珠数について調べてみた(*^^*)素晴らしい内容だったよ。 | ながおりょうじゅんのブログ

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心理カウンセラー、占い、仏教など神仏の教えを学びながら、自身の人生の苦を少しでも減らして安穏に過ごして生きるにはどうしたら良いのか・・・を追求してます。



金剛菩提樹の実の数珠。
インドのものは日本のものと違って一連です。

↓日本式に作り直しました。
色が違うのは、お手入れとしてオイルや塗香を染み込ませているからです。



さて、
数珠ではなく「珠数」とか「誦珠」と昔は書かれてたようです。
いつの間にか数珠と周知されました。

最大108珠から数が少ないのまでありますね。

日本は、母珠と中珠の大きな2つの珠が小さい珠(子珠)を2等分してます。
片方の54珠は自分の魂で、それが磨かれて光輝くようになるまでの煩悩を浄化させる修行の段階で、もう片方の54珠は他の人や後輩に手を差しのべるために還る道になります。

一珠ずつ意味があるのだが、見つからなかった。(見てみたいものだ)

「煩悩から起こる苦しみや悲しみが36、それが過去・現在・未來の三世で108」という説などある(それ以上煩悩はありますけどね)

「珠数は子珠を一つ一つ爪繰りながら、心の中の塵や埃や垢をを無くし、清らかな「おもい」を積み重ねよう」という願いがこめられます。
日本では珠を一つ一つ爪繰るという行為はあまり見かけないですが、日本以外の仏教信奉国ではマントラ(真言とか陀羅尼)を唱えながら爪繰り、何回唱えたか数えます。

珠数を手に巻くことは、煩悩という雑草を枯らす薬を撒くことでもある。
煩悩を枯らすことで人間の理想の境地に至る肥料になるという。


ちなみにマントラ、珠数というものはバラモン教で使われていたもので、バラモン教に馴染み深い人には、珠数を利用して苦を取り除き、修行に励む方法を説いてたようです。

日本は、飛鳥時代に仏教が日本に取り入れられ、最古の珠数は正倉院に保管されています。
聖徳太子が愛用していた蜻蛉玉金剛子(とんぼめこんごうし)というものだそうな。
(一度拝見してみたいものだ)


母珠は根元的な命
大きな珠1つか2つ数珠によってありますが、それは親珠とも呼ばれ、時々お土産物屋で中を覗くと仏様が見えたりするものがありますが、常に親である仏様を忘れないようにという意味もあるのでしょうね。

釈迦と地蔵菩薩という説もあるそうです。
(地蔵菩薩は弥勒菩薩がこの世に現れるまで世の人々を導くよう頼まれているので。)

宗派によって色々とあると思いますから、お世話になってるお寺がありましたら聞いてみてもよいかもしれませんね。


子珠は一粒ずつ仏や菩薩の名前がついているそうです(初めて知りました)
なので珠数を持つということは、いつも仏や菩薩と一緒にいるということになります。


四天
母珠から数えて7つ目の次に小さな珠がついているものがあります。
これは仏教の守護神で、四仏(阿弥陀・宝生・阿しゅく・釈迦)、四菩薩(文殊・普賢・観音・弥勒)、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天:毘沙門天)と見立てたりします。
首にかけると鬼は悪さができなくなるとか。
真言や陀羅尼を唱える時に、この四天を目印に七遍とか二一遍数えるのに役立つようです。

珠を母珠からもう片方の母珠まで爪繰った後、また戻るように爪繰る場合があります。
それは宇宙の仏を敬う気持ちと、再び俗世に戻って他の人々を救うという意味を示しているそうです。
母珠からもう片方の母珠までの54珠は、自分の魂で、それが磨かれて光輝くようになるまでの煩悩を浄化させる修行の段階ですからね。

浄名
母珠から出ている房の部分に、珠があると思います(無い場合もありますが)。
その中で1つだけ珠が別についてると思います。
これを浄名といって、補処(ふしょ)の菩薩=弥勒菩薩です。釈迦が入滅して56億7000万年後にこの世に現れるという弥勒菩薩。
現在は天人たちに説法しているそうです。
その化身は七福神の1人、布袋和尚だとか。

母珠が阿弥陀様なら補処の菩薩は観音様と母珠をどの仏様にしてるかによってかわります。

維摩経(ゆいまきょう)の維摩居士(ゆいまこじ)とする場合もあるようです。
この維摩居士は色町、賭博などの人間の欲望満載な場所に気軽に行っちゃう人ですが、そこに集まる人々の悩みや悲しみに応じて導いていく。釈迦の弟子たちも手玉にとるくらい仏教の理想の人物の1人として描かれてます。
聖徳太子の時代から維摩経、勝鬘経(しょうまんきょう)、法華経(ほけきょう)と尊重されてました。


記子(きし)
房のところにある珠(無い場合もありますが、1本の房に5つ並んでついてる小さな珠)。
これは釈迦の十大弟子とか、十菩薩とか、十波羅蜜(じっぱらみつ →自己を完成して他者を救う徳目)にあてはめられてます。


中糸
珠を通している糸。
これも意味があって、「全人類を結ぶ神」という。神と人とを結びつけている。
珠1つ1つが人種と考えてください。

中糸が切れたら再び修繕して使ってくださいね。縁起が悪い訳ではありません。
また寿珠としてお祝い事の贈り物にしたりしたそうです。
今、腕輪念珠として流行っていますが、昭和63年(1988年頃)にも今と同じように流行ったそうですよ。


珠数の素材

菩提樹
僕が持っている珠数は菩提樹の実です。
釈迦が真理を悟った時に座ってた樹。

弥勒菩薩は龍華樹の下で成道するとか。

過去の仏たちは色んな樹の下で悟ってきているそうです。

経典の多くは菩提樹の実が最上としていますが、真珠や珊瑚は経を読み、珠を爪繰ることを一遍にて福の百倍。
蓮の実なら福の万倍、水晶なら万々倍、菩提子(菩提樹の実)は無量にして数えられないほど福があるという。
菩提子でも僕の持ってる金剛菩提子の他に、星月菩提子、鳳眼菩提子、天竺菩提子など様々に種類があります。




あとは香木の珠数、貴石の珠数、木の実、動物の骨、というのもあります。
僕の珠数の四天はゴールドオーラ(水晶に純金を着けたもの)にしています。

木の実で梅、桃、樺(カバ)、柘植(ツゲ)。
カヤの実は聖天様(歓喜天)を信仰する人にはよいらしいです(中々作ってるところがないみたいですが)。


珠数の功徳
中糸が全人類を結ぶ神ですから、「縁を結びつける力」があります。
他には、「煩悩を鎮める力」「真心に戻らせる力」「信仰の扉を開く力」「陰陽を調和させる力」「自らを裁く力」「善に導く魔除けの力」
と様々にある。

人間は無知であるがゆえに、悩み苦しみ、幸せを追い求めてさ迷うわけですから、この珠数の意味もわかると、違う気持ちで祈ったり用いたりしてよりよい方向へ自らを歩ませる事ができます。


珠数は左手首にかけるのが多いですが、昔は頭にハチマキのように巻いたり、耳にかけたり、首にかけたり、肘にかけたりと色々あったようです。

奈良時代、琥珀の房の無いネックレスのような珠数もあったそうですよ。

また指輪念珠というのは左手中指にはめるのだとか。



これは初めて見ました。


珠数について、勉強になりました。
どこかで珠1つ1つの説明書きが見つかったらアップしたいと思います。