この度、株式会社Lilianを設立しました。

日本にいる中国人として、日本と中国を民間の力で
繋げていきたいという思いで会社を設立しました。

現在主な事業内容は下記の通りです。
・中国語通訳・翻訳サービス
・派遣型中国語レッスン・中国語スクール
・中国現地視察サービス
・中国関連ビジネスの企画・支援サービス

まだまだスタート地点に立っただけなので、
これからは今以上に頑張ります

株式会社Lilian
先日のブログに続きまして、
今日は最後の思いについて述べます。

それは変化です。

自分自身の変化です。

自分自身を変えようという強い気持ちがそこにあります。

会社員を辞めて、起業しますって言うのは
簡単ですが、実現するのは簡単じゃありません。

実際、少しずつ実現に向けて準備している中で、
時々とてつもない不安が襲ってきます。

自分の未熟さと無知と惰性に腹が立つこともよくあります。

自己厭悪になる時もあります。

いまの自分がいる'場所'と目指している’場所’の間に
差が大きい過ぎて、どこから埋めれば良いか、
考えすぎて、分からなくなる事も。。。

でも、一つ気づいたことがあります。

いままでの自分をそのまま続けたら、
何も変わらないということです。

自分を変えます!!

周りに変化を起こそうとするなら、
まずは自分自身の中で変化を起こそう!!


経営者になるということはいままで以上に責任を
負うことになります。

自分の会社に対する責任、
会社が提供するサービスへの責任、
サービスを受けるお客様への責任、
あるいは、
将来、社員が入るとしたら、
社員と彼らの生活に対する責任、
などなど、
それらすべてです。

途中退場は許されません!

自分が決めてやることに対して、
とことんこだわりを持とう!

もっともっと自分に厳しく!

そして、信念を持って、愛を持って、前へ進みます!

ゼロスタートの新人経営者ですが、
何とぞよろしくお願い致します。

Lilian

先日、起業への思いとして、家族について述べました。

今回はもう一つ大事な事について書きます。

それは仲間です。

本日まで、たくさんの人たちに支えられてきました。

日本に来て、最初の頃は、日本語も喋れなくて、
すべてゼロから始まりました。

あの頃は不安もたくさんありましたし、
何より、自分が外国にいることについて、
妙な寂しさを感じたからです。

東京はあの時の自分にとって、
ただの見知らぬ大都市でした。

でも、そんな不安を解消してくれたのは、
たくさんの仲間でした。

日本語学校で一緒に勉強した仲間、
アルバイト先でいろいろ教えてくれた仲間、
大学でともに夢を語り合った仲間、
会社に入って、一緒に仕事をしてきた仲間、
等々

いつしか東京が第二の故郷となってきました。
ここでの生活、ここで知り合ったたくさんの人たち、
すべて私にとっての大切な存在です。

たとえ離れていても、たまにしか会えないとしても、
いままで通りに大好きな仲間だと思ってます。

起業すると言った時、驚くほど多くの人が
応援してくれました。

みんなのおかげで、本当に勇気づけられました。



そして、もう一つ大事なこと!!

中国と日本、両方知ってるからこそ強く思います。

中国人と日本人も仲間であってほしい!!

政治やマスメディアに惑わされないでほしい!!

私たちは過去に生きてる訳じゃない、
いまを生きてる、未来へ行こうとしています。
過去のことは忘れては行けない、
でも未来へ影響するなら本末転倒になります。

ここで何かを批判したい訳じゃなく、
ただ自分の思いとして伝えたいです。

日本と中国、お互い補って、強くなって、
世界へと羽ばたくべきだと思います。

政治的な問題が変えられないなら、
民間のビジネスの促進で少しずつ変えていきます。

それの架け橋になります!

大好きな仲間たちのために、
大好きな日本と自分の祖母国のために!

少しずつ、強くなります!

Lilian

これから数回に分けて、私の起業への思いを書きます。

ずっと前から起業したいと思ってましたけど、なんで
したいかについては、正直深く考えていませんでした。

最初はただ社長になりたい、お金持ちになりたい、
自由になりたいって自分でも思ってました。

でも、本格的に起業の期限が近づいてくると、
本当にそれだけ?って自問するようになりました。

私はなんで起業をするの?何のために?って、
毎日考えてました。。。

そしたら、最近ようやく少しずつ分かってきました。

その一つは家族です。


1歳半の時に、いろんな事情がありまして、
親が離婚しました。

その後、母は女一人で日本に留学して、再婚して、
いまに至ります。


父も4歳の時に、私から離れまして。。

それから、お爺ちゃん、お婆ちゃん、親戚のおじさん、
おばさんに育てられて、高校卒業とともに、東京にいる
母のところに来ました。

もっと複雑なことがたくさんありましたけど、
ここでは省略します。
※将来小説のネタにします(笑)。。。

要は、生まれて一度も父、母、私ていう家族の形を
体験できないまま、大人になったのです。

もちろん、育ててくれた親戚たちは、みんな優しくて、
自分の子供以上に甘えてた、感謝してます。

でも、自分がずっと他人の家にいるという意識は、
小さいながら、はっきりと分かってました。

小学校の時から早く大人になって、一人で自由に
生きたいって強く思い続けたのです。

母は2年ごとに上海に戻ってきて、旅行を連れてて
くれたりしてました。
でも、毎回2週間ぐらいの滞在で、母との時間は
いつもあっという間に終わってしまいます。

あの頃、中国では愛情、友情、親情(家族)の
順番付けが流行ってました。。
私はいつも友情、愛情、最後に親情だった。。
家族はいなくても、一人で生きていけるって
強く思ったからです。

・・・

そして、18歳の時に、東京にいる母親のところに来て、
母と日本人の父(M)との3人生活が始まりました。
※Mは大変優しくて、大好きです。

その時から気づいたのは、ほぼ母と一緒に暮らした
ことがないのに、性格や趣味など、
驚くほど似てたことでした。

最初は友達のように、毎日夜遅くまで話したり、
買い物に行ったりしてました。

でも、続かなかった、だんだん喧嘩が多くなってきて、
私はまるで反抗期の中学生みたいに、
母が言うことに対して、とにかくうるさいと思いました。

性格が似てるせいか、どちらも譲らないし、
謝らない。。。
それがかなりひどく、長い間で、続きました。。

・・・

社会人になった1年目、実家から逃げるように
一人暮らしを始めました。

最初はほとんど実家に帰らなかった、
たまに帰ったとしても、
喧嘩したりしてました。。

でも、いつの間に、月一で帰るようになりましたし、
母との喧嘩もなくなりました。

最近となって、母も私も、お互いにありがとうって
素直に言えるようになって、昔より深い話が
できるようになりました。

再度離れて、初めてお互いの重要性を
気づいたのかもしれません。

昨年年末、実家に帰って、久しぶりに見た母の顔が
著しく老けたように見えました。
その瞬間、思わず恐怖を感じました。
失いたくない!!!って初めて思いました。

こんなに大切な人が近くにいるのに、
いままで気づけなかった。。

強がってた。。恨んでた。。バカだった。。

でも、気づきました。。

自分が母のいない日々を過ごしたと同様に、
母も娘がいない日々を過ごしました。

いまやっと素直に思えます。

もっと母との時間を増やしたい、
また一緒に旅行したい、
私たちが失った時間を
一緒に取り戻したい!!!

元気のうちに!!


・・・

そのために、金銭的自由、時間的自由が必要です。

起業はそれらを手に入れる大切な手段です。
リスク伴いますが、それ以上に達成すべきことが
あると信じてます。

多くの人が起業する理由の一つが家族のためだと思います、
でも忙しくなるとついつい忘れがちです。。

これからはもっともっと忙しくなりますが、
この思いを忘れないように奮闘します。

※長くてすみません、最後まで読んで頂き
 ありがとうございます。

Lilian

つづく