こんにちは!!


進撃の巨人を語ろう会
〜リベンジ編〜

インスタライブは、3月6日になりそうです!!



進撃の巨人は読んだ感想や解釈の仕方で
あなたがどんな人間なのか自分でも気付かない己の思想を丸っと裸にされちゃうような漫画で、掘り下げれば掘り下げるほど正解なんてみつからなくて「人間...愚か...世界は残酷で......だから、美しい......!!」みたいな、顔に"諌山線"と呼ばれる線が沢山刻まれる漫画です。
 



みんなで語らうとバカみてぇに楽しいので、
ぜひ読んでみてね!!!!!

3月6日のインスタライブも
アニメ最新話か漫画27巻まで履修済みの方
参加できますのでぜひ!!






さてさて


ちょっと前、某芸人さんの
「娘にブスと言って調子にのらないよう教育してる」
なんてラジオでの発言が話題になっていました。


 
私も色々考える事もあって、
いつから私達は「見た目」に囚われて
生きていくようになるのかなと。


特に女性は
化粧をしないと「失礼」にあたり、
いつまでも「若く」ある事が求められる。





女の子の人生として、
そういうしがらみがどこから始まるのかなと思って私も少し振り返ってみた、、。



あ、今日は私の思い出をつらつら書いていくし長いのでお暇な方だけお付き合いくださいパー



みなさん、みなさんはこれがきっかけで
自分の容姿がコンプレックスになった、
自己肯定感削られた、
なんて経験はお持ちでしょうか、、、?



私は親に「ブス」とはっきり言われた記憶はなくて、そのおかげか中学生くらいになるまでは
自分をブスだと思うこともなく、
誰かをブスだと思った記憶もない。

顔の良し悪しとかそういう部分が
あんまりよくわかってなかった。



しかし転機が訪れたのは中学生になった頃。

仲の良かった友達に

「あかねちゃんは横顔が綺麗」
「眉毛と目の間が狭くて綺麗」

と言われた。


その頃の私もやはり人の顔の美醜に割と無頓着で、
正直何がどうなれば可愛くて綺麗かなどはよくわからなかった。

あえて言えば、わかっていたのは
目が大きいと可愛いんだなくらいだと思う。笑


その友達にはお姉ちゃんが2人いて、
とても大人びていながらも可愛らしい隙もあり
勉強もできて芯があって少しあざとくて
裁縫も得意で親しみやすく、自分の見せ方をよく解っている子だった。


今思い出しても「男の理想の女の子」
だったと思う。


その子もきっと、どういう顔の作りが「綺麗」なのかお姉ちゃんが話していたりしたのを聞いて知ったのかもしれない。


"こうこうこういう所があると、綺麗"


という知識を手に入れた私は、
それからテレビでみるタレントさんや、同級生の顔を見て、その言われた特徴を気にするようになった。



ちょうど同じ頃、
お父さんが天才てれびくんに出ている、まだ子供の大沢あかねさんをみて、

「この子は綺麗になる、あごがキュッとしてる」

と言った。


お母さんがブリトニー・スピアーズのsometimesのPVを観て、

「ほんっっっとにブリちゃん可愛い」

と言った。


そこで私はまた、美しい顔の知識を手に入れた。
そしてどうやらそんな美しい顔が愛されるようだという知識も、手に入れた。



確かにブリトニーも可愛いし好きだったけど、
しかし、私が当時憧れていたのはロックなアヴリル・ラヴィーンだった。


アヴリルを見て、お父さんが言った。

「化粧濃いな!!!」



この辺から、今度は
日本の世間の求める女性像を理解し始める我。



ナチュラルなメイクに
露出の少ない清楚な服
派手な髪色や態度はNG



なるほど、、、!!
どうりで我はモテぬわけだ。

中学生なので制服だし化粧もしてなかったが、
なんとなく"そういう女の子"ではないというのは自分でもわかった。



私に眉毛と目の間隔の件を教えてくれた友達とはとても仲が良くいつも一緒にいたこともあり、男子は何かと私達を比べた。



〇〇(友達)は女の子らしくて可愛いのに
なんでお前はそんな可愛くないんだ

〇〇はあんなに裁縫得意で進んで教室のカーテンを直しているのに、お前は女のくせにやらないのか

〇〇みたいになろうって思わないの?



ブスとまでは言われなくても、
私は傷つき「クソがッッ!!」と怒りを感じた、、、。


でも実際は「女の子はそうあるべき」という洗脳が既にテレビや親や風潮によって無事完了しつつあった私は、女の子らしくない私が悪いんだと唇を噛むしかなかった。



短い可愛らしいスカートに憧れてみたりもしたが、
私服で友達のチェックのスカートを借りてドキドキしながら履いて行った時、仲の良かった男友達に「そういうの似合わないよ」と言われたのも手伝った。

謎の赤十字Tシャツ

17.8歳くらいまではファッションとかにも
めっぽううとく、ほとんど毎日ロックTとジーンズで過ごしていて。笑


中学校までで蓄積された

「こうあるべき女の子の理想」


「あなたは魅力的ではない」

という情報が、私をファッションやメイクへの好奇心から遠ざけていた。


どうせ何やっても似合わないという気持ちと
私が調子乗ってオシャレしてもどうせバカにされるという気持ちで興味をあんまり持てなかった。

今思い出すと結構な感じで引きずっていたんだなと思う。






しかし、私は変わった。



18になり好きなアーティストのライブに東京に来た時、初体験を迎えた。


大人になって何かが変わった気がした私は、
生まれ変わった気分で解放されたようだった。


セックスアンドザシティのサマンサが、海外リアリティドラマの中で彼氏に物を投げつけキレたり泣いたり友達ともケンカしまくる女の子が、下着姿で堂々とランウェイを闊歩する彼女たちが、私の封じ込めた重い扉をグググっと開いた。


日本で清純・童顔・処女が持て囃され、幼いアイドルやAKBが流行る中、文化は違えど、堂々と「清楚ではない」格好や行いをする海外の彼女達はえらく解放されているように映った。



小学生の時から
峰不二子やマリリン・モンローやアンジェリーナ・ジョリーに憧れていた私は、

海外の女の子が着るような、セクシーで可愛いまたちがう「女らしい」格好を好んでするようになった。


日本では、さらに私の住む田舎では、
可愛いと思える好きな服はなかなか見つけられなかったけど、海外リアリティの彼女達のファッションはセクシーでカッコよくて可愛くて自由で本当に好きだった。


私が田舎でできる限りのオシャレをすると、女らしい格好をすると、露出のある服を着ると、お母さんに「うぇ〜気持ち悪い〜」と毎度言わた。

「はいはい。」とスルーしてはいたが、言われる度にものすごく嫌な気持ちになった。
こんなに好きな格好をしてこれから出かけるってのに、私のテンションをガン下げしてくるお母さんにとてつもなくイライラした。



しかし一歩外にでると、
急激に男性から声をかけられたり誘われたりするようになった。

彼らはまるで本気で惚れているかのような口説き方をしてきたので、(中には今で思い出しても本当に惚れてくれただろうなという人もいるので全てがクソだったわけではないが)


私はこれを「モテている」と勘違いした。



肌を露出したり、女らしい可愛い格好をすると
どうやら男性に持て囃され認められると誤認識。




私はその快感を忘れられなかった。




小さい頃から不二子ちゃんやマリリンやアンジェリーナジョリーを好きだったのは

セクシーでエロいからではなくて、彼女達の精神や思想や生き様がカッコよかったからだ。


3歩下がっていつも控えめで優しく微笑む女性が良しとされる中で、私の中では彼女達はとてつもなくカッコよくて女性のヒーローの様だった。




そんな憧れの彼女達のファッションや性にオープンな姿勢は、私がマネをすると、"エロ"としてどんどん搾取されていった。(その時は気付かなかったけどね


"清純で可愛らしい"理想の女像に反抗した結果、
そちらも男にとってまた都合が良いとは、、、
やられちまった。

まだ若くて未熟な俺には
まったく理解しきれていなかった。


主体的な「彼女が好きでそうしているから」といういやらしい目線での大義名分を与えるということになる一面があるのを、知らなかった。


「AV女優の彼女は好きでやってるって言ってるんだから、辞めさせるのは可哀想だよ、、(ニヤリ)」
というあれと一緒ですね。女の主体性を本当に理解しているわけではないのに都合がいい時だけそんな主張を持ってくるという、ごにょごにょ、、、すまん長くなるからまた今度インスタライブでもしゃべらしてくれ



清楚な格好も、セクシーな格好も、
どちらも男性にとってウェルカムなのだ。


どちらが増えても、
男にとっては嬉しいことであり、
女とは"そういう生き物"であると信じられる。



聖母か、娼婦か
女神のような女か、悪魔のような魔性の女か

どちらかになることが男性にとってとても都合がいい事なのだと、私は気付かなかった。



実際、90年代頃までのこういうカッコいい女性達には必ずと言っていい程、"セクシー"な要素がくっ付いていた。
そんなメディアを使っているのは、作っているのは、男性だった。

まさに聖母か魔性かの女しか見えていないようだった。



私はフェミニズムを知った今でも、
長い髪やセクシーでかっこいい服や
メイクやおっぱいを愛でることを愛している。


長い髪が揺れるのを見るとテンションあがるし、
谷間がざっくり入った海外のかっこいいシルエットの服を見ると胸がギュルルンとときめく。

化粧品やメイクも好きだしやめられない。
この不二子洗脳でできたおっぱいも大好きだ。



そして、綺麗になりたい、可愛くなりたいと
いつも思っている。

目がもっと大きくて、鼻が控えめで、頬骨がなくて小顔で、童顔だったらなぁと、テレビに映る女優さんをみて、羨ましいなぁと思ったり可愛いなぁと幸せな気持ちになったりもする。



だけど、もしかしたらそれは
世間に、男性に、望まれて生まれた"理想の女像"から出来た部分もあるかもしれない。
という可能性は、しっかり自覚しておきたい。


私の好みは世間で"魅力的"とされているようなものと一致している事が多いから、ますますそう思う。


それを解っていないと、
そうじゃない人をバカにしたり蔑んだり、もっと綺麗になる努力をしたらいいのに、、もっとモテる努力をしたらいいのに、、もっとおしゃれに感心もったらいいのに、、、
なんて余計なお世話な気持ちになってしまうかもしれないから。



(正直、結婚相談所をやっているので、こういう面で色々個人の気持ちとは矛盾するアドバイスをどうしてもしなきゃいけないところもあり、難しいところはあるんだよね、、。
まぁ私個人の思想の押し付けはせず、ルールの中でなるべくみんながそれぞれ自由に婚活できるように努めているけども。葛藤はあります。)





もし私が若い頃に、ショートカットで素晴らしい腹筋を持って眼鏡をかけた、不二子ちゃんのようにかっこいい女性像がたくさんあったら、、、


マッドマックスのフュリオサやハーレイクインやハンジさんのようなイケてる女性像がたくさんあったら、、、


私の憧れの女性像はどうなっていたかな、、
とたまに考える。



うだうだ書いてしまったけど、

要するに、

女の子らしくない
可愛くない

という周りの声によって、
私は可愛らしいファッションやメイクや髪をすることに興味をもてなくなり、女としては自分の価値が何もないように思えてすごく自己肯定感が低かった。




そして

セクシーで女性らしい格好をしたら
今度は女としては扱っても「人」としては尊重してくれず、どんな人間なのか、よりもどんな女なのかを重視された。


夜に働きはじめると、ブスやデブなどの容姿批判は毎日のように浴びせられ、「もっと痩せなよ」「整形する気はないの?」となぜかため息混じりでアドバイスするような男性も沢山いた。


ブスは喋るな!!と説教されたり、
俺デブ嫌いなんだよと私の3倍(誇張)は体重があるであろうオジサマに、握手しようとした手を払われたのは一生の謎だ。



私は意外と鋼のハートで乗り切ったが、
中には整形がやめられなくなり不自然になるまでやってしまったり、拒食症や過食症になってしまったり、精神を病んだり、自己肯定感の低さから変な男に引っかかり続け酷い目にあった子もいた。



もっと怖かったのは、
これが夜の世界だけではなくて、普通の昼の仕事をしていても見かけることだった。

彼の為に性を売っていたり、DVだと気付かず酷い環境に慣れてしまっていたり、お客さんに罵声を浴びせられてトラウマになってしまっていたり、、

もちろんパッと見はわからないし、仲良くなったり休憩中にぽそっと聞いたりして知るんだけど、こういう日々の削られるような女の体験は男性にはわからないだろうと思った。



しかし、そんな世界を目の当たりにしながらも
褒められることや口説かれる機会もあり、認められた気がして嬉しくなった私は見事にバグり


男に愛される女こそ、幸せな女!!
男は子供だからね、優しく教育しなきゃ♡
男はおバカさんだから、全部許して女が頑張らなきゃね♡
男性は頭がいいし理論的なのに、女は感情的だから、わかりやすく"男性的"に説明しないとね♡


なんて言いうように大きな大きな思い違いをし、
なんと立派な"名誉男性(男尊女卑的な価値観に染まり男性に都合のいい女性)"のようになってしまっていた。


昔はこのブログにも、

「通りすがりの男性が私のおっぱいで幸せになってくれたらいい〜♪」

なんてことを書いていたと思うし、思い出す度諌山線が大増量してライナーのように思わず長い銃を加えてしまいそうになるけれども。



そんな過去のブログの目も向けたくない私の数々の発言等は、きっと誰かを踏みつけていただろうし、不快な思いをしたり、傷ついた方もいたかもしれない、、

本当に、ごめんなさい。



過去のブログに書いた事は全部嘘じゃないし
その時一生懸命やって記したことだけど、、、

今でもたまに何年か前の過去の記事に
いいねやリブログをしてくれる方がいて、
その度に「やめてくれ!!それは、、違うんだ!!参考になど、するなよ、、!!!」と叫びたくなります。



個人的にはまじで一生懸命書いてきたブログだし、今でもいい事書いてるなと思う物もあるので残しておきたい気持ちもあるけれど

過去ブログをもしかしたら今でも見てくれて何か良くない部分で影響を及ぼしてしまう可能性があるならば、消した方がいいのかな、、なんてちょっと迷ってます。





まぁ、ごめんなさい、
私のブログのことはいいんだけど、
とにかく昔の私は




女は美しくあれ、いつまでも若くあれ、
でしゃばるな、男を立てろ、しなやかでいろ、
優しくあれ、男の愚かさに理解を示せ、怒るな、意見するな、、、、、




おうおう随分と注文が多いな


それらがそんなに大事な要素なら
男性もそうあるべきでは??





??



え、女性だけ?




??



??






まぁ、、


女に生まれたなら
しょうがないか、、、。

女とはそういう生き物、、(?

と、思うところがあっても
なんとなく納得させて生活していかなきゃいけない。


こんなわけのわからない風潮でも、
確かに女性ってそういう生き物だものね!
男の人はすごいから、頭がいいから見習わなきゃね!でも永遠の少年な所もあるから女が大人になってやってってあげなきゃね!女ってやっぱり女神だから!!


なんて感じで生きてきたけど






すみません、、、




ブスだのヤレるだのデブだの、
まるで自分にはその権利があるかのように当たり前に上から容姿ジャッジをしてくる男性が多すぎて、


今は考えがだいぶ変わりまして、







女だけにいつまでも
美しく在ること求めすぎだろ

母性だの女神だの悪魔だの
勝手におめぇらの都合の良い存在にすんじゃねぇ


女はモノじゃねんだぞ


うるせぇ黙れ





という気持ちでございます。




ここまで長かったですね、
本当文章力なくてすいません。


こんなまとまりなくて読みづらい記事を
いつも読んでくれてありがとうございます。
きっとこのブログの読者さんは
読解力がバカ上がりされていると思います。



私の思い出話だけでこんなんなっちゃったので、
次の記事でもう少しちゃんと

『女は商品、男社会で"選ばれる女"であることの価値』

について書きたいと思います。


↓↓↓





こういうことは色んな問題に繋がっていて、ざっと500記事くらい書かねぇと伝えきれないな!?ってところもあるんだけど、とりあえずできる限り頑張って書いてみようと思います。

ではでは!
今日はこんなところでパー