活動を始めたきっかけと成り立ち。
広汎性発達障害のグレーゾーンという診断を35歳で受けた代表の原田は、約20年間をやっとの思いで日々を過ごしていましたが、市民農園で働き始めてからはどんどん体調が良くなり、気力も回復し精神的に安定しました。減薬も進み、現在は服薬なしで体調維持ができています。
家族も驚くほどの回復ぶりで、「発達障害当事者や心の病などで生きづらさを抱えている人には農作業が合っているのではないか?」という実感と確信を持ち、当時保土ヶ谷区で活動していた畑グループに参加しました。
その後、地元のコンビニで、なぜか新鮮な野菜が売られていて、そのあまりの美味しさに驚き、生産者の藤田農園さんの農業体験イベントのチラシを手に取り、参加しました。
イベントに参加した時に、農作業が好きだということを藤田さんに話すと、「それなら手伝いに来なよ。」と言われて、毎週水曜のボランティア作業に参加することになりました。
藤田農園さんには、ご夫妻の暖かな人柄に魅かれて長年お手伝いに来ているボランティアさん達がいます。
社会福祉士の受験勉強でそのボランティアをお休みしている間に、ボランティア仲間さんが藤田さんに、私がシャイニングという成人発達障害のグループ活動をしていることや、いつかそういった人達との畑作業の活動をしたいと言っているということを伝えて下さり、「それなら農園の手伝いということで、やってもらってもいいよ。」というお話になりました。
思いがけないほどの早いタイミングで、社会福祉士の資格取得と共に、畑クラブの活動を始めることになりました。
藤田農園さんは、自宅から車で5分足らずの場所でもあり、願ってもないことでした。
そして、保土ヶ谷区での畑グループで出会った園芸療法士の白井さんが、同じ会社の市民農園で働いていたという奇遇もあり、白井さんの協力や尽力を得て、活動が2016年にスタートしました。
それ以来、藤田農園のご夫妻からの多大なるご協力と応援、働いていた市民農園シェア畑の元同僚達や多くの方々に支えていただきながら、今日の活動に至っております。
虹色畑クラブの名前の由来
近年、アスペルガー症候群、広汎性発達障害、高機能自閉症などの診断カテゴリーが「自閉スペクトラム症」という診断名のもとに統合されました。
スペクトラムとは「連続体」を意味し、自閉症スペクトラム症という名称は、多様性のある症状が連続体として重なり合っていることと、障害と障害の間に明確な境界線を設けないという考え方に基づいています。
虹の光彩のことをスペクトルと言いますが、自閉症スペクトラム症やその他の発達障害、精神障害などについても当会では、その人の特性をそれぞれの個性の彩りと捉え、診断名で境界線を設けて区別するのではなく、お互いに調和し合うことで、雨上がりの虹のような「美しい彩りと希望のある人生」を共に歩めたらと願っています。
そして
虹色畑クラブの沿革
2016年5月 | 任意団体「成人発達障害と歩む会シャイニング」の課外活動「シャイニング畑クラブ」として藤田農園の協力を得て開始 |
2016年6月 | 当事者・非当事者合同の農業体験交流会を開始 |
| 農業体験交流会の毎月の実施 |
| 野菜の世話などのボランティア作業を週1~2回実施 |
2017年 | 前年と同様の活動を継続 |
2017年3月 | 横浜市青少年相談支援センターとの連携で利用者受け入れ開始 |
| ひきこもりの若者支援機関よこはま西部ユースプラザから、社会体験プログラムとして利用者の受け入れ開始 |
2018年4月 | シャイニングとは別団体となり、「虹色畑クラブ」と名称変更 |
2023年 | 横浜寿地区で、元路上生活者や多様な人達が集うオルタナティブスペース「カドベヤで過ごす火曜日」さんと協業で「NPO法人タネとスプーン」の法人設立を準備中。 (現在、申請を終えて認定待ち) |
虹色畑クラブの参加対象
1.中学生以上の、発達障害のある人、そうかも
人、精神疾患などで生きづらさ
2.当会の活動目的に賛同し、一緒に作業し、サポートしてくださる方
虹色畑クラブの活動目的
1.発達障害や不登校、引きこもり、ニート、精神疾患などで生きづらさを抱いている人達が、
藤田農園さんでの農作業を通して気力体力が回復し、社会復帰や自立への一歩を踏み
出せるようになること。
2.農家さんの手伝いをして人に感謝される体験、野菜を育て収穫する体験を通して、当事者
の成功体験を積み重ねる。
3.地域の人達や支援してくれる人達と共に作業をすることで、相互理解と交流を図る。
虹色畑クラブの活動方針
大事に 気長に 楽しく 育てる
1.参加者一人一人の特性や体調、ペースに合わせた作業サポート、農業体験の運営に努
める。
2.当事者と、サポートする参加者とが対等な立場で共に作業し、相互理解と交流を図る。
3.藤田農園さんと良好な関係を築きながら、農家さんの本業への影響を最低限に抑えた農
業体験を実施する。
4.減少している都市農業、専業農家として貴重な存在である藤田農園さんで、たとえ微力で
あっても、そういった産業の一端を担うつもりで、責任を持って活動をする。
5.他の支援機関や他団体とも連携して、農業体験を当事者に提供し、その効果を共有する。
代表 原田朋子 (社会福祉士)
1970年生まれ。
山梨で野菜や果物を作っていた祖母の影響で、畑仕事が子供のころから好きだった。
学生時代までは特に目立った症状はなかったが、一般企業に就職してから、仕事についていけない。ミスを多発する。上司の指示の意図が汲み取れない。などの不具合が出始めるが無理を押して通勤したことで鬱を発症し、休職を2度繰り返した後に退職。
以降、不安神経症、パニック障害、双極性障害など様々な診断名が出て投薬治療を受けるが体調は改善せず、外出がままならなくなり、引きこもっていた時期もあった。
その後、アスペルガーの女性との出会いをきっかけに、自分もそうではないかと思い、別の病院で改めて受診。
そこで35歳にして初めて、広汎性発達障害のグレーゾーンという診断が出て、二次障害として鬱などが出ているのだろうということで、目からウロコだった。やっと自分のしんどさの根本が判明し、ほっとする。
病院によっては診断が出ない場合があったり、ADHD傾向がある、アスペルガー傾向がある、など様々に診断が異なったが、徐々に自分の特性を理解をしていった。
成人発達障害と歩む会シャイニングと出会い、同じ当事者さん達と出会って困り感を共有出来たことや対処法が分かってきたことで気持ちが安定し、スタッフとなる。
分子栄養療法と出会い、その治療が合っていたようで精神的症状は劇的に寛解する。
日本の福祉の現状について学びたいという思いと農福連携に関心があったことから、通信制の大学に入り、社会福祉士の資格を取得。
2016年4月から成人発達障害と歩む会シャイニングの代表となり、『シャイニング畑クラブ』を始める。
市民農園での仕事と畑クラブの活動で、さらに心身共に健康を取り戻し、就労継続が可能となる。
引きこもりなどの若者の相談支援や居場所スタッフ、就労支援の仕事に従事する。
2018年4月にシャイニング代表を辞任し、シャイニング畑クラブは『虹色畑クラブ』と名称変更して、同会の代表に就任。
現在は、若者支援の仕事を退職し、一時保護養育里親をしながら虹色畑クラブの活動を続けている。