インド仏跡巡礼(32) ベナレスへ① | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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ブッダガヤから、聖地ベナレスへは、約250km。

スジャータの村を午後1時半に出発して、ベナレスのホテルには
夜8時40分に到着。約7時間10分、バスの走行時間である。

長距離だが、初めのような悪路はなく、割と楽な移動であった。

トイレも草むらの奥に入って、男女交代でしなくとも、普通に
ドライブインの施設が使え、牛の落し物を踏むリスクも無い。

とは云え、この国の“小便器”の高さは、何処でも異常に高い。

 

イギリスが、インドを植民地にしていた時代の名残らしいが。
昔の朝顔型小便器の位置が、自分の股下ほどで、背伸びが必要だ。

用が足しづらいだけでなく、自分の脚の短さを指摘されるようで、
何だか、使うたびに、トホホと、情けなくなるのだ。

それにしても、インド独立から70年近いのに、‫今だに英国基準
なのが、不思議だ? インド人でも背の低い人はいるしね。

もう一つ“大”の方だが、お尻は水洗いが基本で、紙は使わない。
個室内には、専用の蛇口が設置され、下に手桶が置かれている。

日本のウォシュレットみたいに、便座に電動洗浄機がつくのでなく、
手桶に水を汲み、マイハンドで洗う為、慣れないと難しい。
さらに使うのは、「不浄の手」とされる左手だから、なおさらだ。※

この国の80.5%を占めるヒンドゥー教徒は、食事や握手は右手を使い、
御不浄は左手と使い分けるので、トイレ設備も多数派向けである。

正直、日本人には、馴染まないが、「郷には従う」。と、言いたいが、
実際、個室の中は誰も見てないし、そこは適当に、対処しよう。

そんなトイレ事情にも慣れた頃だが、今夜泊る、此処、ベナレスを
最後に、長かった、インド仏跡巡礼も、ジ・エンドとなる。

                ◆

一般的には、ベナレスは仏教より、ヒンドゥー教の最大の聖地として
有名な気がする。特にベナレスに滔々と流れる、ガンジス河は象徴的
風景で、インド=聖なる河ガンガーの沐浴。と云うイメージが強い。

そんなベナレスには、インドの国内外から、ヒンドゥー教徒の巡礼者
や、プレミアムな死に場所として、最後の時を待つ信者が多く集まる。

また、ガンジス河沿いには、歴史がある寺院や宮殿が建ち並び、
最も“インドらしいインド”として、観光客にも人気が高い。

何より、この街が放出する、清・濁、浄・不浄が渦巻く、異文化の
エネルギーに、吸い寄せられる人々も、少なくないようである。

 



今回の仏跡巡礼の最後に、ベナレス近郊の町で、釈尊(ブッダ)が悟り
を開いた後、初めて教えを伝えた「サルナート」を訪れるが、

その前に、ヒンドゥー教のメッカ・ベナレスで、早朝の沐浴風景を
見学するのは、とてもありがたい。だが、ん~、何と言うか、

今まで視てた「インド仏跡巡礼」の旅番組が、急に「インドNOW」
の報道番組に、ポヨンと割り込みで、換えられるようで…、
頭のチャンネルの切り替えが、いささか、困難ではある。

マッ、それにしても、インドを象徴するガンガーの沐浴風景を見る
機会は滅多にないので、それはそれで楽しもうと、ベッドへ潜る。

ほどなく、深い眠りの、河の底へと、沈んでいくのである。


インド仏跡巡礼(33)へ、続く

※日常におけるヒンドゥー教の浄・不浄観は広範囲で、根も深い。
 元を辿れば、仏教誕生の遥か昔から、インド社会を支配してきた
 古代ヒンドゥー教とも云える、バラモン教に行きつく。
 バラモン教から始まるカースト制や、輪廻転生を前提とした宗教
 の在り方と対峙し、仏教は存在しえたが、その事は何れ…。