長めの枯れ木の枝らしきものが道の真ん中に落ちていて、
車に邪魔だからのけておこう、と思って近づいてよく見たら、
カモシカの片脚だった。(^o^;)
今冬も小麦畑にやってきていたカモシカのものだろうか。
2月ごろからピタッと来なくなっていたので、気になっていた。
カラスかなにかが運ぶ途中に落としたのか、
そもそも自分で山から持ってきたのか、わからないが、
とにかくお宝にありついて、
毎日うれしそうに交互にしゃぶっている我が家の犬たち。
5月に入って感じるような眩しさや美しさを、
今年は早々に感じ始めている。
畑に行く道を歩いていると、
時折芽吹きや花々のいい匂いが、風にのって届く。
冬の間、オオアカゲラやアオゲラ、アカゲラのドラミングが
家のまわりに響き渡っていたのがいつの間にか消え、
ウグイスやジュウイチの鳴き声に変わった。
そろそろクマタカが、家の裏山の稜線際を舞い始める。
姿も声も美しいオオルリやアカショウビンが鳴き始めるのも、じきだ。
川の淵はいつも澄んでいて青く、
雨が降っても1日たつと濁りがとれ、
山は広葉樹が多く残っているから、
新緑や紅葉の季節はそれはそれは美しく、
満月前後でなく、晴れていれば、
夜空は冬でなくても満点の星。
遠くの街から初めてうちを訪ねてくる人は、
うちにたどり着く前に、まずこの環境に驚く。
慣れてくると、自分が奥深いところに暮らしている、
そのことを忘れている時の方が多い。
子ども達に至っては、
そうした自然環境が見せてくれる様々な事象に
感動したり、驚いたりする様子をあまり見せない。
ある時これが、
昔からここで暮らしているご近所さん達の感覚に
ちょっぴりでも近いことに気づいた。
・・・・街から来る衆は、山がきれいだ、星がたくさん見える、
ここはいいとこだ、って言ってくれるけど、
そういうのがわしらはわからんの。
ここの川はきれいだって言われても、
どうだかなぁ。
毎日見とるし、昔っから変わらん。
よそで暮らしたこともないから、ここの川しかよ~知らんけど、
これが普通の川だと思ってた。
鳥も、大きのやら小さいのやら飛んどるっていうのはわかるが、
みなさん(うちの家族)みたいに名前も知らんし、
鳴いてても、今日も鳥がピーピー鳴いてるなぁと思うだけ。
モリアオガエルって、
カエルにそういう名前があることも知らんかったよ。
わしらにとったら、ただのカエル。
田んぼのイモリ食べて、あの白い大きな塊(卵)作るのだら?
そんだけのことで、別にどぉってことない、
そのへんで跳んでるカエルと、たいして変わらん・・・・。
そのかわり、というか、
彼女たちは
集落内のどこそこの崖がくんだ(崩れた)とか、
道脇の樹の根元が腐ったのが落ちてきそうで危ないとか、
猿の集団がまた降りてきた。あれは椎茸を狙ってるとか、
そういうちょっとした集落内の変化にめっぽう詳しく、
よく見てるなあと思う。
歩きや車で、私も同じ道を通っているはずなのに、
そういう目で見ていないために、
おそらく見逃しているのだろう。
言われて初めて、はて、そうだっけ?と思い、
その後意識していて気づくことも多い。
彼女たちの話を聞いていると、
自分が根っからの田舎ビトは到底なれないことを知らされる。
(うちが田畑を借りている、家からすぐのところにある段々畑)
街に暮らしていれば、
突然の停電とか、水が止まるとか、
道に長々と樹が倒れて横たわっていることは、
大きな災害でもなければあり得ない。
そして、そんな状況に行き会ったとしても、
それを自分でなんとかしようとは思わない。
最近、うちの子達も、
樹が何本か倒れているのを見つけて、
あれは早いとこ始末しないと、と云ってきたり、
集落内で目にしたもの、印象に残ったことを
報告してくるようになった。
自分の家や家族のことだけでなく、
自分達の暮らす地域ごと見ている地域の人達の自然な姿勢が、
子ども達の中に、少しずつ培われていることが嬉しい。