少し前に『コンビニ人間』で芥川賞を取った作家の村田沙耶香さんとの対談をさせて頂いたのですが、それを最近すごく思い出すのです。
その中で、村田さんがおっしゃられた言葉で「私には悪口を言う才能がない」というものがあったのです。上のページで言うと2ページから3ぺージあたりまでのところです。
その部分って、文字数の関係上収録されていない部分もあったのですが、多分人間って、もう小学校に上がったあたり、もしくはその前から「利発な子」が出てくる。そして、そういう「利発な子」って好き嫌いがすごくハッキリしているところがあると思うのです。「あれ嫌い!」とかですね。
この「好き嫌い問題」ってすごく奥が深くて、人が生きていく上ですごく大事なレーダーなりアンテナにもなっていると思うのです。
たとえば、自分が引っ越しをする時に、部屋は黒を基調にした方が落ち着くという人と、「黒だけは暗い気持ちになるから勘弁!」とか、そういう生理的な好き嫌いって、その人が生きていく上で大変な死活問題になってきます。
でも、この対談の中で僕と村田さんの考え方が一致したのが
「好き嫌いって、そんなパッと決められない」
というものだったのです。
ここから先は僕の意見です。
「こんなこと話して何になるの?」
という話をグダグダと続けていきますので、もしお時間があれば読んでもらえたら嬉しいです。
小さい頃も、そして大人になってからも
「スピーディー」
という言葉にずっと「うっ」となる気持ちを持ち続けています。
「スピーディーに決断せよ」とかですね。
そのスピーディーという言葉と、子どもの頃に言われる「要領の良さ」という言葉って、僕の中ではリンクするのです。
生き方や考え方、そして、学習の仕方に対して、ある程度「要領が良い人」は、色々なことをスピーディーに「これは使える」「これは無し」という形で取捨選択できます。余談なんですけど、僕は今だに就活のSPIと鶴亀算がトラウマです。
「鶴が2匹います。亀が4匹います。足の数はさあ何本?」って問われたら、鶴の鶴子と、亀の亀吉と命名するところから始めたいのです。そうすると、鶴亀算だけでやっぱり20分ぐらい回答するまで時間がかかってしまう。
自分の話をして申し訳ないのですが、僕は普通のことが、常に普通にできなくて、多分15歳ぐらいになった時に「あ、多分自分は普通のことが普通にできないから、これはもう時間をかけるしかない」と、自分の人生に対して覚悟を決めました。普通の人が20歳ぐらいでできることを、下手すれば自分は35歳を超えないとできないし、わからないだろうなって。
だから、20代の頃なんかは「スピーディーに、要領よくできる人」に対する憧憬ってすごかったです。なんで入ったこともないような東南アジア料理店で、そんなにパッパと料理を決められるの?って。そういうところで、僕が渾身の思いをかけて選んだお店特製ドリンクは、大体薬品の味がします。
ずっとスピーディーな人に対して憧れがありました。
そして、スピーディーな人たちからは多分ずっとからかわれてきたと思います。「なんでそんなことするの?」って。「そんなことして何になるの?」って。
でも、30代に入ったあたりから、「自分のスピードを大切にしてきて良かった」と思うようなことが多く起こり始めました。若者と仲良くすることは相変わらずどうして良いのかわからなかったけど、年配の方から「あんたは信用できる」と言われる回数が増えたのです。
今思うのは、若い頃にずっとコンプレックスを抱いていた「スピーディーな人」にもちゃんと苦悩があり、葛藤があり、挫折があり、どっちかの生き方が楽で、どっちかの生き方が苦労が多いとか、僕自身も、自分と立場が違う「スピーディーな人たち」に対する決めつけがあったんだろうと思います。
ただ、村田さんとの対談のような感じがすごく楽しかったのですが、僕はこれから先の人生においても「スピーディーな決断」よりかは「どうでも良い話とか、まぁ色々ありますよね」っていう話の方から集まってくる物語の方を大切にしていきたいなと思いました。
とりとめのお話でごめんなさい。以上です。