春先に、「東京サドベリースクール」という
カリキュラムも学年もないスタイルのフリースクールのHPで、
創立してから10年の間に卒業していった子ども達にむけた思いを
書いている記事を読んだ。
少し時間が経ってしまったが、
備忘録に、了解を得てこちらにも掲載させてもらうことにした。
あらかじめ書いておくと、
文章の中で、「サドベリー」という言葉が所々に登場するのだが、
その「サドベリー」という言葉に
我が家流の「ホームスクーリング」を置き換えることはできない。
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【10年目のサドベリー】
10年目となり、巣立った生徒達も少しずつ、社会に出ていくようになりました。
料理が大好きでお店を始めた生徒。
好きなスポーツに関わる仕事をしている生徒。
興味のあることに関連して世界中を飛び回っている生徒。
また将来やりたいことのために人に会ったり、
資格を取ったりなど、逆算して必要な行動をしている生徒。
彼ら、彼女らは年齢的にはハイティーンから20代前半。
進んだ道は、ビジネス、スポーツ、職人、
また仕事という形で働いていない者まで様々で、
みんなしていることはそれぞれ違います。
(たまの工作は、ほとんど音楽関係の為。)
でも共通しているものがあります。それは、
『自分の道を歩んでいる』
ということ。
では、サドベリーでの学びを得やすいのはどのような生徒でしょうか。
もちろん色々な角度から見れば、
またそれぞれの目で見れば、
様々な答えがあります。
1つの正解がないのが、サドベリーらしさだとも言えます。
ただ私が10年関わらせていただいて、
これはとても大切な1つなのではないか、と感じていることがあります。
それは、
『じっくりちゃんと自分に向き合った生徒だった』
ということです。
じっくりちゃんと自分に向き合うというのは、
自分を知るということをあきらめないということでもあります。
(暇をみつけておやつ作り。)
自分の心を感じること。
人との関わりの中で感じる感情に気づくこと。
他者に自分の考える“正しさ”を押し付けたくなったり、
押し付けているかもしれないことに気づくこと。
そしてどのように行動するかということ。
それらは、サドベリースクールという環境にいれば、
否が応でも出てきやすくなります。
そういう場になっているからです。
ですので、つらくなる生徒もいました。
またそのタイミングではない生徒もいました。
さらには生徒のみならず、
私たちスタッフや保護者の皆さんも自然とそれらをすることとなります。
自分を見つめるべき時に自分の中を見ないと、
他者への期待や攻撃になっていく。
期待通りにならないと不満になり、
誰か(およそ他人か自分)を攻撃したくなる。
サドベリーというと自由が目立ちますが、
自由であると自然と
自分に向き合わざるを得なくなったりします。
(田植えの休憩タイム。ご近所さんが、スイカの差し入れをしてくれた。)
忙しくしていれば向き合わなくてもいいかもしれない自分に、
じっくり向き合う。
これはとても大変なことでもあります。
ただ、自分の人生を歩むのであれば、
避けて通れないところでもあります。
そういうことを、大人(といわれる年代)でするのか、
子ども(といわれる年代)でするのか・・・
それを子ども(といわれる年代)に探求しやすいことは、
サドベリーの価値の1つだと思っています。
そのための飛び立つための向かい風が、
自分に向き合うということであったりもするのです。
風に意味はありません。
それをどう上手に使うかを選ぶことをしていけばよい。
どう風を使うのかは本人次第。
そういうことを体験しやすいのもサドベリーなんだなと、
10年目にして思っています。
(以上HPより抜粋・転記)
⇒「東京サドベリースクール」のHP http://tokyosudbury.com/
その他「東京サドベリースクール」についての紹介記事
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今日はFuの、19歳の誕生日で、
これから名古屋へ家族でおでかけ。
目的地は美術館と楽器屋。
途中で昨日笑’が焼いたケーキを食べて、
ごはんは、Fuのリクエストの「前よく出店で出していた」豆と雑穀のカレー。
(これは今から仕上げをする。)
というFuらしい企画。
(マイカーを天ぷら油(廃油)で走る車にチェンジした日)
親に対する目線が、
このところどんどん変わりつつあるのを感じている。
子どもとの付き合いは、
大人同士になってからの方がずっと長い。
そう思いながら、子ども達といっしょに過ごしてきた。
Fuとのつきあいは、
もうすっかりそういう時期に入ったと思う。