、今日一日の過ごし方を親に報告(スケジューリング)したりします。私達親族の場合、親もキャパシティーが狭くて、できることが限られている人も多いので、昼ご飯が作れない(お弁当を作って用意すると自分のことができなくなる)人は、コンビニで子供に「昼食べる物を買っといて」とその時に買い出ししておくことがあります。この親はそういうタイプなので、朝のうちの散歩して自分の調子が悪い日は、昼までの準備を「買って」終わらせておくそうです。

 

「何か」を継続していくためには、頑張りすぎない程度に、「続けられる」程度のものを自分たちで考えて「ゆるく」やっていくことが大事だとは常々思います。無理な頑張りは続かないので、「やれる範囲で継続できる範囲でやる」というのが大事です。この家族の場合は、何とか朝の散歩や昼ごはん問題も解決し、とりあえず子供も朝の散歩が終わって朝日を浴びて、少し気分が上がったら「家で動画を見ながら学習」するスタイルです。朝日は不安やくさくさした気持ち、暗いくすぶった気持ちを浄化してくれるような気がして、親子ともにこの朝日に支えられて1日を過ごす勇気をもらえる、と言っています。雨の日は特別に「行きたい所リスト」に入れているモーニングを食べに行くそうです。

 

またある親族の場合、住んでいるところはすごくマンションの立ち並ぶ街中なのですが、通っているフリースクールはそこからJRの快速で30分以上走った先にある、田舎ののんびりした所です。朝早くに家を出て、出勤する親と一緒に電車に乗り、お互い「じゃあね」と駅で別れて親は仕事へ、子はスクールへ行きます。

 

スクールが早く終わった日や、「今日は勉強にうちこめない」という日は、習い事として登録してある棋院で将棋を打って仕事の終わる親を待ちます。将棋は個人で毎年大会も出て、少しずつ級を上げているそうです。子どもが不登校をしているからといって、親が自分の生活のスケジュールすべてを子供に提供できるわけではありませんので、不登校をすると決めた時から「では行けそうな場所を探してみよう」と居場所を模索することから始めました。(注:心身が健康で動けるパワーがあったからです。通常、エネルギー切れの子はいきなり動かず原因をもとに診療や回復作業を先にします)

 

子供なりに、近所の子達の目や、親が町内会の集まりで何を言われているのかなどを気にしていないような様子を見せながらも実際は気にしているようです。ですので、むしろ朝早く誰にも見られないうちに家を出て、誰も自分を知らない子達・先生の中で過ごすのが気が楽だという親族の子もいて、そういう子はこうした「遠いところ」「親の仕事場の近く」を選んで昼間、勉強したり時間をやり過ごす場所として選んでいます。都心に住まう親族も共働きが多いので、案外このケースは最近、増えています。親と共に家を出て、それぞれ違う場所で働く・学ぶ、そして子は習い事先で待ち、共に帰宅する、というケースです。

 

親子の距離感もこんな感じが増えています。発達に凸凹がある親が多いからかもしれませんが、「子供と1日、ずっと一緒にいる」のが難しい親も多いです。夫婦でもずっと一緒にべったりラブラブ、というのが難しい親族も多く、あっさりと付き合いたい、という少し控えめな(悪く言えば自分の自由が多い)関係性が自然で居心地がいいので、親も仕事は続け、仕事がないと生活ができないからね、という理由で子供も親が仕事をするのは「食うため、生きていくため」と小さい頃から思っているので、「自分のことは自分でする」の部分が、不登校になると少し増える、つまり「家事の担当分が増える」というのも理解しています。

 

家事に関しては、時間があり、やれる人間が「共通部分の家事」を担当する、という認識で育てる家庭が多いので、逆にいうと親でも「仕事で精神的な打撃を受けてちょと落ち込んでいる」時は夕食が作れずお惣菜に変化するか、子供に電話して「レトルトカレーでもいいか」と聞いて白ご飯は子供に焚いてもらう、または子供にご飯を作ってもらう、という親も少なくありません。

 

洗濯も親が当然するのが普通の家庭だと思いますが、上のように親が仕事で落ち込む日だと、親の動きも鈍くなり汚れ物もたまりますので、「ごめん、お母さんできそうにない。」という発言のもと、まだ動ける余裕のある父親か子供が洗濯をすることになります。田舎に帰省していた時も、年末の仕事納めでいっぱいいっぱいになっているお父さんとお母さんがいた小学校高学年の子は、帰省した初めの数日は家族分の洗濯をその子がしていました。

 

親族の親に洗濯機の使い方と干す場所を聞いて、せっせと洗濯している間、親2人は討ち死に状態でずっと昼間まで寝ていましたし、起きている間もぼーっとしていて、子供が「ほら!昼ご飯だって!こないとなくなるよ!(田舎は鍋や大皿料理が多いので、後から来ると寂しい食事内容になることがあります)」とせかされて食卓についていました。

 

思うのですが、発達に凸凹のある子は、かなりの確立で世話好きなタイプもいる気がします。特に親が家事などが苦手な家庭も多いので、その部分を素直に子供に伝えて無理な時は甘えると共同作業でやってくれたり、「勉強よりこういう事の方が得意」と言う子の話はよく聞きます。地味に目立たないタイプの子でも、料理ができたりと生活の中で教えていくことは学習よりも好きな子がいたり、ものすごく不器用で雑巾がしぼれないタイプでも、朝晩のプランターの植物への水やりは嬉々としてしてくれたり、田舎でも何かと手伝ってくれてます。上の洗濯をしてくれた子も、自分は片づけができない(部屋はいつもぐちゃぐちゃ)、物を置いた場所をすぐ忘れて泣く(無くし物の王様)、勉強は苦手、なのに植物の世話をしたり親が家事ができない状態の時のヘルプは先頭に立ってしてくれます。

 

都心に住まう子達のマンションや家ではどう?と聞くと、一時期、親族の内輪で「育てやすい」と流行った豆苗(スプラウトやかいわれの大きい版のような野菜)を購入して育てている子が複数いたり、今の時期はプランターで球根を植えた子がいたり、アルテミアを育てていたり(*この記事の下に飼育セットをのせておきます)、不器用だったり自分のことがあまりきちんとできないのに、何かと「育てる」はできるというか、する、したい子がいるなぁという気がします。

 

不登校の子は、学校の集団のクラス内では、そうした部分は満たされないから家庭でやるのかもしれません。学校の集団では

 

集団のスピード

1日にやるべき課題の怒涛の流れ

示された課題(ノルマ)の学習と到達

 

がメインの暮らしですから、決められたことをこなす受け身の生活がしんどいのかもしれず、自分で創造したり世話をする主体でいられる方が気が楽なのかもしれません。不登校をしても、これで親が学校のように、1日のノルマを決めてやれ、というなら家でもつぶれてしまいそうですが、親も「人から与えられたスケジュールで受け身ではいはい、と完璧にこなすことは無理」なタイプが多く、自分の裁量で時間やスケジュールを組める仕事に従事したり、好きな仕事を延々とずっとやれる職をわざわざ選ぶぐらいなので、子どもにも1日の細かなことをあれやれこれやれと頭から決めてかかり従うように言うことはないかなと思います。

 

大まかに「不登校中にしないといけないこと」を親子で共通の認識として確認し、ポスターなどにするなどして張った後は、365日の日と時間の使い方は子供にまず仕分けさせ、子供の視点で見えていない部分、足らない部分だけ「ここ、たぶん塾もお休みになるから、別の手段で学習する期間になるよ」など指摘したりと最終案の確認で活躍するぐらいかな、と思います。

 

もちろん、子供がスケジューリングする前に

 

・義務教育中の学習指導内容を「ここからここまで」と示す(わかりにくい子には、学習ワークをわたしてこの範囲は〇年生の間に仕上げること、等と伝える)

・学習する場所(フリースクールや塾、家庭での動画を用いた学習など)を家計でまかなえる範囲で提示する

・不登校中に行ってみる学校(フリースクールや適応教室、塾、民間療育、無料のてらこや等)のチョイスは幅広く、情報収集して訪問し、合いそうなところを提示する

・家事の内容をリストし、親ができない時の砦になってくれるよう依頼しておく

・不登校期間を短期、中期、長期ととりあえず親子で決めて(変更は自由に可として)、とりあえずのスケジューリング期間を決める

 

などは先にすませておいて、最後に「設定した期間」の予定表を1枚の紙で渡して、子供に自分の時間配分を自分のできるペースで穴埋めさせる感じです。

 

「学校でできていないこと」が心にひっかかって、不登校になる子もいるのですが、スケジューリングを見ると、たいていその「学校でできてないこと」を取り戻すための内容が書かれて出てくることが多いです。「毎日腹筋をする」とか「体を鍛える」とかわざわざ書いている子は、たぶん体育で何らかの劣等感があって、周囲から劣るようなことを言われたか、必要だと思って休んでいる間にできるようになろう、と思うんでしょう。自己流に鍛えて上達するようなら誰も苦労はしないので、そういう場合は何気に親も、「体操教室の苦手だけ個人指導」とかいうレッスンを探し出してきて、「やる?」と聞いて行かせたりしています。上に書いた、洗濯をしてくれた子が、このタイプのスケジューリングを出してきました。今は個別の「できない・苦手な子向け」の水泳・体操指導を受けて、土日の早朝には一般向け自由利用のプールに通い、体操も家で習ったことを反復練習しているようで、だいぶ、自信をつけてきています。

 

つめこみすぎなぐらい「学習予定」を書いてくる子も同じで、それぐらいやらないと自分は遅れている、学習がわかっていないという自覚のもとに「希望的観測」でこれだけやったらクラスのみんなに追いつくはず!とか、そんな思いで書いてるのかなと親が思うケースもあるようです。学習は理解できていない部分が膨れ上がると劣等感どころか不安や周囲との差への怖さ、「自分はこのままでどうなってしまうんだろう」という人と違う自分だけが悪いことが起こるのではないか、という恐怖感で学校生活が成り立たなくなることがあるので、小休止して、自信を取り戻すため家庭や適応教室、塾やフリースクールなどで取り出して履修し、自信を取り戻すと学校へ戻っっていく子もいます。今、自分はクラス一のダメ人間かもしれないと自分不信に陥ってしまうこともあります。親族の子は、今ちょうどその途中過程にいます。動画学習の簡単な方、がくげいの学習ソフトと学研のワンダーゲームから初めて、今はスタディサプリの難しい方の動画も見れるようになっています。(*動画学習についてはしたの記事リスト参照ください)

 

親族の場合は不登校にもいろいろあり、もとから支援級にいる子の方が不登校は少なく、支援級の場合、学校では「集団の中にいることに慣れる」がメインで頑張っていますので、精神的に余裕があるからか塾や家庭でのタブレットや動画学習で「自分に合った方法で学習をしている子(*参考記事を記事の最後に出しておきます)」は小学校時代はそれなりに学業は落ちこぼれるというほどではなく、途中、高学年で普通級に合流しても、真ん中あたりや一番下にならない子もいます。支援級だから集団の中にいることにならない、というわけではなく、学校全体の流れに「乗ったうえで」学習や苦手はゆっくり教室にいる、というわけなので、不登校の子より実は朝の朝礼に出たり、給食時間までクラスで学習や作業をしていたり、掃除をしたり、1日、集団がとる大まかな流れにのる生活はしています。

 

親族の中では子供との話は案外赤裸々にやりますので、不登校をする際には「普通級、支援級、不登校」の区別を明確にして、学校生活が難しい場合の不登校についての課題は「いつか学校に戻りたい」と望む子への課題も明確にするために、話すようにはしています。今回の年末年始での帰省で、その話を経験者の親族を交えて、情報収集している親がいました。今学校へ行くことができず、今後、長期にわたる不登校を検討している子がいるからです。

 

不登校をしている子達が、今現在、不登校に突入したその時点で、支援級の子達が日々こなしている1日の集団基本における活動量・学習量より少ない状態になる、という事は、親子でしっかりと現実として受け止める必要がでてきます。私達親族の場合だと、不登校から復帰する際には普通級ではなく、支援級への復帰を考えるということにもつながります。「1日の生活を、始業・終業時間も含めて学校の流れに沿って先生(生徒3人~最高8人のみ担当)という指導者の元で生活する最低限の基本」がなされているのが支援級、それができない場合は不登校なわけですので、いきなり最低限の基本とサポートのない環境、学習、クラス全体でたった1人の先生の一斉指示体制、という全部についていくことを前提に普通級に復帰するのは、リスクが高すぎるわけです。まずは始業、終業時間にならい、その中で朝礼、給食時間、掃除時間などをこなせる基本ができる、この集団生活を長期・継続的にこなせるかが、一つの「学校という集団で今後もやっていけるか、集団ではない個別対応の組織へ行くか」の判断材料になります。

 

いわゆる、普通級から支援級への移動ですが、これはできる地域とできない地域があるのでパターンとしてはいろいろです。ですが現実的に、親族の親は不登校中の子どもの様子を見て、「これは支援級でも難しそうだ。学校の流れに乗れる感じの発達凹みではない。」と判断した場合は、学校外での「朝礼や体育、運動会や各種行事、朝から放課後までの『設定』がない場所」で「個別対応している」場所で復帰していくところまでハードルを下げるようしています。

 

子供が不登校になるということは、こういう判断ができて、この先の「子供の状態や能力、発達状況や特性に合った場所へ移動して、そこで頑張っていく」道筋ができるということなので、悪い方へ転ぶという印象はあまりありません。適材適所と言う言葉がありますが、学ぶ場所も生きる場所も適材適所があるように思います。そこに出会うと伸びていけるのが子供であり、生き物であろうと思います。

 

年末年始に帰省した不登校の子は、この新学期を迎えて学校へは行けず・行かず、別の場所で、または家庭で自分なりの課題をこなしてコツコツ、1日、1日を過ごしています。小学校時代は特に、発達に凸凹のある子は集団の中で生活することが難しい時期ですので、不登校は不思議ではありません。もうすこし、自分の特徴への理解がすすみ、世の中の仕組みというものの知識を学び、自分自身への自信を取り戻していき、その結果として、やる気といわれる「パワー」が戻ってきて、少し落ち着きを取り戻し、精神的な安定がくるので、未熟で悩んでいる間は、路頭に迷ったかのようにふらふらしてしまうのも仕方ないです。

 

何もない、自分にあるのは不安と自信のなさだけ、という状態で不登校に入っている子達が、日々の生活の中で自分の中に希望を見い出せるようになれば、先は続いていきますので、大丈夫です。そのためには、上に書いたような、朝の活動や不登校の不安が出るような親子で書きだすスケジューリング、不登校中じゃないとできない取組みや、家事その他もろもろの地味なことも、案外、役に立ちます。

 

最近の不登校の子達の話題を書いてみました。

 

以下、文中に出てきた内容の参考です。

 

親族の子の飼育の定番です:

 

 

親族の子の家庭での動画・映像学習の定番です。(記事の中で紹介しています)

発達に凸凹がある子、学習時の「物の見方・理解の仕方」にも凸凹がある。その2

 
 

 


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