第6回

 

 

 乳がんが告知され、手術を2週間後に控えた8月初め、妻の医療保険にがん特約を3年前に付けたばかりだったことに気づき担当者に連絡をとった。担当者であるソニー生命の高橋さんは申請に必要な書類を持って早速駆けつけてくれた。今後の治療スケジュールからおおよその保険金を予測すると、治療費を差し引いても妻の収入の半年分は手元に残るだろうということがわかった。このときの安堵感は、まるで命が助かったと思うくらいにとても大きなものだった。まだ治療はこれからなのだけれども、がん患者とその家族にとって、経済的な不安を感じずに治療に専念できるというのはそれほど大きなものなのだと実感した。

「保険に入るというのは自分の生活を守ると思われる方が多いんですけど、実はそれだけじゃないんです。ご自身の親兄弟の生活を守るためでもあるんじゃないかと僕は感じています。大きな病気をすると治療のために働けなくなりますから、治療費や生活費といった問題に直面します。保険に入っていないと、どうしても身内に頼らざるを得ませんよね。保険に入っていれば身内に借金をしないで済みますから、結局のところ家族を守るということになるんです」

 高橋さんのこの言葉も僕の心によく響いた。先般、僕の両親は離婚を決めたばかり。いくらお金に困っていても独りとなった母に無心するわけにはいかなかった。妻にとっても安心感は強かったようだ。この頃の妻はなにかにつけ謝ることが多かった。家事を代わりにやっても、病院の支払いのときも「ごめんね」と僕に謝ってばかりだった。体調が悪く思い通りに動けないことや、入院に先立って勤めていたパートを辞めることになり収入が無くなったことも負い目に感じているようだった。自分の存在が僕や家族の重荷になっているのではないかと恐れているようにもみえた。

「入院すれば1日1万円の給付があるよ。日給1万円だ。手術も給付金が下りるからこれはがんばったボーナスだね。出稼ぎだと思ってがんばって!」

 そう茶化して僕は妻を励ました。

 保険金で食べていく。字面だけみると実に不謹慎だ。でも、がん保険による給付金は、妻の治療費だけではなく僕らの生活を実際に支えることになる。妻はけっして重荷ではなく、あなたのおかげで家族が食べていけるんだ、自信を持ってほしいと僕は伝えたかったのだ。

 

妻不在の喪失感を埋めるために

 

 いくつかの検査を経て8月中旬、妻は手術のため入院した。退院予定日は8月末。2週間ちょっと家に妻がいない生活を送ることになった。4人の子供たちは夏休みの真っ最中。当然のことながら学校の給食がないので毎日昼食の用意をしなければならない。妻不在の家で、である。この状況、普通のサラリーマンで家事が不得意な夫であったらまさに絶望的な状況であっただろうなと容易に想像できた。

 しかし、この点で我が家は実に恵まれていた。僕はいわゆる一般的なサラリーマンではないので家に居ることができたし、家事も得意なほうなので普段から毎日の夕食はほぼ僕が作ってきた。しかも隣家は妻の実家なので困ったことがあればすぐに頼ることができたし、義母は毎日のように夕食の一品、あるいは全部を作ってくれた。

 妻の入院は初めてではない。4人も子供がいるのだから、これまでその出産のたびに入院してきたし、妻不在期間の仕事と家事の両立がいかに大変なものかも身に沁みてわかっている。だから大丈夫。そう思っていたが、今回ばかりは様子が違ったようだ。出産による不在とがん治療による不在。妻が家にいないということは変わらないのだけれども、不在の理由が異なるだけでこれほど違うのかと思い知った。

 子供たちはいつも明るく振舞っていたけれども、妻の不在に明らかに動揺していた。末娘はまだ7歳。小学生になったとはいえ、まだまだ甘えたい盛りだ。それに末娘は母親がいない家で眠りについたことがこれまで一度もない。妻と半月の間、離れて暮らすということだけでも末娘には大きな出来事だった。出産による入院であったら、入院期間中は家事が大変で寂しいというだけだったろう。退院してきたら新たな家族が増えるという希望もあったろう。だけども、今回はがんの治療のための入院である。退院してもすぐに完治といえる病気ではないし、子供たちには母親の喪失感と不安だけが重くのしかかっているように見えた。

 そんな子供たちの動揺を見て僕は妻の入院期間中も家になるべく居ようと思った。当初は妻の分も働こうと時間を作って現在の仕事以外にアルバイトもしようと考えていたのだ。しかし、当面は保険の給付金で食いつなぐことはできるし、毎日子供らを連れて見舞いに行くことで妻も子供たちも安心できるのではないか、今回の入院が子供たちの心に暗い翳を落とすことにならないのではないかと考え直したのだ。そして、どうせ家にいるのなら子供たちの様子を動画に収めてユーチューブにアップし、入院中の妻に届けようということも考えた。それが再生数を稼ぐことになったら新たな収入になって妻の経済的な不安も少なくなるという微かな希望もあったけれど、自宅に居ながらやれることはなんでもやらなければという焦燥感が僕にはあった。何かしていなければ落ち着かない。今にして思えば、妻不在の喪失感は僕にも襲いかかっていたようだった。

 8月の夏休みといえば、我が家の子供たちは毎年プラモデルの制作で家に籠るというのが恒例行事だ。かなり変わっている夏休みだが、長女のめいはガンダムのプラモデル「ガンプラ」のワールドカップのジュニア部門で日本大会を5連覇しており、長男の柾は模型誌の『ホビージャパン』が毎年開催している全国コンテストのジュニア部門で3連覇を果たしている。両コンテストの締め切りは同じで9月1日。そのため、8月は追い込みでいつもプラモ作りばかりしているのだ。長女のめいはテレビや新聞などにも出ているし、ユーチューブが収入源になることはまったくの夢物語ではないかもしれない。そんな希望を持って僕は慣れない動画編集に四苦八苦しながらも夜な夜なパソコンに向かった。

 子供たちもガンプラに一所懸命向き合うことで母親の不在を少しまぎらわすことができたようだった。特に長女のめいの制作姿勢には鬼気迫るものさえ感じられた。妻の入院を控え、当初は僕も今回ばかりは制作を諦めるよう勧めた。めいの場合は他の子よりも没頭の度合いが強く、制作時間も長いので妻のいない当時の環境ではとても締め切りに間に合わないように思えたし、満足のいかない作品が出来上がったときに妻が責任を感じることが僕は怖かったのだ。しかし、めいは諦めず、弟たちの面倒や家事をよく手伝いながらも机に向かったときはまさに鬼気迫る集中力で作業をこなしていた。前年に初めて日本代表を逃していたが、そのリベンジというよりも母親が大変な思いをしている今だからこそ絶対に世界一を獲るんだという強い信念を感じた。

「でも、作っているうちにそんなことは全部忘れて、作っていることがただただ楽しくて作品に救われたんだけどね」

 めいが後になってそう話していたように、模型に向き合うことは子供らの不安を和らげ、その姿は入院中の妻を元気付けることにもなった。そういう意味で僕の動画編集は一定の成果を得た。が、残念なことがただひとつ。現在になってもいまだに1円の収入にさえなっていない。

 

(『北方ジャーナル2018年2月号』掲載)

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