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『北方ジャーナル』2018年7月号に掲載されたエッセイの11回目です。



第11回


最悪の1年を最高のかたちで


 2017年12月、長女の「めい」がガンダムのプラモデルの世界大会で優勝した。小学2年生の頃から挑戦し続け、7回目の大会でようやく手に入れた金色のトロフィー。昨年、初めて日本代表の座を逃していたので、その挫折を糧に悲願を達成したと報道もされたし、模型の仲間たちもそう思っていただろうけど、僕ら親子にとってこの「世界一」はそれ以上の重みがあった。


 めいが今回の作品を制作していたのは、妻の乳がんが発見され、手術のために入院していた時期。僕も含め、家族みんなが動揺していたし、長女であるめいにも生活の中で頼る部分が大きくなっていた。とてもじゃないがプラモデルどころではない、と制作を諦めるよう勧めたが頑として首を縦に振らず、弟たちの面倒をよくみながらも空いた時間を見つけては何かに取り憑かれたように制作に打ち込んでいた。お母さんの病気のせいで挑戦が途切れてはいけないーー。そして、必ず結果を出してみせるーー。そんな断固たる決意が感じられる制作だった。


 僕らの2017年はつらいことが多すぎた。7月に妻の乳がんが見つかり、8月には僕の父が家を飛び出して両親が離婚、9月には僕が慕っていた祖父が亡くなった。僕の母にとっては父と夫を失った1年であり、娘のめいにとっては曾祖父と祖父を失い母までも失う恐怖に怯えた1年だった。


 表彰式でめいは涙をこらえることができなくなっていた。僕には世界一になった喜びだけで泣いているようには見えなかった。今までの僕は娘が日本一になろうが世界2位になろうが、「いやいやお恥ずかしい限りで…」というような顔をしてばかりだったが、このときばかりは人目も憚らず泣いた。


「1年を最高のかたちで締めくくったね。ありがとうな」


 その日の夜、宿泊先のホテルで僕は礼を言った。めいは、


「うん、よかった。本当によかった」


 最悪な1年のまま終わらなくてよかったーー、とわざわざ言うことは僕らに必要なかった。人生山あり谷あり。谷の底には辿り着いたようだ。あとはしばらく上り坂だろう。来年はそんなふうに過ごせそうだ。なんの根拠もないけれど、僕にはそう思えた。


起き上がり始めた妻


 年が明けて1月はめいへの取材対応やお祝い、お礼をして回る日々で忙しく過ぎ、それがひと段落した2月、妻はケーキやパンを焼くようになっていた。妻の唯一といっていい趣味で、それを再開したことが嬉しいのか子供たちが妻がどんなに「失敗作」と言っても「おいしい!」と言って喜んで食べていた。日によって朝から晩まで寝込んでいるときもあったが、なにかをやりたくなって動き出したことに大きな前進を感じ、僕も微笑ましく眺めていた。失敗作には手は出さなかったけれども。


 3月、パンやケーキの材料費もかかるし新しい道具も欲しいからと妻がパートを始めた。最初は1日4時間で週2回。本当にお小遣い程度しか稼げない労働時間だ。でも、僕にはこのわずかな労働でも妻には重いように思えて不安だった。実際、パートの翌日の妻は寝込んでばかりだった。以前、放射線治療の際にソーシャルワーカーと話していて、治療中のがん患者でも働ける職場が増えていることを教えてもらった妻は、


「がん患者のみんなが今までと変わらず働きたいと考えてるわけじゃないよね。わたしは死にそうな人間まで働かせるの? って思っちゃうよ(笑)」とがんを抱えて働くことに対してかなり後ろ向きだった。


 しかし、働き始めた職場の話を聞くとつらいことばかりでもないらしい。わずか4時間の労働時間でも本人にとってはかなりしんどいし、あまりの体力や能力の無さにイラつきもする。しかし、寝てばかりではなく働けることそれ自体にやり甲斐や達成感があるようだった。


 そして、この頃の僕らは妙にツイていた。スーパーに米を買いに行くとちょっと古くなっていたのか半額シールが貼ってあったり、いつ送っていたのかも忘れていた懸賞が当選しててお菓子の『おっとっと』が35m分も届いたり、普段釣れない僕が釣りの大会で大物を釣って優勝しちゃったりーー。実にたいしたことのないツキのようだが、嫌なことばかりが続いていた僕らにとってはこんな些細な幸運も嬉しく、風向きが変わったことを実感せずにはいられなかった。


妻に代わって今度は夫が…


 妻は前向きになり良い出来事は続いていたが喜んでばかりもいられなかった。妻が手術した頃に得た医療保険のお金は底をつき、妻がもう少しパートの回数を増やすか僕が職を変えたりセカンドワークを探さなければ生活が立ち行かなくなっていた。そんな状況に家計を預かる身としてストレスを抱えてしまったのかもしれないし、風向きが変わったことや少し元気になった妻の姿に安心して気を抜いてしまったのかもしれない。原因はよくわからないが、僕は4月に痔瘻になって入院してしまった。


 これには僕自身驚いたが、結婚以来初めての入院に家族もそれなりに動揺したようだ。小学2年の末娘が、

「お父さん、死なないよね?」と真剣に訊いてきて、痔で死んだらたまらないなと笑ってしまったが、妻が入院したときのことがよほどにショックだったのだろうと思うとあまり笑って済ます気持ちにはならなかった。


 妻はがん治療中でまとも働けず、それを支えるべき夫は痔で入院してこれまた働けない。そして貯蓄は尽きたーー。2018年、僕らの生活は上向いてくるだろうと漠然と信じていたが、客観的には春からかなり絶望的な状況のようだった。あくまで客観的には。


(『北方ジャーナル2018年7月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年


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