神武・綏靖・安寧・威徳・孝昭…
車の中で前世代的にブツブツ唱えるわたし…
「お参りして来た川匂神社は垂仁天皇の朝に創建、これから向かう石楯尾神社は応神天皇の臨幸の記録あり…ん?応神天皇って第何代?…応神・仁徳なんだから仁徳よりは前なんだよね…」
結局のところ、とても古くてよくはわかりませんが…という事らしい
川匂神社神社を後にして向かったのは、一番行き難そうな石楯尾神社、相模湖の奥の方にあります
「武田信玄が北条攻めの時に焼き討ちにした(焼き討ちではなく武田軍の出した火が類焼との説も)神社らしいよ」
との夫の説明に
「信玄がここらを通って小田原へ行ったとしても不思議じゃないけど、ここって信玄のお膝元の方が近いと思うよ」
相模国に入れてあげたくないわーなどと不謹慎極まりないわたし
いやいや、今でもれっきとした神奈川県相模原市なんですけどね
ところが現地に到着、御神木を見た瞬間
↑こちらの二本杉が御神木
立派な木立に「この御社は甲斐国にはあげない」と、またも不謹慎極まりないことを宣うわたし
夫が集めている延喜式内相模十三社の御朱印
その内の何社かを回ろうとある晴れた日のドライブ
思っていた以上に、荘厳な神社に圧倒されつつ…
ガラスの映り込みでよく見えないのだけど、本殿の周りをガラスを入れた家屋で囲み、保護しているようです
繋がる通路から拝殿
この社殿は享保年間(江戸時代)に作られたものらしい
拝殿を正面から
決して、大きくはないのですが、立派です
敷地内、眼下に川(相模湖)を見下ろす斜面側
大黒天を頭に小社が並んでおりました
その中で気になったのが
疱瘡神社
いわれなどは分からないのだけど、この地区でも天然痘が流行った時代があったのかもしれない
鳥居脇の碑文
道に面して木立に紛れてる苔むした石鳥居
地震およびこの後も崩れるかもしれないから近づかないでの看板
内参道の階段
これが急なのよ
夫氏、急階段をカニ歩きで降りる図
わたしは怖くて、さらに手をついて降りました
踊り場から折れた上段と門
門を拝殿側から見たところ
神輿が仕舞われていました
山の中の小さな社だろうとタカをくくって行ったのですが、立派な神社で驚きました
残念なことに、社務所も隣の恐らくは神職さんのご自宅もお留守で御朱印がいただけなかった
なのできっとまたリベンジにいくんだろうなあ