4年前の引っ越しで、母屋の横に連れてきた鉄骨小屋の骨組みは、

Jirが産まれた年に「自分で解体するならあげるよ。」と頂いたもので、

 

ベイビーJirをおんぶしながら、

当時6歳のFuといっしょに鉄の柱を運び、

わたし的にはまさかの脚立仕事にも加わって、(← 高い所苦手)

丁寧にサビ止めまで塗ったので、

ある程度愛着があった。

 

引っ越しによって母屋の広さは1/5くらいに減り、

3つ使っていた納屋も、離れの家もなくなって、

 

持ち物は随分減らしたものの、

野ざらしにできないものの置き場として、

この鉄骨小屋はいち早く活躍した。

 

 

 4年経つうちに、

物達も人達も、それぞれの居場所ができて

随分収拾がついてきたところで、

ようやくこの小屋を

使いやすい状態に手を入れることになった。

 

 

屋根をのばしたあと、基礎作り。

 

 

笑’もかなり活躍。

 

 

ノミの使いっぷりも、ずいぶん上手くなって、

すっかり作業者の1人。

 

 

壁を張って、窓もつけた後の床貼りには、

インフル後でバイトを休んでいたFuも加わって、

一気にペースUP.

 

 

 

この作業で、

いつか使うから、ともらって、

物置の場所をかなり取っていた床板が活躍。

 

窓も、台所につけるつもりで解体現場からもらってあって、

4年間出番待ちしてたもの。

 

 

これで物置が片付く。

 一石二鳥~♪

 

 

 

 

 

 

 ふとこの小屋の骨組みを連れてきた頃の写真が見たくなって、

探してみた。

 

いっしょに出てきたのは、4年前、

ここに暮すことが決まって、

初めて刈り払い機を持ってきて作業した日のこの1枚。

 

奥の山に向かって軽トラ1台と通れるほどの

道らしいものがなんとかあったくらいで、

家の前は凸凹の藪だった。

 

 

 

また家族全員で、

自分達の暮らしの場所を作る。

 

というか、取り戻す。

 

引っ越しまでの半年は、通いながら

みんなで少しずつ家周りを整えていった。

 

 

鉄骨小屋を建てた日の1枚もあった。

 

 

みんなが家を直している間に進めた、家の奥の畑の再生では

 

 

ひたすら切りまくった。

 

 

石垣がようやく見えた日は、

ここで暮らしていくんだなと具体的に思った日でもあった。

 

 

 

 家周りの草刈りを進める中で、

最初わからなかった水の取り口を発見した時は感動した。

 

半ば埋まっていた穴だらけの黒パイプを

とりあえず補修しながらつないで、当面使うことにし、

 

 

玄関外に設置した台所のシンクに蛇口に水が来た日。

 

 

家の中は、ほぼ全部の床下に手を入れた。

 

 

これまでの暮らしでやってきたことが、次々役立ったのと同時に、

 

 

やってみたかったことにもどんどんトライしていった毎日。

 

(子ども達3人で建てたインコ小屋)

 

越して来た時は、こんなにちびっこさんだった笑’。

 

 

 当初は移住先を四国と考えていた。

 

ちょうど5年前の今頃、

決まりかけていた土地の交渉がダメになった。

 

その時は随分へこんだし、

引っ越しのために、多くの時間とエネルギーを費やし、

それまでに得た沢山のことを手放したり、あきらめた。

 

それでも、それまでのように

日々心穏やかに家族で暮らしていくには、

移動する必要を感じて・・・・。

 

 

 

と、ここ4年を大きく振りかえっちゃったけど、

 

引っ越し前の場所で、

私達が作ってきた暮らしぶりの復活を目指しながら、

 

(崖を掘って作った野菜むろ(左)、アースバックハウス式で建てたお風呂(右)

 

必要なものを1つずつ作ってきたこの数年間。

 

(手前:石窯。奥:薪置き場)

 

 

結果的に、

手放した以上のものを得た。

 

 

 

 

 

 鉄骨小屋は、床貼りを終えた後、

棚を作り始めた。

 

4年前に、とにかく荷物を乗せるために、

急いでつけた棚をとりはずし、

工具が置きやすいように、使いやすいように作り直すとのこと。

 

 

この日の助手は笑’。

 

 

「これから工具を増やすよ。」

 

 

そうなの?

もう、作りたいものは大体完成したのかと思ってた。

 

「いやいや、これからだよ~。楽しくなるのは。」

 

まだまだ作りたいものがある。

まだまだやりたいことがある。

 

私たちの暮らしはこれまでも、これからも、

きっとずっとそんな調子で続いていく。