神指城跡2023 | PERFECT PERSONAL WORLD

PERFECT PERSONAL WORLD

西に東に、はてしない追っかけ日記

10月14日。会津若松への旅の主目的の一つ、上杉景勝公、直江兼続公が作ろうとした神指城へ。
会津若松市内から外れていてバスで行くよりもレンタサイクルの方が、後々回るのにも便利と判断し、先ずは鶴ヶ城観光案内所まで借りに行きました笑

鶴ヶ城からでもけっこう距離がありましたし、翌日は筋肉痛確と靴擦れで大変でした。

神指城は上杉景勝公が豊臣秀吉によって越後から会津に移封された後に、鶴ヶ城より、会津盆地の中央に作ろうとした城。
この領国整備により、徳川家康による会津征伐を受けるので、関ヶ原合戦の契機となった城と言われます。

関ヶ原合戦を扱った大抵の作品(司馬遼太郎の「関ヶ原」とか火坂雅志の「天地人」等)で、石田三成と直江兼続公が家康を東西で挟撃する為に作る城として描かれますが、堀の浅さや郭内に建物が作られた形跡がない事から総工程のかなり序盤までで工事が中止されたと推察される事から、その説は否定されてます。
完成していたら鶴ヶ城の倍以上の規模になっていた上、位置的にも会津盆地の中央に近いので会津若松の発展の仕方も変わっていたように思います。

15年前に行った際は時間が無くて観に行けず、今回ようやく念願叶いました。

先ず東北隅の土塁の上に聳える、築城前からあるという高瀬のケヤキまで。若松市内の慶山から運んできたという石垣用の巨石も置かれてあり、「兵どもの夢の跡」感が。残念ながら土塁の上は立ち入り禁止になってましたが、そこから見える会津盆地美しさ!


会津盆地の美しさ!四百年前に上杉主従も見たのかな?


















高瀬の大けやき


地図を頼りに「神指城本丸」と後年の会津戦争で、土方歳三と別れた斎藤一が率いた新選組と新政府軍が戦った如来堂跡へ。この如来堂は二の丸の土塁の上にありますので、これを以て「神指城は実戦に使われた」という人もいますね。この如来堂、土手なっているので神指城の痕跡をはっきりと感じました。
















如来堂から降りて周囲を回ると、私有地の注意と一緒に「神指城天守閣予定地」の案内と、そこから迂回した場所に「神指城跡」の案内文を発見。
どうも国有地と私有地が混在しているようなので、あまり奥には入らず案内だけを読みました。


分かりにくいけど「神指城天守閣予定地」の案内が。












まだまだ神指城の痕跡がありそうだけど、時間の都合で残念ながらここまで。

北国は来れる時期が限られてしまうけど、また必ず来たいと思います。