本日8時から国防部会・安全保障調査会合同会議開催。議事は、「集団的自衛権と日米安保の歴史的考察」であり、石破安全保障調査会長が基調スピーチを行った。


わが国は集団的自衛権は「保有すれど行使せず」との立場をとっている。しかし、このことが、日米安全保障条約、そして現在の沖縄をはじめとする在日米軍の問題に大きく影響することとなる。


現在の日米安全保障条約は、米国は日本の防衛義務を負うが、わが国は米国に対する防衛義務は存在せず、その代わりに、わが国の領土を「義務的に」米国へ提供するという「非対称的双務性」の上に成り立っている。


またわが国の国防政策自体が「日米安保を基調」とし、先ず「米軍ありき」というものであるがゆえに、これがわが国、そして国民の国防に対する考え方を弛緩させており、わが国が「集団的自衛権」行使を可能にした時、これまでの「日米同盟」の姿が変わることとなる。


昭和20年、わが国は戦いに敗れ、米国を主とした連合国軍隊がやってきた、彼らの目的は、日本が再び米国及び世界の平和と安全の脅威とならないための「日本を対象とした戦勝国の安全保障」であり、占領軍または進駐軍と呼ばれた。


しかし、その後の「米ソ対立」という要素の中で、米国は共産主義への対抗を優先させ、「日本のための安全保障」に変化を遂げていった。こうして、その後の講和条約そして旧日米安全保障条約締結以降は、占領軍または進駐軍も、駐留軍という呼称に変化していくこととなる。


当時の吉田茂総理は、わが国が自由主義陣営の一員となることが国益に叶い、そのため基地の提供が、わが国の安全保障上望ましいと考えた。これが在日米軍の由来となるのである。


わが国の米軍への基地提供の決断をもとに、駐留の永久的性質を払拭し、また「駐留」が「占領」の継続ではないものとすることを模索したが、結果的には、国民に占領の継続感を与え、米軍に対する反感や屈辱感を払拭出来ずに、今に至ってしまったということは否定しえない。


この時代の日米同盟に関する議論は、ある意味においては、現在よりも真っ当なものである。吉田内閣の後を受けた鳩山内閣は、独立国家としての自主外交を模索した。


その外相であった重光葵は、日本の防衛力増強に合わせて、米軍を秩序立てて日本から撤退させ、安保条約をより対等化させるとして、相互的基盤に立った条約改正を、米国に提案しているが、米国のダレスは、「日本がもっと強くならなければ、相互性の基盤は出来ない」と返答している。


その後、いわゆる60年安保において、安保条約は若干の改正はされたが、重光・ダレス会談から57年の歳月が流れた。かつてダレスは「日本がもっと強くならなければ、相互性の基盤は出来ない」と述べたが、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊となった今でも、「相互性の基盤」にはなりえていないのであろうか。


今回の石破スピーチの肝は、憲法改正が迅速に果たし得ない現況のなか、憲法改正を追求しつつ、集団的自衛権行使に関する解釈変更を行い、その法的基盤としての「安全保障基本法」制定を考えようとするものであり、また内閣法制局の見解ではなく、国権の最高機関たる国会で、議員立法によって、それを行うのが務めであるとするものである。



そのことによって、米軍基地問題も改善の方向をみるであろうし、まず「米軍ありき」としたわが国の国防政策も大きく変化するのではないだろうか。