前回(第4回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年1月号に掲載されたエッセイの5回目です。


第5回


 自分への怒りを娘に八つ当たりし、罪悪感やら虚無感やらよくわからない感覚に囚われた僕は子供たちを寝かせた後、ふらふらと風呂場へ向かった。シャワーを浴びていると止めどもなく涙が溢れてきた。嗚咽を隠すように僕は長い間シャワーを浴び続けていた。

 少し落ち着きを取り戻し、風呂上がりに台所で水を一杯飲んで喉を潤す。

「大丈夫?」

 いつの間にか妻が台所に来ていて心配そうに僕を覗き込んでいた。突然の登場にびっくりしたことは間違いないけれども、僕は自分の鬱屈した気分を隠すように大げさに驚いてみせた。

「びっくりしたぁ! 大丈夫なの? 寝てた方がいいんじゃない?」

 妻は微笑んで続ける。

「ごめんね、急に苦しくなっちゃって…。それにしても、あの子も仕方のない子なんだから」

 がん患者に心配され、謝られ、我ながら本当にどうしようもないヤツだと思う。僕というヤツは。

「いや、ごめん。怒鳴ったりして。がんにはストレスが一番良くないよね。一番良くないことを僕がやるなんてね…」

 言っている途中で自分が心底情けなくなって涙がこぼれてきた。ダメだ、こんなときに僕が泣いてどうするんだと堪えていたら妻が僕の肩を抱いて慰めた。

「あなたはいつも大事なことを我慢しすぎだよ。実家のことも大変なときにちゃんと悲しませてあげられなくてごめんね。泣けるならちゃんと泣いたほうがいい」

 その夜、僕はしばらく泣き続けた。妻の前で涙を見せるなんて結婚以来初めてのことだったように思う。そしてその涙は情けなさからくるものじゃなく、いつの間にか妻ががんになったことへの悲しさを表す涙へとなっていた。ここにきてようやく僕は妻のおかげで素直に悲しむことができた。

悲しんだ後は金勘定ばかり

 妻を支えるためにしっかりしなくては、と気張ってばかりいたけれど、順序が逆だったのかもしれない。泣くことで僕は自分の気持ちに向き合うことができ、翌朝からは空回りせずわりと冷静に物事を考えられるようになっていた。

 何はともあれ不安をひとつひとつ整理して片付けられるものから手をつけていこう。手術を約2週間後に控えていた7月下旬、妻の体調も不安定だったので勤めていたパートを辞めるよう勧めた。我が家の家計は妻のパートに頼る部分が大きかったので簡単に辞められるものではなかったけれど、今はとにかく治すことに集中してもらおうと思ったし、妻の体調を見ても働くことは実質不可能なことのように思えたのだ。

 共働きでやりくりしていた家計が片肺飛行になり、今後の生活を僕一人でなんとかしなければならなくなったわけだけれど、その前にまず解決しなければならない問題があった。来月の手術と入院費用の工面だ。4人の子供がいて僕らも40代になっていたけれど、恥ずかしながら僕らには貯金というものがまったくなかった。恥ずかしながら、とは言ったものの世帯年収は300万円以下なので、借金をせずに日々を過ごしていくのが僕には精一杯だった。

 入院費がいったい幾らになるのか不安だったが、健康保険には「高額療養費制度」というものがある。入院などで医療費が高額になった場合に収入に合わせて一定の金額(自己負担限度額)を超えた部分が払い戻される制度だ。今回は高額になることが事前にわかっているので「限度額適用認定証」を申請しておけば、払い戻しを待つことなく最初から限度額だけを払えば済む。我が家の自己負担限度額の区分は一番低い「区分オ」(被保険者が市区町村民税の非課税者等)で限度額は3万5400円。ちなみに、入院時の食事代や病衣代は自由診療扱いになり高額療養費制度が適用されない。入院先の病院に今回の入院で幾ら必要なのかを問い合わせると、我が家の自己負担限度額に食事代などを合わせると5万円超の支払いになるということだった。

「高額療養費制度のおかげで助かった。ありがとう…。国民皆保険制度のある国に生まれて良かった」

 もちろんそう思うのだが、ありがとうと感謝してばかりもいられない。入院費が10万円だろうが100万円だろうが、負担額が5万円程度というのは実に助かる。すごく助かる。しかし、である。この入院ですべての治療が終わるわけではない。その後も放射線治療、抗がん剤やホルモン剤による治療が待っている。少なくとも5年は続くそうだ。のちに知ることになるのだが、ホルモン剤の注射の自己負担額はかなりの高額である。毎月射つとなると1回3万円以上する薬なのだ(半年に一回の製剤にすると体への負担は大きいが幾分安くなる)。高額療養費制度のおかげで自己負担額は月に高くても5万円程度に抑えられそうなことはわかったが、決してそれは我が家の家計が救われたということではなかった。妻が働けなくなった上に新車のローンを1台分抱えたようなものだった。

 なんとかして僕一人で我が家の家計を切り盛りしつつ、さらに車一台分のローンくらいの負担を払えるようにしなくては…。どうやったらお金を稼ぐことができるだろう、う〜む…。と、眉間にシワを寄せて無い知恵を絞ろうとしていたら、妻がハッと気がついたように言った。

「そういえばわたし、がん保険に入れてもらったよね」

 僕らは3年ほど前に保険を見直したばかりだった。長女が生まれたときだから、僕は14年ほど前から同じ保険会社の生命保険と医療保険に入っていた。加入当初の担当者は僕らのライフプランを親身に考えてくれて、無理なく最低限の保障を考えてくれていた。その担当者が変わることになったのは3年ほど前。がんに斃れてしまったのだ。後任の担当者が挨拶に訪れたとき、ちょうど妻も資格を取って働き始めていたので妻の保険を見直すことにしたのだ。妻は家族歴や生活習慣から見てもがんのリスクは低いように思えたが、がんで亡くなった前任者が後押ししてくれたのかもしれない。妻の反対をよそに僕は妻の保険にがん特約をつけることにしたのだった。

 僕の記憶は曖昧だったが、妻は保険料振込のたびに「また保険代が無駄になった」と思っていたのだという。どんな保険だったのか、本当に加入していたのかも忘れていたので慌てて証書を引っ張り出してみた。たしかにがん特約に入っていた。死亡後の保障というよりも治療を支える医療保険に近い特約を選択していたようだ。ともあれ、これで入院費は工面できるし、その後の生活も半年はなんとかなりそうだった。

「すごいな、3年前の自分!」

「えらい! えらい!」

 保険の証書を二人で眺めながら、久しぶりに夫婦で心から笑ったような気がした。


via モケモケ釣り釣り
Your own website,
Ameba Ownd