これからの時代、『通貨』は一種類限定ではなく、「日本では円、アメリカではドル、御礼はレター…」といった感じで、時と場合によって使い分けていけばいい。

通貨を通貨たらしめているものは、法定通貨との『換金』ではなく、その通貨の価値を皆が信用するか否かだ。

通貨の姿形は、もはやどうでもいい。
あるコミュニティーで回っている媒介物を皆が信用すれば、貝であろうが、石であろうが、紙であろうが、文字であろうが、それは通貨になる。

文字を通貨にしようと思った時に、向き合わなければいけない問題は「どうすれば皆が文字の価値を信用するか?」で、考えた結果、「そもそも、どうして我々は文字に価値を見いだせていないのだろう?」という疑問に行き着いた。

僕の結論は「文字の発行数が多すぎる」だ。

僕らは文字を自由に採掘できる。
個人の判断で、今日、1000文字使うこともできるし、10000文字使うこともできる。
人類がスタートしてから、ずっとこの調子で無尽蔵に文字を採掘し続けた結果、文字の価値が薄れてしまった。

2008年にジンバブエでハイパーインフレが起こった、
ジンバブエ・ドルが大量に発行され、結果、1円=300兆ドル(正確な数字は知らねーけど)となり、子供が札束を持ち歩き、お札を投げたり、捨てたりする始末。
僕らが日々使っている『文字』は、このジンバブエ・ドルに近い。

つまり、「言葉の世界はそもそもハイパーインフレを起こしていて、1文字の価値が無くなってしまっていた」という話。

最新作『レターポット』は「文字の発行数をコントロールすれば、文字が通貨となり、言葉で回る経済圏を作れるんじゃねーの?」という社会実験であり、悪フザケだ。
皆が「お金とは何ぞや?」と考えるキッカケにもなっているので、一応、個人的には『アート作品』にカテゴライズしている。

レターポットのユーザー数が35000人を突破した。
言葉で回る経済圏は、まだまだ小さいけれど、1年後ぐらいには面白くなってんじゃーの?と思いながら、これから二度寝します。
おやすみなさい。


※もう少し踏み込んだ話はオンラインサロンでやってます。