得ているもの | きょうもいいてんき

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心と身体、魂の癒し
「本当のわたし」を思い出すための、
変化・変容のために

私は飼い猫のりょうぶという存在から、
自分の欲求に率直であるという自由さを
得ています。
 
 
 
と同時に、
世話をしなくてはいけない不自由さも、
得ています。
 
 
 
 
「何かを得る」
と聞くと、
良いものばかりを想像しますが、
反対の面も必ず同時に得ています。
 
 
 
 
何かのパターンにはまってしまっているとき、手放すことを促されたりしますが、
そのパターンから何を得ているかを理解しなければ、手放すことはできません。

 
 
 
繰り返してしまうそのパターンから、自分の存在意義を受け取っているかもしれません。
  
 
自分はダメなんだという烙印や、
幸せになれないという刷り込みや、
誰かの犠牲になるものなんだという信念が、
隠れているかもしれません。




隠れているそれらを見つけてあげないと、
手放すことはできません。
 
 
 
 
 
自分にとって、もう古くてそぐわない感覚があるとき、それは離れまいと抵抗しますが、同時に、離れる方法を見つけてほしいのだと感じます。
 
 
 
キツくて苦しくて怖くても、
勇気を持って自分の内側をみつめていくと、
ある日ふと、変化の兆しが静かにやって来て、ポロリと瘡蓋が剥がれるみたいに落ちていく…。
 
 
 
そんな体験を繰り返して、繰り返して、繰り返していくと、扉が開いて、光が差し込んで来るのを感じるのです。
 
 
 
 
頑固に抵抗していた何かが、
泣きながら剥がれ落ちていく。
 
 
それは浄化されたことで、
喜んでいるようにも感じます。
 
 
 
 
 
 
 
つらつら書いてみました。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
 
おやすみなさい。
 


via 通奏底音
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