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『北方ジャーナル』2018年3月号に掲載されたエッセイの7回目です。


第7回

乳房部分切除術


 2017年8月16日。さっぽろ麻生乳腺甲状腺クリニックで妻の外科手術が行なわれた。手術の名前は「乳房部分切除術」。おっぱいをまるごと切除する「乳房切除術」ではなく、腫瘍のみを取り除く手術だ。手術当日は長女が風邪をひいてしまい、下の兄妹3人だけを連れて付き添うことに。僕らにできることなど具体的には何もないのだが、家族や親しい人間が手術の際に身近にいることは、いざというときに役立つということを僕は経験している。


 長男の出産のときのことだ。朝5時にツルンと産まれて良かった良かったと長女を連れて自宅に帰って眠ろうとした途端、病院から電話が入った。


「産後の出血が止まらず意識が戻りません。奥さんの親御さんにも連絡を取ってすぐに来てください」


 親族を集めるということは危篤状態ということ。慌てた僕は指示通りに義父に連絡を取り病院に向かった。駆けつけたときの妻に意識はなく、心拍数も下がり続けていた。看護師たちがいくら声をかけても応答しないという。


「起きて、ねえ、起きてよ」


 いつもと変わらない感じで寝ている妻を起こすように呼びかけても応じない。僕は意を決して妻に平手打ちをして叫んだ。


「おい! 起きてよ!! 子供たちどうすんの! 一人にしないでよ!」


 そこで初めて妻の目や口が動き、混濁しながらも意識が戻った。そこから心拍数が戻るのにも時間を要しなかった。助産師がホッとしながら僕に言った。


「やはり私たちじゃ意識は戻せなかったんですね。ご主人じゃなきゃ危ないところでした。医学だけでは説明できない人間の不思議なところです」


 しばらく経ってこのときのことを妻は、

「パーッと視界が白くなって気持ちよくなって楽な世界に行こうとしていたら、なんだか呼ばれて戻らないとなぁと思って。そしたら急に苦しい世界になった…」と振り返っていた。良かった。殴ったことはバレていないようである。


 話が逸れてしまったが、ともかく傍にいることの大切さを実感しているので万が一のときのために手術日は長い時間付き添うことにした。


 手術前、妻はリラックスした状態でそのときを待っていた。落ち着きがないのは子供たちのほうである。妻を疲れさせてはいけないと気を遣いながらもソワソワして病室をウロウロしたり妻に甘えたり…。妻が手術室に入ってからは遠慮する必要がなくなったからか、


「大丈夫だよね? お母さん、大丈夫だよね?」

 と、僕に不安をぶつけてきた。


「できものをちょろっと切って取るだけだから大丈夫だよ。なーんも心配いらない」と答えて、手術中は子供らを近くの公園へと連れ出した。


 我が家は子供が4人いるので、父親である僕が子供らと遊ぶことは実はほとんどない。子供同士で遊んでくれるからだ。ただ、この日は珍しく子供らと公園で缶蹴りをして遊んだ。数年ぶりに僕は全力で駆け回った。


 手術後、妻は麻酔でぼーっとしながらも子供らに笑顔を見せていた。しばらくして執刀医の亀田博院長から説明があった。妻の腫瘍の大きさは12㎜。「センチネルリンパ節生検」によってリンパ節への転移がないことがわかり、ステージとしてはⅠ期であることが説明された。


 乳がんのがん細胞が最初に転移するわきの下のリンパ節というものがあり、これを「センチネルリンパ節」というそうだ。センチネルとは斥候、見張り番のこと。まずここががん細胞の襲撃を受けるので、ここに襲撃の後つまりは転移がなければ他のリンパ節にも転移がないと考えることができ、センチネルリンパ節以外のリンパ節を取り除く手術を省略しても再発率に影響がないことがわかっている。妻の場合、わきの下をちょっと切ってリンパ節のひとつだけを切除するだけで済んだということだ。


 一通り説明した後、亀田院長はおもむろにホルマリン漬けの組織が入った小瓶を取り出して話し出した。


「切除した組織を息子さんが見たいということだったので用意したけど…息子さんは?」


 そうだ。長男がどうしてもがん細胞を見たいというので妻からお願いしていたのだった。病室にいる息子を呼び出し、小瓶から取り出した組織を眺めさせる。


「がん細胞といってもその周りの組織ごと取るからなかなか見えないんだけどね。そう、この辺りにあるんだよ」


 ピンセットでこねくり回しながら息子に説明する亀田院長。一言も話さず聞き入り、じっと見つめる息子。写真を撮ったが、掲載するのが憚られるくらいにグロテスクなものだったから息子もショックを受けたのだろうか。このときは何かを考えているようで押し黙っていたので後日に感想を訊いてみた。


「がん細胞って見たことないから見たかったの。転移するっていうから液状だと思ったけど固体だった。見れて良かった。勉強になったよ」


「それだけ?」


「うん、それだけ」


 母を苦しめたがん細胞を確かめたいとか、そういう気持ちは一切なく、ただ単純に興味があったから見たいとせがんだのだという。我が子ながら変わった子だ。


 ただ、息子のおかげで組織を僕も見たことは結果的に良かったと思っている。腫瘍のみを取るという乳房部分切除術といっても、腫瘍から1㎝程度離れた正常な組織も取り除くので最終的には直径約5㎝の球体状の組織がえぐり取られることを、自分の目で見て理解することができたからだ。


 術後、妻は腕がうまく上がらなかったり、疼痛に苦しむことになった。そんなときも「あれだけの組織を取ったのだから仕方ないよな」と妻の気持ちに寄り添いリハビリに協力しようという気になれたのは、好奇心の強い息子のおかげで僕も見ることになったあの小瓶のおかげなのである。


(『北方ジャーナル2018年2月号』掲載)

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