私が時々、親族の持ち回りで担当している勉強会で、音読の練習にいつも付き合っていた子が先日、我が家に泊まりに来ました(母親は小学校高学年時に、父親は高校卒業時に、共に病気ですでに他界しています)。この子は小学校後半は不登校、中学は不登校と登校を繰り返し、高校は私立を卒業、今大学3年生で都会の方の大学に出ていて、アルバイトをしつつ一人で生活しています。祖父はこちらの田舎でまだ現役で農業をしています。

 

この子はとてもまじめで、笑ったところをあまり見たことがないぐらい能面でクールに見えるタイプです。内面であわあわと慌てていても、外にその慌てぶりが表情として出ないので、「落ち着いている」と誤解されていますが、本人はとても繊細で小心者と自分で言っています。ですがとても根気があり、自分の苦手をよく知っており、彼のポリシーを私が勝手に「苦手なことに時間を使わない、得意なことに全力、全部の時間を費やして生き抜く」という風に昔から言い表しています。彼も「そうかも。」と合意していて、自分に偏りがあるけれど、その偏りぶりが彼には「心地よいちょうどよい具合」なのだと思わせる自然さです。

 

彼の大学生活も面白いもので、最初の1年間は一般教養の学習で忙しく、アルバイトは休日に家庭教師をして、同じような対人が苦手な子を担当していました。2年目、3年目となると国立の大学でも文系の場合、とても暇になってくるので、彼は「昼間は寝る、夜は働く」という事を始めました。少し大きめの旅館の、夜間の担当に入ったのです。

 

彼の場合、昼間の「元気で輝かしい人々」を相手にする仕事は、相手がまぶしく元気すぎて気後れし、とても対応できるものじゃない、という風に言っていました。「自分には静かになった夜が一番合う」ということで、静まり返った旅館を懐中電灯片手に見回り、異常があればフロントに報告する、雑用を一人で黙々とする、朝方は朝食に出たお客さんの布団をどんどん上げていく、という「人に会わずにすむ」仕事をアルバイトとしてやってみました。

 

すると、彼はこの仕事が相性が良く、もともと夜に強いのもあり、全く眠気がなく夜の方が頭がさえる(そのため夜間の長時間にわたって受験勉強もはかどり、彼は国立大学に塾なし、動画学習と赤本だけで現役入学しています)ため、仕事も多くこなせて、旅館側で重宝され、通常は週に2、3日程度の勤務を3年生になる頃には4日や5日になり、ついには旅館から大学に通う、という状態になりました。

 

アルバイト先ではまかないを朝も夜も食べさせてくれる上に昼のおにぎりまで持たせてくれたそうで、卒業後、どこも行くところがなかったら住み込みで働いてほしいと言われています。(彼には希望する仕事があるので、それが叶わなかったときはお世話になるかもしれませんが、たぶん大丈夫なのでは、と思います)。真面目が取りえで、人が嫌がる夜間の時間帯に粛々と仕事をこなしていく人材は珍しいのだそうです。普通の人は昼間に友人と出かけたりデートしたり、おいしいものを食べたりショッピングしたりするのが楽しみなのですから、夜はそうそう勤めたい時間帯でもなく、手っ取り早く時給が良いから集中して3か月、4か月稼いでスキー旅行に行こう、とか、そういう人材が多くてすぐに辞める=離職率が高いそうです。

 

そんな中、ずっと夜間勤務を苦なくむしろ「自分に合うので」と勤めて、かつ日数も増やしていき、大学の暇な時間は寝て講義の時だけ起きている、という不規則な状態がこの子には「通常運転」なので体もいたって健康、むしろ自分に合うので快調、という恐ろしいほど自分に合うアルバイトに出会ってしまったそうです。

 

年末年始はずっと旅館に泊まり込みで昼間は仮眠部屋で寝ていて、夜の時間帯に起きて仕事をしていたそうです。1月末から2月は少し暇になるようで、まとめてお休みをもらえる、とのことですが「お金をできるだけ貯めておきたい」ということで、数日だけお休みをいただいて帰省した、という今回の時期のはずれた帰省となったわけです。

 

彼は祖父とはそりが合わないので、逃げ場的に我が家に泊まりに来ています。とは言っても、お土産は持って行き、それなりに気を利かせて「勉強をみてもらったお礼に行ってくる」とかなんとか、言い訳してこちらの家に来たようですが。

 

彼の小学校時期を知っている私としては、まさか彼が大学生になって、一人でアルバイトを探せてしかもしっかり勤務して多少はリッチになっているとは思ってもいませんでした(夜間勤務は1日1万を超えるそうです)。私がよく付き合っていた印象があるのは、小学校の音読の宿題で、読んでも読んでも覚えられないで泣きべそをかいていたので「おばちゃんが読む速さをマネしてね。」と、超特急!というものすごい聞き取れるか?という早い速度で黒柳徹子さん顔負けの早口音読をさせていました。

 

真面目ながら、必死で早口でついてこようと頑張って、何度も何度も早口で言う練習をした後、「じゃあ、一度普通の速さで音読してみよう!」と言うと、この子はさらっと、つっかえずに音読ができるタイプでした。ゆっくり、覚えようとして音読すると「覚えなきゃ」という意識と「読んでいる脳」が同時に動くので錯乱して、一向に上達しないタイプです。何も考えられないぐらいの「早口」で練習させることで口と頭に言葉をインプットしてしまえば、あとは「言うだけ」の状態になりますので、音読が可能となります。

 

音読の宿題が出るたびに、自分一人じゃむり・・・と、泣きべそかきそうになりながら頼ってくれるのが可愛い子でした。おばちゃんでよければいつでも一緒に読むよ、とつきあっていたのが、いつの間にか高校ではメキメキと学習ができるようになり、「あの、国語の本がつっかえつっかえで、読めなかった子がねぇ。」と感慨深いものがあります。

 

ついでに言いますと、音楽もリコーダーがからきしでした。指使いがどうしても、右手と左手を上手く同時に扱えず、高い音のソや低い音のレなどは音が割れて「ピー!」っと甲高い音が出てしまい、いつもリコーダーのテスト前はつっぷして泣いていました。練習しても手の不器用さは「成長を待たないと難しい」部分も多々ありますので、ごまかし戦法で、「高い方のソ、と低い方のレ、は思いっきり息を吹き込むとピー!ってなっちゃうから、目立たないように逆に、ふーっと少しだけ息を吹き込んで、みんなに聞こえるか聞こえないかぐらいの音にしてさらっと流そう。吹いてればいいんだから。」と、割れる音は小さく吹いてごまかす、ということで乗り切りました。

 

最初は嫌がっていましたが、目立つピー音よりはまし、と勉強会で聞いていた親族の他の子がみんな賛成してくれたので、ましな方でやってくる、とテストはごまかしの「かすかな音でスルーしていく」戦法でのりきった、ということがありました。

 

そんなこんな昔ばなしをすると、「わあ、やめて!」といいつつ、「懐かしいなぁ、よく覚えてるね、僕は忘れてた。」と懐かしんでました。この子は過去の自分の行動は「忘れていく」タイプです。辛いことが多かった子供時代でしたので、嫌なことは忘れていいんだ、という亡くなった親達の言葉を大事にして、いいことを覚えていくように努めています。

 

今は平和に、それなりに偏りの大きい彼なりの人生を歩んでいます。

 

 


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