日高が誇る「日本のエーゲ海」 白崎海岸の悠久の物語 | CLUB HIDAKA BLOG

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和歌山県の日高地方1市6町をもっと好きになる。

毎回ひとつのテーマに沿って、日高のまちの魅力をご紹介します。



由良町西部にある白崎海岸。日本とは思えないような不思議な光景から「日本のエーゲ海」と称され、年間を通じて多くの観光客が訪れます。フォトジェニックな観光地としてのイメージが強い白崎海岸ですが、そこには人類誕生以前にまでさかのぼる悠久の歴史があるのです。

今回は、美しい白崎の絶景がたどってきた歴史の物語です。





◆奇岩の誕生


古生代ペルム紀。今から約2億9900万年前から約2億5100万年前までの時代のことです。そんな遥か昔にこの白崎の石灰岩が誕生したと言われているのです。これまでにも、ウミユリや紡錘虫など、ペルム紀の海洋生物の化石が発見されています。

ペルム紀の終わりごろ、地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が発生しました。原因については諸説ありますが、当時生息していた生物の90%以上が絶滅したと言われます。

それから気の遠くなるような時間が流れ、今から約400万年前、人類の祖先が誕生しました。遠くアフリカで誕生したとされる人類が、いつ頃この奇岩のもとに辿り着いたかは定かではありませんが、おそらくこの異様な風景に驚いたことでしょう。





◆万葉の人々


この奇岩が人々の心に残るものであったことは、奈良時代後期に成立した日本最古の和歌集『万葉集』に見ることができます。『万葉集』は、過去に詠まれた和歌約4,500首を収録したもので、読み手は天皇から民衆に至るまで幅広く、心情を率直にあらわした歌が多いとされます。

『万葉集』には、白崎を詠んだ和歌が4首おさめられています。


妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 湯羅の岬にこの日暮しつ

白崎は幸くあり待て大船に 真楫しじ貫きまたかへり見む

朝開き漕ぎ出て我は湯羅の崎 釣する海人を見て帰り来む

湯羅の崎潮干にけらし白神の 磯の浦廻をあへて漕ぐなり

美しい白崎の風景は、時代を問わず多くの人に愛されていたのでした。




◆戦争の白崎

時代は下って昭和初期。太平洋戦争の終わりごろになると、白崎に人間魚雷『回天』の基地が設営されました。

『回天』とは、日本が誇った世界最高品質の九三式魚雷を有人式に改造したもので、海軍によって秘密裏に製造されていました。潜水艦に搭載された『回天』は一度出撃すれば二度と帰還することができない絶対死が前提で、平均年齢20歳という若い隊員たちは回天もろとも敵艦に突入して散っていきました。陸海軍合わせて数々の特攻兵器が開発されましたが、この回天は連合軍に最も怖れられた兵器で、戦果も数多く報告されています。

由良白崎基地には、紀伊水道へ侵攻してくる連合軍の船舶を攻撃するため、『回天』を操縦する特攻隊員が配属されていましたが、『回天』の配備が遅れ出撃することなく終戦となりました。
 



絶景が語る物語

白い石灰岩でできている白崎海岸。セメントや肥料の原料として採石されていた時代もあり、日本の産業発展の一翼を担ってきました。今でも岩の至るところに穴が開いており、その名残を感じることができます。

現在は、その美しい風景を利用したレジャー開発が進んでおり、ダイビング施設や道の駅、キャンプ施設、宿泊施設などが整備されています。

毎年春から夏にかけて、白崎海岸にはウミネコの大群が飛来します。漁船でのクルーズではウミネコへのエサやり体験も可能です。

2億5000万年以上続く悠久の物語を体感するため、皆さんもぜひ白崎海岸にお越しください。