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『北方ジャーナル』2018年8月号に掲載されたエッセイの最終回です。



最終回

絶望的状況もなんとかなるようでして

 2018年4月、貯蓄が尽きたストレスか、少し元気になった妻の姿に安心したのか僕は痔瘻で入院してしまった。妻はがん治療中でまとも働けず、それを支えるべき夫は痔で入院してこれまた働けない。入院したときの預金額は3000円。入院費どころか生活費さえ払えない絶望的な家計状況だった。しかし、あまりの痛みに耐えられず診察を受けたら即手術、即入院となったのでお金のやりくりを考えるのは後回しにせざるを得なかった。


 手術翌日、ぼーっとした頭でベッドに横たわりながら、

「入院費、どうしよう…」と考えていたら見舞いに来た妻が、

「保険会社の人に連絡しといたから。必要な書類を持って来てもらうから病院の人に渡しておいてね。保険で入院費くらいはなんとかなるし、それどころか生活費の足しになるよ」と、いつになくテキパキ処理してくれて、完全に立場が逆転したことを自覚した。妻の姿は去年、がん治療のために彼女が入院していた頃、僕がやっていた姿そのままだった。また、いつもは家族と一緒に外出したがらない長男も見舞いには毎日のように来てくれて家でも様子が変わっていたようだ。兄弟のまとめ役は姉に任せて自分はいつも補佐に回っているような長男だったけれど、初めての父親の不在に長男としての自覚が芽生えたのかもしれなかった。


 僕は頭の片隅で自分がしっかりしていなければ家族の生活は立ち行かないと考えていたのかもしれない。しかし、実際は違う。夫であり父である僕がいなくても、その分を妻や子供たちがしっかりとカバーしようと動くものなのだ。そもそも妻ががんになるまで、僕らの生活は妻の給料にかなり依存していた、否、彼女こそが一家の大黒柱だったではないか。痔なんかでは死なないけれど、これならばいつ死んでも大丈夫だなと考えたのが悪かったのか、退院日の帰宅途中に僕は原因不明の高熱を出して再入院。結局2週間近くも入院することになってしまった。妻は驚きつつも笑いながら言った。


「入院日数が多いほど医療保険は下りるから、長く居れてよかったね。我が家って本当、困った時になんとかなるようになってるよね」


 実際、僕の医療保険のおかげで絶望的な家計は好転し、7月頃までの生活費の目処がつくことになった。僕は文字通り身体を張って稼いだわけだが、その代償は小さくなかったようで2週間ほどの寝たきり生活のせいですっかり虚弱になってしまった。7月以降の生活を安定させるためにも転職あるいはセカンドワーク探しを始めなければならなかったが、5月が終わるまで体力は回復しないばかりかウィルス性胃腸炎に感染してしまって今度は妻ではなく僕が寝込んだり点滴してばかりの日々が続くことになった。

「五分五分」と言われて1年

 6月、妻が乳がんの検査で「悪性かどうかは五分五分」と言われてから1年が経った。そして、5月いっぱいで妻はパートを辞めた。今は「今日は急にめまいがしちゃって参った」とか「頭痛がなかなか取れなくて…。薬飲むと眠くなるし…」とか言いながら正社員として毎日働いている。


「子供たちが勉強がんばってるし後悔させたくないから塾に通わせてあげたい。スマホも新しくしたいし、いつか家族でディズニーランドに行きたいし!」と正社員として働き始めた不純な動機を明るく話すが、実際のところは夫である僕の不甲斐なさが原因で、つまりは生活費と彼女の治療継続のためである。彼女の体調を考えると正社員として働くのはまだ早いように思うし、いつまで続けられるかもわからない。でも、「働いてくれ」と僕にお願いさせずに自分で仕事を探して働き始め、子供たちの成長を楽しみに前向きに過ごしている姿を見て、僕は自分の不甲斐なさを差し措いてとても嬉しく思ってしまうのだ。今はとにかく、妻が働き続けられるように僕は全力でサポートしようと考えていて、掃除・洗濯・炊事などの家事は夫である僕と子供たちの仕事ということにしている。


妻が乳がんになるまでは、仕事で疲れて帰ってきた妻に「たまには家事もやってよ。僕も仕事が忙しい時期があるんだから」と喧嘩になることもあったが、今はそれがまるでない。妻も家事をしている僕に気づくと手伝いにくるが、僕はなるべく断ることもなく気が済むようにやってもらいお互いに「ありがとう」とよく言うようになった。


 妻の乳がんがわかったとき、僕は以前「がんという病気は悪い病気じゃない。だって、人生を終える準備ができるから。突然死に比べたら良い病気なんじゃないか」とわかったようなことを言っていた自分が恥ずかしく怒りすらおぼえたが、今はちょっとだけ“がんによって得たもの”を感じている。それは、“『当たり前のこと』なんて無い”というそれこそごく当たり前のことだ。


“普通”、“当然”という物事は実に儚い。そして、それらはとても貴重なものであることを僕ら家族は身に沁みて体感できた。


妻にしてみれば、そんなごく単純なことを乳がんになって苦しんでまで知る必要はなかったと言うかもしれない。しかし、この体験は将来のある子供たちにとって大きな財産になるはずだ。僕はそう信じたい。そういう意味で僕らにとって「がんは悪い病気ではなかった」と今なら言えるんじゃないか。がんを患う当事者の妻がどう思っているかはわからない。でも、夫である僕は彼女の生きている姿を子供たちに伝えたいし、無駄にしたくないと思っているから、どうしても妻の闘病に意味とか意義を考えてしまう。


 妻の乳がんはごく初期に取り除かれ、そのタイプも悪いものではなかった。10年生存率は90%以上の病気だから将来は明るいかもしれないし、運悪く残りの10%になってしまうかもしれない。闘病している間に新たな治療法が確立されて寛解できるかもしれないし、他の病気や事故で死んでしまうかもしれない。あるいは100歳を超えていても元気で乳がんのことを「そんなこともあったねぇ」と笑い話にできる日が来るかもしれない。結局のところ、どこまでいっても“五分五分”だ。


 できることなら遠い未来に笑い話として振り返りたいと願いつつ、まずは今日の“当たり前のこと”に喜びを感じながら僕は妻と、そして僕らの子供たちと暮らしていこうと思っている。生活が不安定なのにずいぶん刹那的で呑気なようだけど、それが間違っているかどうかは子供たちが大人になってから彼らの生き方で答えを出してくれるだろうと思っている。


 妻が乳がんと告知されて、なぜか僕の頭に浮かんだ言葉がある。


『愛してその人を得ることは最上である。

  愛してその人を失うことは、その次によい』


 イギリスの小説家サッカレーの言葉で、これを最初に聞いた時、

「なんのこっちゃ? 失恋の負け惜しみか?」と不思議に思ったから頭に残っていたのかもしれない。でも、今はその言葉をしっかり味わえるようなパートナーでありたいと思っている。そのためにも妻より長生きし、今日一日と妻を大切にして『最上』も『その次によい』ことも両方味わえる人生を全うしたい。そう今は思っている。 


(了)


(『北方ジャーナル2018年8月号』掲載)

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