先日、アドラー心理学を学んでいての気付き。

「人はみな、人生について自分が持っている仮説が正しいことを強化する理由を、常に探して生きている」

という言葉を聞いてから、思い出したお話があります。

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旅をしている男がある村に辿り着きました。


男は、村の入り口にいた少年に質問しました。
「この村はどんな人達がいる村なんだい?」


少年
「おじさんが今まで行った村はどうだった?」


「優しい人々がたくさんいた素晴らしい村ばかりだったよ」


少年
「この村も似たようなものだよ」


男はその村を出るときに、こう言った。
「この村も優しい人々がたくさんいて素晴らしい村だったな」




また別の男が村に辿り着きました。

男は、村の入り口にいた少年に質問しました。
「この村はどんな人達がいる村なんだい?」


少年
「おじさんが今まで行った村はどうだった?」


「嘘つきばかりで最低の村ばかりだったよ」


少年
「この村も似たようなものだよ」


男はその村を出るときに、こう言った。
「この村も嘘つきばかりで最低の村だったな」

〜〜〜


少年の言った事は変わりません。

訪れた男のイメージで、目に映るものが違うのです。

もっと言えば、その男の仮説(意味づけ)で取り出す出来事が違うのです。



仮説を持つ事自体が問題ではありません。


どんな仮説を持つか?

どんな意味づけをするか?

それを決めるのは、あなた自身です。


あなたは、どんな仮説をお持ちですか?


起こった出来事に、どんな意味づけをしますか?


どんな意味づけをするとhappyになれますか?



本日は以上となります。

少しでも、あなたの心が軽くなれば幸いです(^^)



(こだわりセンスのクライアント様。思ってもいなかった感情に触れて、感心しておられました。※本文の内容とは関係ない方です)