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『北方ジャーナル』2018年5月号に掲載されたエッセイの7回目です。


第9回

人生、谷あり谷あり

 2017年7月に乳がんが見つかり、8月に妻は手術のために入院した。4人の子供たちはちょうど夏休み。当たり前のことだが昼食は毎日用意しなければならず、給食がこれほどありがたいものだと思ったことはなかった。


また、この時期には僕の両親の離婚が成立。このことには本当に精神的に追い詰められた。

8月下旬にはガンダムのプラモデルで有名になってしまった長女へのテレビ取材が自宅で行なわれたり、9月上旬には地元小樽市のコスプレイベントへの協力など、仕事や家事以外にもいろいろと忙しいことが重なった。


実のところ、これまでほとんどのテレビ取材は断ってきた。もうすでに何度か受けてきたし、テレビの取材というのはとにかくシンドイからだ。拘束時間が長く、せっかく撮っても9割がた使われないのが普通だし、ときにはボツというのも珍しくないのがテレビ取材。もちろん、取材後の制作会社の人たちによる編集作業のほうが時間がかかり大変なのだろうけど、僕らはいつもノーギャラで依頼されているのでそんな苦労は知ったことじゃない。有名になることで何か利益があるなら取材を受けるけれども、特段無いので基本は断ってきたのだ。


それなのにしかも今、この大変なときに取材を受けたのは、闘病中の妻、そして離婚したばかりの僕の母にとって娘の露出は大きな楽しみとなるから。少しでも良い話題になればと、妻が不在で散らかしっぱなしとなった我が家にテレビクルーを迎えるべく、数日かけて大掃除し、取材当日は8時間ほどの拘束時間に耐えた(放映時間は5分強)。


 少し話が逸れてしまったが8月はそんな感じで慌ただしく過ぎ、月末には妻が退院、9月下旬には放射線治療のために再び入院することになった。その直前、幼い頃から今に至るまで世話になりっぱなしだった母方の祖父が亡くなった。


 妻が乳がんになり、両親は離婚してこのとき僕の中で父は死んだ。そして今度は大好きだった祖父が本当に死んでしまった。人生山あり谷ありとはいうけれど、近頃は谷続きだ。人生の谷の中で、今回の谷はどれだけの深さなんだろう。人生のマリアナ海溝はこれくらいなのだろうか。いや、もっと深いのだろうか。斎場で、骨壷に入りきらない頑丈な祖父の骨を砕き入れながら、僕はそんなことをぼーっと考えていた。自分自身が病気になったり裏切られたりするような不幸だったらまだマシだったのかもしれないな、とも思った。自分が大切にしている人の不幸というものはやりきれず、切ないものだ。僕の4人の子供たちは今のところ特に大きな病気はしていない。今はそれだけが救いでありがたかった。


 10月末まで妻は放射線治療のため北海道大学病院に入院した。しかし、僕は前回の入院と違って毎日のように見舞いには行かなかった。そして、見舞いに行っても妻と話すことを極力避けていた。いわゆる“冷たい夫”にこの頃の僕は変わっていた。


がんになった妻と別れる夫の気持ち


「がん離婚」という言葉がある。パートナーにがんが見つかったことをきっかけに別れてしまうことで、奥さんががんになった場合に多いケースのようだ。日本の夫婦は3組に1組が離婚するという統計もあるようだから、がんが契機になって別れるのも仕方ないかなとも思う。しかし、それにしてもがんになった奥さんを捨てるように別れるってひどい話だなぁと思っていた。そう、「思っていた」のだ。今はがんになった妻との別れを選択する夫の心情が僕にはちょっとだけわかるような気がする。


 妻が乳がんであるとわかったとき、僕はパニックに陥りながらも「夫である自分がしっかり支えなければ」と必死になった。僕自身は医者ではないので病気は治せない。できることといえば、妻が療養に専念できるよう環境を整えることだけだ。つまり、経済的不安をなくすこと、家事、育児ということになる。最初の1、2カ月は火事場の馬鹿力で慣れないこともそれほど苦にはならないし、妻も外科手術を受けていかにも病人らしく弱っていたのでとにかく助けなければという気になっていた。しかし、がんの治療というのは長い。ホルモン剤の影響で、妻もなんとなくぐったりしていたり機嫌の悪い日が続く。家庭の中の空気はまるで長い梅雨のようで、僕の身体にはいつもカビが生えたように慢性疲労がつきまとう。そして、“経済的な不安の解消”という責務。言葉にするには実に簡単だが、それがわずかな期間に努力するだけでなんとかできるなら、僕はとっくに贅沢な暮らしができているはずだ。現実はなかなか思い通りにはいかず、経済的な問題にぶつかるたびに自分の不甲斐なさを直視しなければならなくなる。


「今日も洗濯ができなかった…。学校への教材費の納付も忘れてしまった、子供に悪いことしたな。あ、トイレットペーパーがきれた…」などと、家事というのは日々タスクが溜まっていく。これをすべて徹底的にこなしていくのは実は不可能だし、もし仮にすべての家事を毎日高いクオリティでこなしたとしても誰も評価してくれるものではない。だから、できる範囲で家事は“ほどほどに”こなして、自分を追い込まず笑顔で日々を過ごすのが家事の大切なポイントなのだが、サラリーマン生活の長い男というものはこれがなかなかわからない。僕は生真面目なほうでなかったからそれほど苦しまなかったけれど、真面目な人ほど「ああ、今日もあれができなかった…」と自分を追い込み苦しむことになるだろう。それはまるで育児ノイローゼで悩む若い母親のように。


 そして、人はたぶんもともと孤独なものでそのままでは寂しいから結婚という手段を経てパートナーと一緒になり、肉体的にも一つになるのだろうけど、病に苦しんでいるのはいつも妻だけだし、闘病中の妻に「夫婦生活」を強要することはできない。夫は孤独な自分、経済的にも家事においても妻を助けられない不甲斐ない自分を突きつけられ、いつしか「どうしてこんなに俺を苦しめるんだ!」と、妻の顔を見るたびに思うようになっていく…。


最初はパートナーを支えようと思っていたはずなのに、いつしかそれは憎しみに似た感情に変わるのかもしれない。そして、現実的に考えればむしろ離婚して妻が生活保護を受ければ、夫が妻を支えるよりもしっかりと社会保障で妻の病気は支えられるかもしれない。がん保険に入っていない若い夫婦であるなら、互いの愛情はともかく現実的な選択として離婚を選択しても仕方がないのかもしれない…。奥さんががんになって別れる夫の気持ちはそのようなものではないのかなと、僕は自分の妻が乳がんになってから想像するようになっていた。


(『北方ジャーナル2018年5月号』掲載)

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