楽しむと決める

9月のある日ふと本棚にある喜多川泰さんの本を手に取った。
ペラペラと読み返し「あぁ久しぶりに喜多川さんに会いに行きたいな」と思って
HPを開き、新刊が出る事と出版記念イベントがあることを知った。
先の予定がわからなかったこともあってすぐには決められなかったけれど
数日後にFacebookである人のイベントを紹介する投稿が目に留まり
「行きなさいという事ね」とチケットを買った。

前回に講演会に行ったのはコロナ前、
久しぶりに会う喜多川さんの外見は
少し変わっていたけれどw、
面白さや温かさは全然変わっていなかった。

イベントで初めて落語を生で聴いた。
新刊「おあとがよろしいようで」を生んだと言っても過言ではないという古今亭文菊さんの落語。



文菊さんは初心者の私たちにわかるように、
落語というものはどんなものなのかを
穏やかにお話ししてくださっていたけれど、
ひとたび落語が始まると
そこに江戸っ子の負けん気が強い職人さんが現れた。
私は話の場面の家の前を通りかかり、足を止めて男二人のやり取りを聴いているみたいだった。
やっぱり生で観るのは全然違う。

私はまだ喜多川さんの新刊を読んでいなくて、会場で本を買い
サインを頂いて帰りの電車の中で読んだ。
駅についても途中で本を閉じることが出来なくて、
スタバに入り最後まで一気に読み終えた。



本の中の落語のセリフとともにさっき見た文菊さんの落語がぶわっと蘇ってきたので落語を聞いてから本を読んでよかった。

凸凹があるからいいんだ。
凹がいっぱいでもいいんだ。
落語も喜多川さんもそう言ってくれていて少しだけ心が軽くなる。

「あなたのままで、そのままでいい。」という言葉はよく聞くけれど
そういうわけにもいかない事が続いているので、
『そうは言ってもね』と引き戻されていた。

本を読み進めながらも心はモヤモヤしている。
最初のページからどんどんと変わっていく主人公がまぶしすぎて、しんどくなっていく。

それでも、最後まで読み終えた時
「楽しめ」ということを改めて思い出した。

喜多川さんのこれまでの本やお話で何度も出てきた事、
「どんな事も楽しむ」と決める事。

これまでも、そうしてきたなと思い出す。
どんな状況も楽しむ。

そう決めた時に何度救われてきただろうか。
離婚すると決めた時も
不謹慎だけれどパパが事故で亡くなった時にも、その後のゴタゴタもこれで乗り越えてきた。

そうだった。
忘れていたな。

喜多川さんに会いに行ってよかったな。
さて、私のはちゃめちゃドラマのような人生
落語を見ている時のように楽しむとしよう。
喜多川さんの新刊『おあとがよろしいようで』