子どもの頃、近所の少年野球チームに所属していて、そこは監督もコーチもいわゆる当時多かった「野球好きの大人たち」がボランティアでやっていたようなチームでした。

まだ世の中がJリーグブームで湧く少し前、僕らの少年時代は「午後7時からは絶対に野球中継。アイドルの歌番組など認めん」という、絶対野球主義の父ちゃんがテレビのチャンネル権を支配していました。

その延長線上で「お前も絶対野球好きだろ?」という理由で近所の少年野球チームにぶち込まれた僕は、少なからず野球というものに対して恨みをおぼえていました。笑

小学生の頃に少年野球チームに入れられたので、毎週の土日のどちらかは練習や試合。

でももちろん、野球好きの大人たちが集まってコーチしてたチームだから、本格的な指導ではなく、特に監督に至っては「仲良く喧嘩しろ」とか「いい加減に、しかし本気で!」、「球がきたらこう、ブルンと振るんだよ。球と友達になれ!とか、禅問答のような指導言葉を唱え続けて、段々と高学年に上がるにつれて「禅問答監督」に強い反発を抱くようになってきました。

それから何年か経ち、中学生になった僕らは偶然街角で禅問答監督に会い、向こうは「おー!元気か!?」と声を掛けてくれたのに対して、僕は当時の土日の休みを野球の練習で潰された恨みを思い出しました。自分も中学生になり、言葉も覚え始め、大人によって丸め込まれてきた子ども時代よりも反撃できると勝手に思ったのです。

そして、久しぶりの再会で笑顔で話が進んだ後、監督に向かって「監督の教えってメチャクチャだったじゃないですか。あんなの野球でもなんでもねーよ。暇つぶしでやってたんでしょ?」と言いました。これはもう、ハッキリと覚えています。

そしたら、大の大人が、自分の仕事の休日を大好きな子ども達のために注いできた監督の顔が、色を失い、少し震えて何も喋れなくなってしまいました。

その瞬間の出来事を、今でもハッキリ覚えています。「俺は今、絶対に言ってはいけない台詞を言った」と。

僕は中学生になり、自分の世界を開拓し、大人をバカにするようになりました。相手の本質をついたつもりになったり、「こんなつもりでやったでしょ?」と、自分の想像を押し付けたりしました。

でも、その「所詮ガキだから」という範疇を超えて、その人が誇りにしてきて、大事にしてきたライフワークを否定してしまった。

後で謝りに行った後日談があるのですが、それは割愛します。

それからずっと、20年以上経った今でも、僕には「言葉」を使う怖さが隣にあります。

側からみたらどんなに無様でも、カッコ悪くても、その人の想いが入ったものを「知ったように」傷つけることはしてはいけない。

自分のいる世界は絶えず限定的で、そして、狭い。

それを知って、実践していくことがせめてもの罪滅ぼしだと思っているからです。

ちょうど夏が終わりかける、今の季節に起こったことを今日久しぶりに思い出しました。