今日は、最近特に親族の間で使われ始めている国語の教材をご紹介します。その前に、子供に教材を与える上で考慮した方が良いことも記述したいと思います。

 

学習においてはその子、その子の

 

タイミング

基礎力

学習というものへの理解

取り組めるスタイル

 

などが異なります。

 

この教材を「どのタイミングで、どういう風に子供に使ってもらうか」は私達親族と言えど、同い年の子供がいたとしても、各家庭で、全く異なってくるということです。その「調整部分」が、子供たちにはとても大事になってくると感じています。つまり、過去の経験からわかることは「ただ良いと思われる教材を与えておけば効果がある」ということではなかったです。私達が考慮する内容を少しまとめておきますので、以下を参考にしてみてください。

 

教材を与えるタイミングについて:

 

・ 子供の学力を正しく把握する: 学力が学年相当か、1学年下か、2学年下か、時間をかけなくても理解できる教科なのか、時間をじっくりとかけないと理解できない教科なのか、など漠然とでいいので把握しておきます。それにより与える教材も各科目でレベルも難易度も変わりますし、5分間だけ勉強するタイプの簡易ドリルにするのか、教科書ワークのようなものを使うのか、読むと嫌気がさすので動画のみにするのか、ゲーム的なアプリやソフトを使うのか、など「使う教材」がここで決まってきます。

 

・ 子供の精神状態をその時、その時に加味して考える: 毎日学校へ行き、生活をしている中で、クラス内での出来事、先生や友達とのコミュニケーションの結果に抱く感情、その時の寒暖差や気候的なこと、習い事や兄弟姉妹とのけんかなどの気分的な疲れ、そういったものが大きく「気力」に影響してきます。その時に「学習する余裕があるのか」「今日は休んで休憩を取るべき時なのか」は、その時、その時に違っています。ですので日々、その場、その瞬間に「判断していく」調整役としての大人のサポートがとても大事になってきます。

 

ただ、対応は単純です。「今日は疲れているみたいだから、おやつを食べてゆっくりして、国語の宿題はそれからやろうか。お母さんが今日だけ文章も問題文も読んであげるから答えだけ書けばいいよ。でも元気な時は自分でやろうね。今日は疲れているから特別ね。」など、子供の気が楽になるような、「いっぱい大変なことをしないといけない」という負担感を取り除くような一言を、先に言っておいてあげるだけです。

 

それでも調子が悪い時、学校で嫌なことがあり記憶が払しょくできず引きずっている時や、疲労があるときは「学習そのものに取り組む余力がない」日もあります。その際は、親の裁量で「はい、今日は疲れてどうせ頭に入らないから、テレビを見ながら漢字を少しずつ書こう。ただし、元気な時に覚えるために、2日後ぐらいにホワイトボードを使って書く練習をするよ。」など、おいしい条件と抱き合わせで、少し勉強の要素を「取り戻す」ための条件もつけておきます。

 

もしくは、精神状態がひどい場合は「宿題はしなくていいし、明日はお母さんの判断で休養日とします。」と学校をお休みすることもあります。これは状態が非常に悪い時の対応で、「学習以前の問題」があるケースです。心身の状態が悪いのに学習で頭が働くわけがなく、また意欲もあるわけがないので、疲労に疲労を重ねるという無駄なことはしないです。

 

・ 学習というものの理解を促す: 発達障害の子は特にそうだと思うのですが、「理由がわからないものについて努力をすることができない」部分があります。「やる意味がわからない」のに、ただやれ、と言われても納得できないという感じでしょうか。たとえ話でも良いので、「今していることがどんなメリットにつながるのか」を、少しでも日々話しておくと、1年、2年、3年と経っていく中で進学意識や将来の仕事、受験などで挫折した時の立ち直り方に大きく貢献してくれます。

 

これも内容はごく簡単で、「日本の国語はすごく難しいよ。でも、国が決めた国語の内容を小学1年生から全員やってるから、世界の中でも日本は文字が読めない人がほとんどいない国になれたけど、それでも1位じゃなくて28位とかなんだって。(1年生の時点で文盲率、識字率について教えることが多いです)でもキューバが一番、識字率が高いんだよ。世界一なんだよ。」など、勉強というものを「ポジティブにイメージ」できるようなネタを会話に入れるだけで、子供は興味を持ってくれたりします。

 

または「大人になって一人暮らしして、大好きなゲームをしたいなぁって時に、色々とゲームの会社の質問に答えて自分で登録しないといけないから、国語ができないと一人でゲームも自由にできないってことになるかも。」など言うと、1年生だと結構、「それ困る!」とその時だけ、やる気になったりもします。要は「ポジティブになれる何かの雑学情報」などを駆使すると、案外、子供は自分がイヤイヤやっている「勉強」と「世界や社会とのつながり・どう関係があるのか」をうっすらと感じて、その時だけでも取り組みやすくなるように感じています。

 

こういう「勉強はなんでするの」という部分をおろそかにして「宿題をするように」と毎日言い続けても、全く響かない=納得できない、という子供がかなりの数いますので、子どもと言えど、「理由なく作業を求める」ことはバカにされている、大人の都合の良い人形扱いされている、という風に感じる子もいますから、「学習は~~~という役に立つ、~~~の時に必要になる」など、大人が知る世界や社会をネタにして伝えていくようにすると、「学習そのものへの印象」が成長とともに育っていくと感じています。ですので、良い例としては、不登校をした際でも、こうした雑談を重ねていると、なんとなく「学習は続ける」ということをする意識へと育っていたりします。学習を自分なりに続けていれば、学校へ行けなくても自分は世界や社会で必要なことはしているから大丈夫、という自信が、どこかでその子を支える感じです。

 

・ 取り組めるスタイルで学習できるよう助力する: 学業不振な子は、親族の子達の場合は、ほぼ「公立の大人数対象の学習の方式が全く合っていない」ことが多いです。一斉指示、先生の説明を聞く方式、少人数での対話式ではない、などが「理解しにくい」原因となっていることがあります。これに気が付いたのは、海外に出た先輩親族たちです。日本では成績がオール1、2というレベルの親族が海外の学校へ入学すると優等生になった、というケースがあり、その分析の結果「少人数での討論方式」であったり「調査し根拠を明らかにしてそのデータをもとに人を説得するレポートを書く」「子供一人につき学校でも必ず一人、担当の大人の相談員がつく環境だと、生活および学習にあやふやな部分が積もらず、日々をコンスタントに消化していける」というような個人対応の形式が、とても合う、という経験などが日本側の親族へのフィードバックとして長年もたらされてきました

 

その結果、例えば塾を選ぶ際にも、規模が大きい、とか有名だから、という視点で選ぶのではなく「個別対応できるか」「無名でも丁寧に、はしょらず、または1つの固定概念で指導せず、色んな角度から教えてくれる」などが選択するポイントとなったりしてきました。それからそうした塾の専門家の独特の指導方法や先人たちのトライ、失敗、再トライ、という経験の積み上げから、「この子にはこんな感じの教材を、こんな風に使うとよさそう」というアイデアが出てくるようになりました。

 

「取り組めるスタイル」というのは、親がやりやすい・先生が教えやすいスタイル、というのではなく、  

 

子供が理解しやすい、勉強しやすい、抵抗感がない、気楽にできる」スタイル

 

のことです。学校は選択肢がなく、席に座って先生の説明を聞くスタイルです(今後、教育改革もあり生徒同士で教えあうようなスタイルになっていくようですが)。それだと

 

「聞く力が弱い」

「45分のうち、どの部分で重要な情報が提供されているかが理解しにくい」

 

こどもは、延々と貴重な情報を受け取り損ねて成長します。家庭での宿題は「読むこと・書くこと」必須でやらなければならず、これだと

 

「読むことで集中力が全部奪い取られ、考える力が弱まり情報が離散する」

「書くことで、パワーのすべてを消費してしまい、記憶するという力が阻害されて覚えられない」

 

など、の結果となり、その結果が学習不振につながるなど、とても不幸なことが起こってきます。

 

そのため、学校選びからしても極端ですが、「書くことを重視していない、ITを駆使した私立」などへ行くと、学習内容がハードになっていっても授業数が格段に増えているにも関わらず「学習が進められる」良い状態になったり、フリースクールで各科目の進度にあわせて学習し、苦手な算数だけ解説者を必要とするため「個別指導教室」タイプの塾で取り出して学習すると、なんとか少しずつレベルアップして学年相当の学力を維持していけたりします。

 

書くと記憶を阻害されるタイプに「書く」ワーク、「書く」宿題、「書く」ことが多い塾を提供すると、成績は上がるどころか下がるのは目に見えています。逆に「目で見て理解する」タイプの子に、動画学習だけをすすめたりすると学習速度が落ちたりします。本人が好むような丁寧な説明が書いてあるワークや参考書などを与えると、じっくりと絵や文を記憶していき学習の成果としてよい結果が出る、というケースもあるわけです。

 

ですので、自分の子供が「できていない」場合は、その勉強の仕方、スタイルが合っていないので理解しづらい、わからない、理解できてもすごく時間を必要とするためスローテンポになる、など理由があることの方が多いです。小学校1年の時点で全く勉強ができていないタイプの子が、親子で試行錯誤して、自分に合うスタイルを確立していくと、「クラス一できなかった」レベルから、クラス平均に達し、5年生、6年生の時点で得意科目はクラス一番になる、というケースは親族ではよくみられます。学力が低い、と見えるタイプでも「学習スタイルが合わないから知識が全く頭に入らない」だけの状態で、「学習スタイルが合えば知識がちゃんと積みあがっていく」という結果になるからです。

 

ですので、公立の小学校に入学して学習不振で「知的に問題があるのでは」と最初は担任の先生に心配される状態でも、親はまず「ああ、この定型の一般的な学習方法だとこの子は落ちこぼれるんだな」と捉え、「能力がない」という結果ではなく「方法が合わない」と考えて、学習スタイルをがらりと変えていく、という対策を取ります。これによって、子供が変化していく過程は多々見ています。

 

以上、子供の特性や凸凹具合に合致した学習スタイルの重要性を長々と最後に書いてしまいましたが、最後に「国語」の読解が苦手な子に役立ちそうな教材をご紹介しておきます。これは苦手でも、本を読ませれば「まあ、読むことはできる。読むのは嫌いだけど」というレベルの基礎力のある子向けです。

 

全く読解ができない、音読も大変、という子はこちらはまだ少し早いかもしれません。全く読解ができない子の場合は、国語という学問のコンセプトから理解した方が良いと思うので、読解する流れのすべてを解説してくれる短い動画が親切で適切だったりします。を見て漠然と「ストーリーがある」「こういう風にみんなは考えて読んでいるんだ・・・」と知ることから始める必要があるかと思います。ですのでそのタイプの解説が必要な子は、先にスタディサプリの国語の基礎の動画を見ることをお勧めします。

(→こちら

親族の子は「勉強として」スタディサプリの動画を聞いたり見たりしているのもありますが、「多くの人がどんな風に考えているのか」を知るために、この動画の解説を聞いている気がします。発達障害の子にとって、定型の人たちの解説は「定型はこう考える、こう考えて問題を作っているから、こう考えて解答するんだよ」という、興味深い定型の思考の世界をのぞくことができるので、たぶんこうした動画教材を魅力的に思うのかなと感じます。

 

学校の教科書は読める、一応カラーテストも受けて平均以下だけど、答えも書いている、でも点数が取れない、という子供に向くかなという教材です。こちら↓

 

 

 

 

 

 

 

会話している言葉や、教科書を読んでいる言語力が「整理できていない」子が、このワークブックで整理していくと、少し変化が見られます。抽象的な言葉を、具体的な言葉のグループで考える、というような作業がこのワークでは出てきますので、なんとなく、ですが「言葉がただのリスト」だったのが「言葉はグループ化している」というイメージがつきやすいのかなと思います。

 

それがどう、国語力に影響するのかというと、国語のテストなどはまさにその「抽象的な言葉」を「具体的な言葉で」答えなさい、という質問と回答方式が多いので、その部分にダイレクトに出てくるのだろうと思います。この本を使っている親族の子は、だいたい小学校3年生、4年生、5年生です。3年生で渡したけど、全くだめだった、2年寝かせて5年生の終わりで渡したら、だいぶ「良い影響」をもたらしようで、少し効果があった、というような話も聞いています。

 

タイミングも子供それぞれなので、こうして教材を与えてみたものの、その時の状態ではちょっと合わないので「数年寝かせておく」のもよくあることです。数年後にぴったりのタイミングが来た、というのも「教材を親の方が先に買って知っていたから」ベストなタイミングで出せた、ということもあるので、買い集めた教材が無駄になることはあまりないです。他の兄弟に使えることもあります。

 

ちなみに、このふくしま式のワーク本はまだ最近のものらしく、小学生の子に買い与えたのに、その上の中学生の兄弟が「ちょっと貸してほしい」と言ってやったところ、「すごい、これ、国語ってこういうのかってわかる。」と、中学生にうけたそうです。その中学生には「こういう視点はなかった」とのことで、新しい情報として興味深かったそうで、テストの時に役に立っているとコメントをもらいました。

 

以上、学習について久しぶりに書いてみました。この記事を読んで、学習不振に陥っているお子さんの特徴にご興味を持っていただけるきっかけになるといいなと思います。そうすればきっと、何かしらの突破口が見つかるだろうと思いますので。

 

 


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