物価の変動は、以下4つのパターンに大別して考えることが多いです。ここでは物価の例にパンの価格を用いますが、
 
・A:供給の増大=パン工場のハイテク化などを利して、低コストでパンを大量に作れるようにする。→デフレ=パンの価格が下がる。
・B:需要の増大=パンを美味しくしたり栄養価を高めて魅力的にする。→インフレ=パンの価格が上がる。
・C:供給の減少=小麦の不作やパン工場設備の故障などで、パンの製造個数が少なく限られてしまう。→インフレ=パンの価格が上がる。
・D:需要の減少=パンがマズかったり、アンパン好きの顧客が多いのにカレーパンを多く販売したり、品質問題などで魅力が下がる。→デフレ=パンの価格が下がる。
 
そして、これらは同時でかつ複雑な形で絡み合うこともあり、これが経済現象の難しいところで、思考の混乱や矛盾につまづいてしまいます。例えば、AとBが同時に起こることもあり、どちらも嬉しいことなのですが、このときにパンの価格がどうあるべきなのか、デフレが良いのかインフレが良いのかということに明確な正解はありません。あるいは、パンの価格が上がりインフレ傾向を見たとき、インフレはインフレでもBなのかCなのかで状況が違います。
 
物価に関して建設的な議論を試みる上で大事なことは、次の2点だと私は考えています。
需要と供給のバランスで物価が決まるという基本原則をしっかり理解すること。
・win-winの関係構築を目指すこと。
 
Aのデフレですと、消費者はお買い得ですし、供給者も製造コストが下がって販売数量が上がり、利益が上がります。つまり、低コストで商品を多く作れるので、売価を安くできます。その安さゆえのお得感から消費者は自分の判断で積極的に注文し、それだけ商品の販売数量が上がっていきます。そして、沢山売れれば、それだけ企業の利益になります。低コストだと「コレ安くてイイなー!」と消費者に満足を提供できるのです。このようなデフレの波に乗って堅調に経営している企業もあり、これはwin-winの事業と言えます。
 
その一方、Dのデフレは深刻な問題です。供給者からすると、コストを投じて製造しているのに売れない。消費者からすると、魅力的な商品を見つけられない。この状態が一時で済めば我慢できるかもしれませんが、何年も続くようならば未来志向で幸福を追求していく意欲を失ってしまいます。「死ぬときが来るまでただ生きる」国民全体にこのようなマインドに広がってしまいますと、個人個人に焦点を当てたミクロ視点でも、組織や地方や国家を鳥瞰したマクロ視点でも、経済が衰退していきます。
 
つまり、Aのデフレは良いデフレで、Dのデフレは悪いデフレなのです。デフレスパイラルとは、Dのデフレを指します。
 
Dのデフレから脱却するには、Bを目指すしかありません。魅力的な商品を作られれば、売値を高く定めて販売しても、「欲しい!」「高いけど買おう!」「これだけ魅力的ならばこのくらいの値段は当然」と消費者に思わせることに可能性が持てます。そして、買った消費者も商品の恩恵を受けられて満足します。このような魅力的な商品を作ろうとすると、困難にぶち当たってしまうこともあると思います。しかし、なぜBを目指すのか、その理由は単純明快ではないでしょうか。
 
そして、Bの実現には民間の努力に加え、政治の健全さも求められます。昔から日本は、Bを目指すような人が集まってチームワークで仕事をして、様々な豊かさを生み出してきました。そこには、快適な職場があり、その職場の提供に政治が大きな影響を担っています。
 
日本とアンパンマンワールドの違いは、資源の豊富さです。これを見比べると、やはりアンパンマンワールドの方が資源が豊富です。それゆえにジャムおじさんは自由にパン作りが出来ているのです。その一方、日本だと、資源が限られていて、その配分もいびつです。だから、向上心や情熱を持った人に提供する資源が少なすぎて、快適な職場が無く、それが自由な仕事への足かせになってしまうことも多いのです。アンパンマンの世界にはお金が無い、だけど、資源が豊富であり、それは今の日本の現実と対照的なのです。やなせ氏は、アンパンマンを通じて、そうメッセージを発したのかもしれません。
 
私は、向上心や情熱を持った人に、もっと資源を提供し、快適な職場つくりに政治が貢献できればと思っています。ポテンシャルのある人(釣り人)には、魚は提供できなくとも、良い釣竿を提供して、自分のためにも社会貢献のためにも沢山の魚を釣ってもらうのが、成長を目指す国家の道筋のように私は考えています。このような政治は難しいのかもしれません。しかし、そこに日本の国力向上があるのかと、私は信じています。
 
神奈川県本部 大倉千和