日本人が世界に名を轟かせたのは、『日の出る国』の聖徳太子?

世界を征服する勢いの元を撃退した元寇?

マルコ・ポーロの『黄金の国ジパング』?

もちろん全てが縦軸で繋がって来たものと思いますが、広く世界中に~となるとやはり江戸末期、開国の後かと思われます。

開国後の遣欧使節団は街に入ると、先ずは髷(ちょんまげ)や袴姿を笑われます。ところが数日の間の彼らの立ち振舞いを見るなかで、その街を離れる頃には多くの人々に尊敬の眼差しを向けられ、各地の新聞でも称賛の記事が多く見られたそうです。

もちろん、数日間の接触だけでそこまでの反応の変化がある訳ではなく。当時の欧米に日本と日本人のことを伝えた功労者の1人がシーボルト。

大著【NIPPON】は大ベストセラーとなり、多くの人々に読まれました。
その日本人の素晴らしいイメージが彼らには刷り込まれた中での実物との出会いは、こんなに高貴な人間たちがいる訳がないという思いをノンフィクションに代えるだけの侍たちの立ち振舞いに、見た目の違いなどは直ぐに吹き飛んでしまったのでしょう。

それこそ日本開国の使者ペリーも書籍を取り寄せた上でシーボルトにも意見を求め、彼の進言を聞いて武力開国を思い止まったそうです。

そんなシーボルトさん、今年は没後150年だそうで、全国各地で記念事業が行われています。

今回はその皮切りでもあります東洋文庫さんで開催される【シーボルト展】に行ってきました。



歴史物と言うとどうしても脚色が多くなってしまう中で、シーボルトさんの妻、お滝さんや娘、お稲さんへの愛情が伝えられて来ませんでしたが、こちらに飾られる【NIPPON】の原書を見るだけでも彼の妻子に対する愛情の深さは充分すぎるほどに感じとることが出来ました。

シーボルト再来日の際に連れてきた稲の異母弟アレキサンデルは後に井上馨の特別秘書に、アレキサンデルが後に連れてきた弟ハインリッヒは兄を手伝いながら日本に尽くし、数々の業績を遺します。

また2人の異母弟は父の教えを受けて、姉の面倒を良くみて稲が日本初の女性産婦人科医師となる時には彼らの助けで築地の居留地に開院することとなります。



ちなみに、日本人の岩本花と結婚し私たちの事務所の社長に血脈が繋がるのですが、その話はまたいつか。

日本シーボルト協会というHPもあるので、日本を愛した蒼い目の侍たちの物語も是非覗いてみて下さいませ♪
今年の各地での記念事業がアップされています。

日本シーボルト協会HP
http://siebold.co.jp/kyoukai/