前回(第9回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年6月号に掲載されたエッセイの10回目です。



第10回

“ひでぇ親”なりの家庭防衛


 2017年9月下旬、妻は北海道大学病院に放射線治療のため入院した。1カ月前に乳房部分切除術という外科手術を受けて、ごく初期の乳がんであることが確定し、腫瘍も取り除かれたが検査では発見できないごくごく小さながんの芽を摘むために行なわれるのが手術後の放射線治療。妻は20回におよぶ放射線照射をおよそ1カ月半で受け、その胸は少し焼けただれたようになっていた。


 前回書いた通り僕は、最初の外科手術のときのように毎日見舞いに通うこともなく、家では子供たちの些細なトラブルにも苛立つようになっていた。溜まった家事を放り出してどんなに寝ても疲れが身体から抜けないような状態だった。しかし幸いなことに(?)僕は鬱病というものを経験してきたし、がんを契機に夫婦が別れる『がん離婚』という言葉も知っていた。これは放っておくとちょっとマズイことになるな、という自覚症状を持つことができていた。


 僕は妻が乳がんとわかるまで毎日のように釣りに行っていたが、彼女の手術以来、パタリとやめてしまっていた。日々の生活に忙しくて時間的に無理だったというのもあるけれど、海へ行って遊ぼうと思う心の余裕がなかったし、僕だけが楽しむことにどこかやましさもあった。このままでは『がん離婚』という結末に向かってしまうという危機感を抱きつつも、実家に子供たちを預けてパーっと遊んでストレス発散するような気分でもなかった僕は考え抜いた挙句、妻が入院する前の“日常”を取り戻そうと思うようになった。つまり釣りを特別な気分転換のようにするのではなく、今までのように生活の一部のような感覚で再開することにしたのだ。まずは近頃はすっかり読まなくなっていた釣り新聞を買い、天気予報や潮汐表も日々チェックすることから始め、コンディションが良さそうな日は早めに家事を片付けて子供たちを寝付かせてから深夜にコソコソと夜釣りに出かけるようになった。


 釣り場に行くと気のおけない釣り仲間が僕に言った。

「あれぇ? 奥さん入院してんじゃないの? 子供たちほっぽり出して釣りかい。ひでぇ親だなぁ!」


 まったくもって彼の言う通り。でも、変に気を遣われるより僕のろくでなさをズケズケと言ってくれることがありがたかった。


「いいの、いいの。こうやってね、釣りに没頭してる間だけでもいろんなこと忘れたいのよ」と答えるのが精一杯だったが、これが僕の本音だった。子供たちを家に置いて夜中に出かけるのは倫理的にも防犯の上でも親として許されることではなかったが、僕にはリフレッシュする方法はこれしか思いつかなかった。僕が心に余裕を持ちなるべく笑顔でいなければ家族そのものが壊れてしまうような気がしていた。


1日を終えられただけで「大成功!」


 10月下旬、妻が退院して自宅療養とホルモン療法の日々が始まった。ホルモン療法は服薬のほかに皮下注射があり、妻は退院とほぼ同時に2回目の注射を打った。最初の注射のときはしばらく腹部に打った注射の痛みが続き、服用する薬の副作用のめまいや頭痛で1週間ほど寝たきりだったが、今回は「少しは慣れてきたみたい」と気丈にふるまっていた。乳がんが見つかった頃より態度が冷たくなっている僕に気を遣っていたのかもしれなかった。


 妻は調子の良い日はテレビを観て過ごし、具合の悪い日は寝室から出てこれず、僕は家事と仕事をこなしながらも毎夜のように釣りに出かけて過ごしていた。妻が帰ってきて子供たちに少しずつ安堵の色が広がっていくのを感じつつ、11月の我が家は家族それぞれが思い思いに過ごしていたように思う。そんなある日の夕飯、小学6年生の長男が深刻な顔をして悩みを打ち明けた。


「中学生になって勉強についていけなくて、将来、思い通りの職業につけなかったらどうしよう。最近、失敗したときのことばっかり考えちゃって何もできなくなっちゃうんだよね…」


 しょうもないことを真剣に悩んでいる姿を見て思わず笑ってしまったが、妄想癖のあるこのちょっと変わった子にとっては一大事のことのようだったので僕なりに真面目に答えた。


「そんな先のこと考えても仕方ないでしょ。将来の夢のために今、いろんなことを我慢して努力することも大事だけどね、もしかしたら明日、事故に遭ったり災害が起きて死んでしまうかもしれない。もし死んじゃったら、遠い将来のためにやってきた努力や我慢はすべて無駄な時間だって考え方もあるよ」


 横で聞いている妻が妙にうなずいていた。がんという病気を経験して遠い将来の約束ができなくなっただけに思うところがあったらしい。


「だからね、まずは今日。とりあえず、今日を無事に終えられたことを喜ばなきゃ。お父さんだってね、スーパーで安い食材を見つけて献立考えて、クタクタになっててもご飯作って、こうやってみんなで食べられたら『今日も1日終えられた! 大成功!』って思ってるの。そうやって1日をなんとか過ごせるようになったら、それからちょっと先のことも考えたらいいじゃん。まあ、お父さんはね、大人だからね、1カ月2カ月先の家計も考えなきゃ本当はダメなんだけど、そんなちょっと先のことを考えるだけでも頭痛くなっちゃうの。大人のお父さんでもこんなんなんだから、子供のお前はまず今日1日だけを考えてみなよ」


 そうやって息子の悩みに答えているうちに、何か自分の悩みというか苦しみの答えが見えてくるような気がしていた。そう、まずは今日1日を大切に過ごそう。がんの治療をしていると5年生存率、10年生存率などというちょっと遠い未来の話ばかりが頭に入ってくるけれど、まずは今、家族で一緒に夕食を囲むことができていることだけでも幸せなことじゃないか。ずいぶん低い目標設定のようだけど、これが僕や妻にとって大切なことだったんじゃないかーー。


 息子のちょっとおかしな悩みのおかげで、僕はその日1日を大過なく終えるだけで満足できるようになっていた。そうやって11月を過ごすうちに僕らの生活は風向きが変わってきていた。


(『北方ジャーナル2018年6月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年


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