猿楽から能楽へ➀前田家は猿楽好と猿楽を芸術に高めた世阿弥 | 市民が見つける金沢再発見

猿楽から能楽へ➀前田家は猿楽好と猿楽を芸術に高めた世阿弥

【金沢・江戸】

前田家何故、歴代藩主や家臣が猿楽を好んだのか?いや、前田家に限らず武士は室町時代から猿楽を嗜(たしな)んだのでしようか?そう云えば、戦国時代大名や武士は猿楽茶道が必須だったとも聞きます。その理由として、一般的に、上が好むところ下はこれに習うと云うもので「足利将軍家が猿楽に興味を持ち役者を庇護したので他の大名・武士もそれに習った」とか、能には武士の悲哀を描いたものも多く「能の人生観、死生観などが当時の武士に共感するものだった」と云われています。

 

 

さらに、現代のゴルフや飲み会のように「観能の場が武士同士の社交、情報交換の場になった」とも云われています。しかし、前田家の歴代藩主を調べると、特に江戸後期には、藩主自身の気晴らし現実逃避、はたまた、領民へ権威を見せつけ畏怖の念を押し付け、さらには神事として領民の安寧を祈ると云う藩主の思い込みも有ったように思われます。

茶道は、「名器の茶器を所有することが武士のステータス戦功で土地の代わりに茶器が与えられた」「狭い茶室は密談に適していた」「武士同士の交流だけではなく、普段は直接交流しにくい武士と町人が茶道を通して交流した」などの理由があったようです。)

 

 

拙ブログ

“能”に明け暮れた斉広公、竹沢御殿③

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11738503174.html

 

いずれにしても、猿楽、茶道ともに室町時代に武家の間に広まった文化で、和歌などは公家の文化で、武家自分たちで“作り育てた文化”を大切にしようと思う気持ちが窺えます。

 

(歴史を少し遡ると芸能者(猿楽・田楽)は常に地位は低く、はみ出し者扱いを受けています。の役者で作家、経営者の世阿弥が将軍足利義満に愛され、祭り見物に盃の遣り取りをしているのを見た貴族「あのような乞食同然の者と将軍が」憤激したという記述が今も残っています。さすがに江戸時代に入り能は幕府の式楽として、士分の待遇を受けるようになり観世に禄高256石を支給されると、能役者の地位は向上しますが、新興の歌舞伎浄瑠璃の芸能者は「河原乞食」と蔑まれています。)

 

 

猿楽伝説:演目と観阿弥・世阿弥

猿楽(能楽)の演目とはとほぼ同じ意味で、劇の中に舞いが入ったもの演目だとされています。その脚本(謡曲)として伝えられているものは2000種を超えると云われていますが、現在、五流派あわせて正式の現行曲は260曲余と云われています。主なものは観阿弥から約200年間にわたって創作されていて、作者が確かな作品半数ほど有り、ほとんどは能役者自身が書いています。それは、能が一種の歌劇で、作詞と作曲と作舞が緊密に同時進行する必要があったからで、世阿弥作能のためには歌道を学べと云っています。

 

 

世阿弥「本説正しき能」を力説しています。それは古典歴史に取材したで、「古事記」から「曽我物語」までの幅広い先行文芸に題材を求めています。これは観客知識を刺激して相乗効果を狙ったもので和歌の”本歌取”に似ています。謡曲の文体も論理的展開よりも、耳に訴える美感を狙い“連歌”のようなイメージで展開され独特の詩劇を創り出しています。

 

 

父の観阿弥は、「松風」「卒都婆小町」「通小町」「自然居士」など、会話をドラマチックに書く作家だといわれています。座の経営者でもあった子の世阿弥は、他の座に格差を付ける為もあり、情念を昇華して、緊密で優雅な能を創り「高砂」「老松」「清経」「実盛」「井筒」「檜垣」「班女」「砧」「恋重荷」「鵺」「融」など、来世と現世を現わす回想形式による夢幻能を創作します。

夢幻能:霊的な存在が主人公となるのが夢幻能の特徴で、能には夢幻能の他に現在能があり、現在能は生きている人間のみが登場します。夢幻能という名称は、霊的な存在があらわれたのがワキの夢の中とされています。

 

(世阿弥:室町時代の能楽師、世阿弥は実は能役者、作家であるだけでなく、結崎座(観世流)を率いる経営トップでした。また、世阿弥が記した能の理論書「風姿花伝」は、亡父観阿弥の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述で、もともとは公開が前提ではなく、後継者に伝えるための秘伝の書だったという。さらに世阿弥は、40歳ごろから約20年にわたり、芸の知恵を息子元雅に書き継いだ伝書「花鏡」も残しています。71歳で佐渡へ島流し、80歳で歿しました。また、後世に残る名言「初心忘るべからず」「秘すれば花」などを残しています。)

 

是非の初心忘るべからず。

時々の初心忘るべからず

老後の初心忘るべからず。

 

本来の意味は「未熟だったときの芸忘れることなく、その年齢にふさわしい芸に挑むということ(その段階においては初心者その次元ではまだまだ未熟さつたなさがあり、その一つ一つを忘れてはならない。「老年期になっても初めて行う芸というのがあり、初心がある。年をとったからもうイイとか、完成したとか云うことはない」とあり、そのときどきで、自分の心の状況を意識して、変えていくという意味合いか・・・。勝手に云わせて頂ければ“今日の最高を明日の最低に”とか“職人の一生修行”など、ニュアンスの違いはあるものの意味は近いかも・・・?

老後にも初心があり「初心」「初体験」と言い換えると分かりやすいと、何かの本に書いて有りました。

 

 

 

下記リンクは、まさに、「是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」世阿弥の教えそのもので、教育者として、として、どのように子どもに伝えるべきか、さらに、年齢を経ていくことにも広げており、世阿弥は芸能論として書いていますが、教育論、人生論としても秀逸です。ご参照頂ければ幸いです。

 

世阿弥の言葉:7段階の人生論―the-Noh.com

https://www.the-noh.com/jp/zeami/7stage.html

 

つづく

 

参考文献:「金澤の能楽」梶井幸代、密田良二共著 北国出版社 昭和47年6月発行・・「梅田日記・ある庶民がみた幕末金沢」長山直冶、中野節子監修、能登印刷出版部2009年4月19日発行・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』・日本大百科全書(ニッポニカ)「能」の解説 増田正造著・(世阿弥の言葉:7段階の人生論―the-Noh.com)https://www.the-noh.com/jp/zeami/7stage.html.com/